第16話 西の神殿ツクヨミ降臨
診療所の午後は、いつになく凪いでいた。
ハチは窓辺で「昼寝モード」を装いつつ
ひげのセンサーを微かに動かしている。
ルカは明日の予約ログを整理し、「平和だなぁ」と小さく呟いた。
だが、ナギは煎じ薬の棚の前で動きを止めた。
「……ルカ。気圧計を見て。急激に針が振れているわ」
「え? ……うわ、本当だ! 針が振り切れてる!?」
次の瞬間――ドォン!
物理的な衝撃波ではなく
圧倒的な「気」の質量が診療所全体を揺らした。
バタン! と玄関の扉が、意志を持つかのように開かれた。
流れ込んできたのは、季節外れの澄み渡った冷気と
視界を白く染める高密度の霧。
霧の向こうから、巨躯の白虎が一歩、また一歩と
物理法則を無視した静かな足取りで現れた。
その背には、銀の髪をたなびかせ
古の術式を刻んだ白装束を纏う少女が立っている。
彼女の瞳は、感情のログを一切持たない青白い水晶のようだった。
龍王直属・西の神殿――ツクヨミ。
「……湿地の龍卵、孵化の報を届けに、次元座標を固定しました」
「ひ、ひれ伏せぇぇぇぇ……!!!!」
柱の陰から飛び出したイグナスが、全魔力を放出して床にひれ伏した。
「は、白虎……様!
西の守護システム、ご同輩が直々に降臨されるとは……!」
隣では、ラゼルが完璧な**90度の敬礼**で沈黙を守っている。
だが、ナギの反応は違った。
彼女は首を傾げ、数秒の演算のあと、ぽん、と手を打った。
「ああ。あの火傷しそうな卵ね。無事に孵ったのね。よかったわ」
「ナギさん! もっとこう、神様ですよ!? 歴史的瞬間ですよ!?」
ルカの叫びを受け流し、ナギはさらりと微笑んだ。
「無事に稼働したなら
私のメンテナンスは成功だったということ。それで十分よ」
「龍の卵が孵った今
あなたには次の『世界修復プロトコル(神殿巡り)』への道が
示されるでしょう」 ツクヨミが無機質な声で告げる。
「……それ、神殿巡りの強制クエスト(フラグ)?」
ナギが間髪入れず遮ると、ツクヨミの瞳に初めて
微かな「戸惑い」というノイズが走った。
「……現在は、ユーザーの意思に委ねられています」
「じゃあ、今は保留(保留)。患者さんが待っているから」
ナギの即答に、イグナスが「ヒィ……」と絶句する。
白虎が面白そうに喉を鳴らした。
「いいわねぇ。龍王に直接
『今ヒマじゃないんで』って返信しちゃうタイプでしょ、あんた」
「……報せは終えました。私はこれより帰還のシークエンスを――」
「――って言いながら、泊まっていくわよね?」
ハチが鋭く突っ込むと、ツクヨミは無言のまま視線を逸らした。
代わりに、白虎が大きくあくびをして診療所の床に寝そべった。
「ん〜。今日は休ませてもらうわ。背中の気流が、
ガッチガチなのよね。……天命の気導士さん、診てくれるかしら?」
ナギは既に、鍼箱から「対・霊獣用」の太鍼を取り出していた。
「ええ、もちろん。施術料は『白虎特別割引』で。
……ツクヨミさんも
そこのソファで『龍香灸』を体験していきなさい。
あなたの瞳、演算のしすぎで眼精疲労の気が出ているわよ」
こうして、伝説の「四神」は
ナギの診療所という超高密度のリラックス空間に取り込まれた。
ツクヨミが運んできた「世界の更新」の風は
今はただ、心地よいお香の煙と共に診療所を巡っていた。




