Prologue
3秒というのは、思っているより長い。
ふいに吹いた風が、土手のススキを手前から奥まで揺らしていく。
そのくらいのあいだにも、人は何かを言える。聞くこともできる。
振り返ることも。
高校の陸上部で走っていたころ、私はコンマ1秒を削るために、何週間も同じ練習をくり返した。だから知っている。トラックの上の3秒は、取り戻せないくらい遠い。
あの日、あの場所で私が見た笑顔も、たぶん、そのくらいの長さだ。
冬の、よく晴れた午後。低い日差しが、吐く息まで白く光らせていた。少し離れた場所に見えた横顔が、その光の中でふっとほどけて、微笑む。
誰に向けた笑顔なのかは、わかっていた。
私は声をかけずに、その場を離れた。
背中のほうで、グラウンドのかけ声が少しずつ遠くなっていく。
校舎の角を曲がると、風が冷たくなった。
3秒。それで足りた。
それだけで、いろんなことが静かに終わった。
それから、2年が過ぎた。
タイムを追うことも、誰かを好きだったことも、思い出す回数が減っていけば、遠くなる。あの午後のことも、いつの間にか、思い出さずに過ごせる日のほうが、もう多い。
けれど、たまに思い出すと、記憶はいつも同じところで途切れる。
横顔が笑う。
私は背を向ける。
あの場所に残った人たちが、そのあと何を話したのか。
どんな顔で、そこを離れたのか。
あの3秒の続きを、私はまだ知らなかった。
あの冬から、もうすぐ2度目の冬が来る。
成人式の案内が届いたのは、金木犀が香りはじめた朝のことだった。




