第15話 燃える湿地と龍の卵
龍王直属依頼、その記念すべき第一回。
派遣された座標に足を踏み入れた瞬間、
ナギはぬちゃりと鳴る泥の感触と、頬を焼く熱風に眉をひそめた。
「……計算が合わないわ。湿度100%の泥濘地で
どうして自然発火の炎が定常燃焼しているの?」
「ナギさん、あっちもこっちも火柱ですよ!
物理法則がエラーを起こしてませんか!?」
ルカが悲鳴を上げ
火属性の弟子カルドは半泣きで火打ち石を叩いている。
「先生! 湿気が強すぎて、僕の火属性魔法がノイズだらけです。
着火プロトコルが通りません!」
ナギは腰に手を当て
湿地の深部から立ち上る「気」のスペクトルを分析した。
(火と水の気が、互いを排斥せずに『共振』してしまっている。
……これは単なる気候変動じゃない。
中心に強力な『発信源』があるわね)
「先生! 鍼が熱で溶けちゃいます!」
「だから昨日言ったでしょ。
『試作・高硬度耐火鍼』に装備を切り替えておきなさいって」
「なんでそんな特注品が一日で完成してるんですか!?」
ナギは騒ぐ弟子たちをよそに、泥濘の中へと踏み込んだ。
この地は、冷却の「水」と活性の「火」が
正反対のベクトルのまま無理やり同期させられている。
その歪みが、空間そのものを発火させているのだ。
炎のカーテンを潜り抜けた先、湿地の中央にそれは鎮座していた。
直径60センチほどの、虹色の鱗模様を持つ卵。
「……イグナス。これ、ただの魔獣の卵じゃないわね?」
肩の上で、イグナスが全身の鱗を逆立てて硬直した。
「……間違いありません。
龍王直属院が初任務にここを指定した理由……。
これは、次代のシステムを担う**『龍の卵』**です!」
「この子、悪夢でも見ているのかしら」
「卵内部の魔力圧が限界値を超えています!
その余剰エネルギーが漏れ出し
周囲の地脈を焼き焦がしているのです!」
ナギは湿った地面に膝をつき
卵の表面に流れる「気の等高線」を指先でなぞった。
(火の暴走を抑えるのではなく
水の気をバイパスにして熱を逃がす……。ここね)
「いくわよ。深部までパスを通すわ」
ナギが取り出したのは、『試作・調湿調律鍼』。
火と水、二つの相反する属性をブリッジ(橋渡し)し
循環へと変えるための特殊な鍼だ。
そっと、気の結節点へ刺入する。
その瞬間、湿地を覆っていた狂乱の炎が
ふっと吸い込まれるように消失した。
「……温度が、下がっていく」 ルカが驚きの声を上げる。
「熱いけど……すごく、心地いい熱だ。お風呂みたいに……」
「……成功ね。この子の『排熱処理』を正常化したわ」
ナギが卵に手を添えると、卵は感謝を伝えるように淡く明滅した。
焦土だった足元から、奇跡のように瑞々しい芽が顔を出す。
「この龍……目覚めた時には、火を癒しのエネルギーに変換できる
『調和の龍』になっているはずよ」
「龍界の記録を塗り替える事象です……」
イグナスは震える声で言った。
「ナギさまが触れたことで
この卵の属性そのものが『進化』した……」
帰り道、
鞄の上で泥に汚れた毛を気にしながら、ハチがぼやいた。
「月イチの任務が、世界の根幹の修理なんて……。
あんた、完全に龍王にいいように使われてるわよ」
ナギは夕焼けに染まる空を見上げた。
「いいのよ。これくらいが仕事のやりがいとしてちょうどいいわ」
だが、ナギは気づいていなかった。
卵を調律した瞬間、彼女の鍼から流れた「気」が
地脈を通じて四方の果て
――眠れる四神たちの意識にまで届いたことを。
ついに、物語の歯車が「診療所」の枠を超え
世界そのものを動かし始める。




