第14話 龍王の使いアーベル
診療所の午後は
煮沸器が奏でる一定のリズム(パルス)に包まれていた。
ハチはリリナの机の上で
彼女の持つ「穏やかな気」をサンプリングするように丸くなっている。
平穏な、変わり映えのしない日常。
……だが、その静寂を、控えめだが必死なノック音が破った。
「し、失礼いたしますっ……!」
扉から滑り込んできたのは、
黒いスーツに眼鏡をかけた細身の青年だった。
両腕には物理的な重さを超えた「情報の束(書類)」を抱え
その表情には深刻な「緊張ノイズ」が走っている。
「龍王直属・補佐室所属、
使令の……えっと……アーベルと申します!」
ナギは鍼の検品を止め、眼鏡の奥で泳ぐ彼の瞳を観察した。
「……イグナス、彼が例の『全滅した伝令部』の生存者?」
「はい。最もストレス耐性が高く
かつ実務処理能力に優れた個体です」
肩に乗ったイグナスが冷静に補足する。
アーベルは震える手で書類を机に広げた。
「先日登録された『龍王直属院』の稼働状況を確認に参りました。
……ですが、龍王様からは『今のままの運用でよろしい』
との承認ログを預かっております」
「干渉しないと? 随分と物分かりが良くなったわね」
ナギの言葉に、アーベルは背筋を伸ばし、本題を切り出した。
「条件がございます。現在、龍界では後進の育成が急務です。
そこで、当院に『付属研修所』を設立し
ナギ先生の技術を形式知化(マニュアル化)していただきたいのです」
リリナが素早く反応した。
「……予算の出処は?」
「命継庁より、運営維持費を全額支給いたします!」
「条件は?」 ナギの鋭い問いに
アーベルは覚悟を決めたように応じた。
「月に一度、龍王様より直接指定される
『超高難度バグ(地脈の歪み)』の調律依頼をお引き受けいただきたい。
……あくまで業務委託としてです」
「月イチの外部委託……。
使命という重い看板を下ろして
実務的な契約に切り替えたわけね」
ハチがしっぽを揺らす。
「向こうのOSも、ようやくあんたの仕様に
最適化してきたみたいね」
ナギは書類の条件欄を指でなぞった。
「いいわ。引き受ける。
世界を救うなんて大袈裟なことは言わないけど
気が詰まっている場所を放置するのは
気導士として生理的に受け付けないから」
「……よろしいのですか!?」
「仕事の延長なら、断る理由はないわ。
ただし、現場の判断は私が決める。それでいい?」
「承知いたしました!
龍王様も『彼女の裁量に任せよ』と仰っております!」
アーベルは歓喜に震え、深く一礼して立ち去ろうとしたが
――派手な音を立てて机の脚に膝をぶつけた。
「――っ!? い、異常なしです! 失礼します!」
顔を真っ赤にして、データの塊(書類)を抱えたまま
彼は嵐のように去っていった。
扉が閉まり、再び静寂が戻る。
ナギはふう、と息をつき、淹れたての茶を啜った。
「……さて。
明日からは『研修所の設立準備』というタスクが増えるわね。
ルカ、まずは資材の棚卸しから始めるわよ」
「了解です、ナギさん! ギルドがどんどん大きくなりますね!」
イグナスがナギの肩で、ぽつりと呟いた。
「……アーベル殿、帰りに胃薬を買えていると良いのですが」
「大丈夫よ。次に来た時、彼の胃のツボに特製のお灸を据えてあげるから」
こうして、ナギの診療所は**「龍王直属」の権威を「予算」に変え
マイペースな「業務」として世界の深部へと関わっていく**ことになった。
それは英雄譚の始まりではなく
最強の技術者による、果てなき「保守点検」の始まりであった。
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