枯れゆく私と、太陽のようなあなた。
「ねえ、アドラー。覚えてる?」
「ん?」
「もし私が死んだら笑ってねって言ったこと。」
部屋にか細い声が響いた。
無理して明るく振舞おうとしている、滑稽な私の声。
「……覚えてるよ。覚えてるよ、エレン。でもね。」
いつも明るい声の貴方。
お願い、泣かないで。そんな声で、「エレン」と呼ばないで。笑って?
「君が死んでしまったら、僕はどうやって笑顔を思い出せば良いのだろうって思ってしまうんだ。」
そう言ってアドラーは、私の1番大好きな人は、下手な笑みを浮かべた。
◆◆◆
「私、『先天性枯死病』っていう病気なんだって、アドラー。」
私が生まれた時からかかっている病気。
治る見込みのない、病気。
体の中の血管が、歳とともにだんだん枯れていってしまう病気。
細い血管から枯れてしまうらしくて、17歳の私はもう手足が動かせない。
幼い頃は、幼なじみのアドラーと一緒に野原を駆け回るのが好きだった。
小さい頃は病気なんて微塵も感じなくて、ただ難しい言葉だな、とだけ思っていた。
でも、10歳の時。
お医者さんに言われたの。
『あなたの余命はあと10年程です』って。
その時はとても長いように感じたのに、少しずつ少しずつ。
病気は私の体を侵食していった。
「おはようエレン!」
元気なアドラーの声がする。
アドラーは私の幼なじみだ。
小さい頃から、それこそ私が物心つく前から一緒にいる人。
そして今は、私の好きな人でもある。
いつも笑顔で、太陽みたいなアドラー。
サラサラとした金の髪に、空を切りとったような青い瞳のアドラー。
そんな見た目だから、小さい頃の私はアドラーが本当は王子様なんじゃないかと思っていた。
私に優しくしてくれて、無邪気に遊びに誘ってくれる私の太陽。
「遊びに行こう?」
私の家に勝手知ったるように入ってきた彼。
幼なじみだから、私の母も当たり前のように笑顔を向ける。
「エレンー?まだ起きてないの?」
ああ、違うのアドラー。こっちに来ないで、私を見ないで。
「……お、起きてるよ!ちょっと待って、今…」
ガチャリ。
無情にも、部屋のドアが開かれる。
「なにエレン、二度寝しようとして…た……」
アドラーの声がだんだん小さくなって、聞こえなくなった。
「おはようアドラー。もうちょっとで歩けるはずだから、ちょっと待っててくれる?」
アドラーの視線の先の私。
ペタリと床に座り込んで立てない私。
足の感覚が薄くなってしまったのは、11歳の時だった。
アドラーは優しい。
あれから立てなかった私を頑張って持ち上げて、ベッドまで引きずってくれた。
「力がなくてごめんね、僕がもっと大きかったらエレンを王子様みたいに運べたのに。」
そう泣きじゃくりながら、ベッドに腰掛けた私の手を取ってにぎにぎしてくれたアドラー。
不安なのだろう、手の感覚はあるのかどうか、しきりに尋ねてくる。
「大丈夫だよ。それにアドラーが手伝ってくれたおかげで、私ベッドに行けた。これは進歩だよ。」
そう言ったらまた泣かれてしまって、どうしたら良いか分からなかった私は、ひたすらオロオロとしてしまった。
同年代の男の子達より少し小さいアドラー。
華奢で繊細な見た目の彼だから「王子様」みたいだと思っていたのに、と背が高くなってムキムキになった彼を想像してみる。
「……ぶふっ」
「なに、エレン。なんで笑ったの。僕が泣いてるの、そんなにおかしい…?」
涙声のアドラーが恨みがましい目をこちらに向けてくる。可愛い。
「ち、ちがっ、あはは!」
「じゃあなんでそんなに笑ってるのさ!!」
アドラーにふくれっ面で問い詰められても、私はずっと笑っていた。
声を出してずっと笑っていたら、いつの間にかアドラーも一緒になって笑っていた。
そういえば、久しぶりに笑ったな。
「ひーっ、面白い、まだ面白い…!」
「あはは、だからなんで笑ってるのさ、泣いてた僕が馬鹿みたいじゃないか、っはは!」
そう。そうやって。
あなたは笑っている方が似合うよ、アドラー。
この出来事があってから、アドラーは体を鍛えるようになった。
私はやめて欲しいって頼んだけど、意外と頑固な彼は止めてくれなかった。
「エレンをちゃんと運べるようになりたいんだ。前みたいに一緒に外に行こう?」
彼は気づいていた。
私は誤魔化したけど、前みたいに歩けなくなっていることに。
しばらく前から足の裏の感覚が無くなってきていて、両の足で地面を踏みしめることが出来なくなっていることに。
幸い、手すりやテーブルを使えば立ち上がってゆっくり歩くことは出来ていたから、なんとか誤魔化せていると思っていたけど。
「僕、エレンの幼なじみを何年やってると思ってるの?」
何故か誇らしげに、同時に少し悲しそうに笑ったアドラーの顔は、死ぬまで忘れないと思う。
13歳にもなれば、男女の体格差はどうしても出てくるもので。
体を鍛えていたアドラーはメキメキと身長を伸ばし、更に筋肉も手に入れていた。
ほとんど身長が伸びなくて、やせ細っていく私とは真逆に。
「おはようエレン!今日はスミレの花を持ってきたんだ!」
この時には、私はあまり出歩かなくなっていた。
歩いても歩く感覚がしないのだ。
それがなんだか気味悪くて、更に筋力も衰えてしまったから。
私は一日中椅子に座っているか、ベッドの上で過ごすことが多くなっていた。
昔は駆け回ることが好きだった私。
アドラーと一緒に走って、風を感じて、はぁはぁと息を弾ませながら草の上に寝転んで空を見上げていた私。今じゃ、夢みたい。
そんな私を哀れんでか、アドラーは私に会いに来る度に花を1輪持ってきてくれる。
今日はスミレ。
昨日はカスミソウ。
なんてことは無い普通の野草だけれど、私にとっては貴重で、宝物だった。
ただのお花なのに光り輝くアドラーの一部のように感じられて、貰った花は全部花瓶に入れて飾った後、枯れないように丁寧に押し花にしていた。
好きな人から貰ったお花。
いつか花束で欲しいな、なんてちょっと恥ずかしいことを考えてみたりして。
幸せだ。
これ以上ないほど、幸せ。
この幸せをもう少し味わっていたいなと思うのは、欲張りなのだろうか。
「エレン!外に行こう!」
確か私達が14歳だった夏の夜。
アドラーはとても急いでいるように私の家にやってきた。
「どうしたの?」
私は母とご飯を食べている最中で、いきなりやってきた彼に驚きを隠せなかった。
「今が良い時期なんだ。あ、エレンのお母さん、エレンとちょっとだけ遊びに行ってきます」
「ふふ、気をつけて行ってらっしゃい。夜道は暗いわ、ランタンいる?」
「大丈夫です、自分のがあるから。ここに来るまでもつけてたんです。」
「そう、じゃあ娘をよろしくね。」
「お母さん!?」
あっさりと承諾した母にビックリして悲鳴のような声を上げてしまう。
行きたくない訳じゃない。
むしろアドラーと一緒に行けるのならどこだって嬉しい。
でも親公認というのは、ただの幼なじみという関係のはずなのに、無性に恥ずかしいように思われたのだ。
「え、え、アドラーどこへ行くの?」
「エレンが好きそうな所だよ。」
なんだか曖昧な答えだ。
それに、私はアドラーと行けるならどこでも好きなのに。
アドラーは日頃の鍛錬の成果を発揮して、私を軽々と持ち上げた。
「わっ!」
色気も何もない声を出してしまった、恥ずかしい。
「……エレン、軽いね。」
少し悲しそうなアドラーの声。気付かないふり、明るいふりをしなきゃ。
「えへへ、そう?ありがと。でも多分アドラーが毎日鍛えてるからだと思うよ。」
「……そう、かな。」
「そうだよ、そうに決まってる。」
お姫様抱っこをしてくれたアドラーは、今にも泣きそうな変な顔で笑っていた。
「わぁあ!すごいわ、アドラー!」
「シーっ、静かにね。逃げてしまうから。」
アドラーに抱えられてしばらく。
私たちは村の端っこにある川に来ていた。
川べりより少し上がったところの地面に下ろされる。
何があるのだろうと思っていたが納得。ホタルだ。
夏の夜に現れるぼんやりとした光の粒。
幻想的で、神秘的。私は目を見張って、この光景を目に縫い止める。
「……綺麗ね。」
思わず声が漏れる。本当に、綺麗。
「そうだね、綺麗だ。エレンと一緒に見られてよかった。」
私の隣に座ったアドラーが小さな声で応じてくれる。
私たちは互いに顔を見合せて、破顔した。
この夜が一生終わって欲しくないな。
そのためならなんでも差し出せると思うの、神様。
そう願ったけれど、ホタルはすぐに光らなくなってしまって、私達も家路に着いた。
「ありがとう、アドラー。」
「ん?こちらこそ、こんな夜に連れ出してごめんね。」
「ううん、とっても嬉しかった。宝物がまた1つ増えたわ。」
「僕も増えたよ。」
「お揃いだね!」
帰りもお姫様抱っこをしてくれるアドラー。
私達は、何かいけない話でもするみたいに声を潜めて笑いあった。
キラキラと輝く宝物。ホタルと、アドラーの笑顔。
私たちは16歳になった。
アドラーはとても背が伸びて、ベッドの上の私が首を痛めるくらい上を向かないと目が合わせられないくらいになった。
というか、今でも当たり前のように私の部屋にいる。
「あははっ」
「……どうしたの、エレン?」
低い声。アドラーは声変わりもして、もう立派な男性だ。私とは違って。
「ううん。アドラーはとても大きくなったなと思って。ほら、今じゃ喋る度に首が痛むくらいだよ。」
痛む、という単語に大袈裟に反応したアドラー。
そんなに私、弱いと思われてるの?ちょっと心外。
「……そっか、ごめんね。今度から椅子に座ることにするよ。」
「アドラーの体重で壊れないような、ちゃんとした椅子を買わなきゃね!」
「ふふふ、そうだね。」
ほら、笑ったアドラーは可愛い。
これだけは大きくなった今でも変わらない。
顔をくしゃりと歪めて、低い声で上品な声を出す。可愛い。
可愛くてカッコよくて、大好きな幼なじみ。
「さてエレン、ご飯の時間だよ。……スプーンを持つ練習をしようか。」
私の目の前に、銀色に輝くスプーンが現れる。
アドラーの大きな指に挟まれたそれはとても小さく見えるのに、私にとってはかなりの難敵だ。
「うん。」
神妙に頷く私。
腕を動かして、手をスプーンに沿わせて表面の冷たさを感じる。
「ふふ、冷たい。」
アドラーは私が感覚を言うとホッとした顔をする。
だから、本当はもうほとんど感じないけれど、スプーンが冷たいと言う。
「持ってみて。」
そう言って、アドラーがスプーンから手を離す。
途端にグッと感じる重み。
指先がプルプルして、ああ私はこんな簡単なことも出来なくなってしまったのかと悲しくなる。
カシャン。
スプーンは軽い音を立てて落ちてしまった。
「……10秒くらい、かな。昨日より伸びてるよエレン!頑張って鍛えよう?」
僕とお揃いだよ、とアドラーが笑う。眩しい笑顔。
でも、奥歯を噛み締めているのに気づいていないと思った?
何年アドラーの幼なじみをやってると思ってるの?
私のせいで、太陽は陰ってしまった。
あなたには屈託なく笑っていて欲しいのに。私のせいで、あなたは心から笑えない。
「……うん、頑張る。いつかアドラーよりムキムキになってみせるんだから。」
私の笑顔はとても下手だったと思う。
でも、それを指摘することなく軽く笑ってくれるアドラー。
「頑張って。僕も、君に負けないように鍛えなきゃ。」
最近、優しいが故の無難さが、私達の間の距離を広げているような感じがした。
もう、私のことをただの幼なじみ、とは思ってくれないのだろう。
『病気』の幼なじみ。
2文字のはずなのに、酷く重いものをアドラーに背負わせてしまった。彼も抱えてしまった。
こんなことを言うのは贅沢だけど。
「ああ、寂しいなぁ。」
ただ野原を駆け回っていたあの頃に、戻りたい。
何も考えずに笑っていられたあの頃に。
アドラーが帰った後の1人の部屋に、私の声が虚ろに反響した。
◆◆◆
「エレン!!」
バタバタと駆け寄ってくる音が聞こえた。
いつも穏やかなあなたにしては、珍しい焦り。
「アドラー。」
どうしたの。と言おうとした言葉は、声にならずに空気に溶けていった。
「……エレン。」
アドラーが私を抱きしめている。ギュッて、痛いくらい。
その背中が震えているのが感じられて、悟った私はアドラーの耳元で微苦笑を漏らした。
「誰に聞いたの?」
「君の母さんから。……目が、見えないんだって?」
いつも元気なあなたから出たとは思えない、小さな声。泣きそうだわ。泣かないで、アドラー。
「ええ。光は分かるけれど、形とか色はあんまり。手足が動かなくなって、次はどこかと思ったら目なのね。」
なんでもないように振る舞う。
アドラーは優しすぎるから、私が泣いたら一緒に泣いてしまう。
「……いつから?」
「2ヶ月くらい前から。」
「……!」
アドラーが息を飲む気配がした。
2ヶ月前に彼は大きな街の商店に就職が決まって、そこから私に会いに来れていなかったから。
気にやまなくていいのに。
そう思うけれど、思っただけで言わない。
私の中の黒い部分が「気に病んでくれないかな」と浅ましく思ってしまう。
そんな自分に嫌気がさす。
「ごめん。なかなか会いこられなくて。」
「ううん、いいの。忙しいんでしょ?働き口が見つかったって聞いたわ、おめでとう。」
「……。」
アドラーが息を詰めて、何かを逡巡するような間があった。
「ねえエレン、」
「アドラー。」
彼が何か言おうとしたのを無理やり遮る。
「アドラーは、私が死んでも笑っていてね。あなたの笑顔が、私好きなの。」
私は醜い女だから、あなたに呪いをあげる。
「アドラー。私、あなたのことが好きよ。」
私をあなたの中に残して欲しい。
私の生きた痕跡を、あなたに刻みつけたい。
あなたの長生きするであろう人生に、私を入れて欲しい。
「それだけ。……ごめんなさい、話を遮って。なんだったかしら?」
「ぇ、あ、ああいや、なんでもない。……エレン。」
「なぁに?」
「僕も、エレンのことが、好きだよ。とても大事なんだ。」
「そっか、じゃあ両思いね私達。」
「そっか。そう、だね。」
「ふふ、嬉しい。」
「ぼ、くも、僕も、嬉しい。……!」
声を押し殺して泣いているあなた。ギュッと私を抱きしめて離さないあなた。
大好きな、太陽みたいなアドラー。
私の脳裏にはニコッと笑ったアドラーと、はらはらと泣いているアドラーの2人がいる。
お願いだから、笑顔のあなたを忘れさせないで。
もう見ることが叶わなくなってしまった私に、笑顔を覚えさせていて。
「大好き、大好きよアドラー。何よりも1番大切なあなた。」
「僕もだよ、エレン。大好き、愛してる。君は僕の1番で、僕は君の1番だから、お揃いだね。」
泣いたあとだから鼻声のアドラー。
愛しいアドラー。そんなところも大好き。
1度体温が離れて、また近づく。アドラーに抱きしめられるの、私大好きだわ。
でも、それよりも。
残り少ない命の女に心を砕いてくれる、優しいあなたが大好きよ。
「ねぇ、アドラー。」
声を潜めて、内緒話をするようにアドラーに顔を近づける。
「なに?」
「私の好きな花、知ってる?」
「……ごめん、知らないや。いつも僕は道端に生えている綺麗だと思った花を摘んで、君の家へ走っていっていたから。」
頬を指でポリポリとかくアドラー。反省してるのかしら。
そんな事しなくても、私、十分嬉しかったわ。
でも教えよう。私の1番好きな花を。
あなたに覚えていて欲しいから。
「勿忘草。」
「ぇ、?」
「私の1番好きな花は勿忘草よ、アドラー。」
どうか、私が死んだ後も私を忘れないで。
私を思い出して笑って。
私もあなたの笑顔を思い出して、きっとどこかで笑っているわ。
私は何も言わずに、アドラーにそっと体重を預ける。
彼の穏やかな心音が私を包んで、もう弱々しくしか聞こえない私の音をかき消してくれた。
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