第11話:イグナスの上司来たよ
その朝、診療所の屋根になにかが着地した音がした。
「……今の音、なんか、ズシンて……」
ルカが顔を出すと、そこにいたのは──
漆黒のロングスーツを着た、銀髪の青年。
左胸には小さな“龍の紋章バッジ”。
「“龍界・命継庁”直属第三位使令、**ラゼル**と申します」
「あ、なんか……面倒くさそうな人きたー!」
「失礼ながら……“ナギ・セセリ・トオヤさま”?
……そのお名前、軽々しく口に出来かねますが・・」
ナギは鍼の整理をしながら、素っ気なく返した。
「はい。ツボ担当です。ご予約は?」
「……いえ、本日は、“使命放棄通知に対する状況確認”のため──」
「出してないです、その返信」
「……やはり」
ラゼルが眉間を押さえた。
イグナスがひょこっと棚の上から顔を出す。
「ようこそ、上司殿。お待ちしておりました」
「イグナス……なぜ報告が一件も上がっていないのです」
「ナギさまが“そっとしておいてほしい”と……」
「あなた、龍界の機密を“個人の感情”で留め置いていたのですか!?」
「診療所が忙しくて」
「忙しさで、使命をスルー!?」
ラゼルはスーツの裾を正し、姿勢をピンと伸ばした。
完璧な礼法。龍界の威厳。隙のない立ち居振る舞い。
──だったのだが。
その足元に、ハチが使用済みの鍼煮沸鍋を置いた瞬間、
「ちょ、ちょっと待って!? それは熱いやつでは!?」
「邪魔だから避けて。燃えると面倒」
「……猫、喋りましたよね今……」
「それが何か問題?」
「いえ、何も……」
診療所の空気は、完全に彼を染め始めていた。
その後。
バッカスがやってきて、勢いよく診療所のドアを開けた。
「ナギ先生! 昨日の灸、最高だったぞ!」
ラゼル(心の声)
《バッカス治癒官……かつて我々の任命治癒班にいた人物……
今や“お灸の神”と噂されているが、なぜここに……?》
受付では、ユリが記録帳を広げ、
今日の患者傾向を統計化していた。
「本日も、脈乱れ3件、魔力枯渇2件、愚痴と胃痛が1件ずつ……」
「診療所で愚痴……?」
「鍼で治りますから」
やがて、ルカが言った。
「ラゼルさん、お灸やってみます?」
「えっ、あ、私はそのような庶民的な……」
「“灸魂・低温式”でいきますよー!」
「いやだからそれ、魂とか込めなくていい──
あったかい……!? なにこれ……!?」
ふわっと立ち昇る、龍香灸の煙。
そこに、ラゼルは完全に**落ちた。**
その後。
鍼と灸と脈のトリプルコンボで整えられたラゼルは、
ふらふらと立ち上がる。
「……使命……どうでもよくなってきましたね」
「ようこそ、癒しのツボ空間へ」
ナギが微笑み、ハチが一言。
「また一人、染まったわね」
イグナスが横で微笑む。
「“気導士ギルド”へようこそ」
ラゼルは空を見上げた。
「……この世界を整えるのは、
“使命”じゃなくて“日常”なのかもしれませんね……」
そう呟きながら、彼は診療所の扉を振り返りつつ帰っていった。
果たして、彼は無事に龍界へ報告できるのだろうか──
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