そして稲穂に花が咲く
「……ということなんです。俺、どうすればいいんでしょう」
その日の昼休み。
俺は担任の保森先生に空き教室をとってもらって、そこで一切の事情を打ち明けた。
「それは……本当に大変だったね、椎日くん。私に相談してくれてありがとう」
保森先生が、細い指で俺の頭を撫でてくれる。
麻依とは違う、柑橘系のさらりとした香水の匂いがした。
「安心して。そういうことなら先生、頑張っちゃうから!」
先生が両手を握りしめ、可愛らしくガッツポーズをする。可愛らしい人だ。
保森先生はずいぶん年上ではあるけど愛嬌があって、生徒からも人気がある。噂では独身の男性教師たちが全員彼女を口説こうと躍起になっているらしい。
それに、愛嬌や見た目だけじゃない。怒るべき時はしっかり怒って、責任感も正義感も強い。そういう芯があるところも人気の秘訣なんだろう。
「でも、実際どうするんですか? あいつ、俺がどれだけ拒絶しても本当に効かないんですよ」
不安になって聞くと、保森先生は指を立ててメトロノームのように振った。ちっちっち、というわかりやすい擬音を口にしながら。
「お忘れかな~、椎日くん? 昨日、三者面談のお知らせを配ったじゃない」
「あ……!」
そういえば、記憶にある。私たちは隣県に住んでいるし、仕事で忙しいからおばあちゃんに頼むように――と母親から言われたことも。
その件に関しても、保森先生に相談したのだ。先生は事情をくみ取ってくれて、快諾してくれた。
ばあちゃんが来るのかよ。大丈夫か? 倫理的に。
そう思いはしたけど、まあ麻依が普通に学校通ってる時点でなにも問題ないかと思い直した。
「麻見さんのお母様は前から知ってるの。ちゃんとした人だから、しっかり話せばわかってくれるよ」
「だと、いいんですけど」
不安だ。麻依の母親には会ったことがないが、あの麻依の母親という時点で不安すぎる。
その心中を察してか、保森先生は俺の手を包み込むように握ってくれた。
「大丈夫、先生が一緒だよ。辛いことや面倒なことをするのが大人の役目なんだから、どーんと任せておいて! ビシッと言ってあげるから!」
「先生……! ありがとうございます!」
先生の手を握り返すと、なんだか力が湧いてくるような気がした。
そうだ、最初から勇気を出して、堂々と相談すればよかったんだ。
だって、俺はまだカンナビノイドを摂取していないんだから。やましいことなんてなにもない。
「それじゃ、とりあえずこの話は先生と椎日くんの秘密ね」
「はい! ありがとうございました!」
机の少ない寂しい教室が、なんだか居心地良く感じた。
席を立ち、他の生徒が廊下にいないことを確認してから外に出る。
あとは三者面談を待つだけだ。ばあちゃんが来るということで少し憂鬱だったけど、楽しみになってきた。
その時だった。
「でーいちくぅん? なんだか、楽しそうだねぇ」
俺が笑みを隠せないでいると、誰もいないはずの廊下で、背後から声が聞こえた。
体が硬直する。冷や汗がにじむ。
この甘ったるい声、そして野性味のある香り。
五感が悲鳴を上げて、俺に危機を伝えてくる。
「ま……麻依……」
「うん、わたしだよぉ。どこにいたのぉ? お昼一緒に食べようと思って、ずっと探してたのに」
麻依が蕩けた笑みで、そう言う。
まずい、聞かれたか?
いつからここにいた?
先生と話している間も廊下が気になって、何度も扉の小窓から外を見た。その時はいなかったのに。
「いや、別に……」
頭が真っ白になって、うまい言い訳が思いつかない。
俺がしどろもどろになっていると、麻依は不思議そうに首をかしげ、それから何も考えていなさそうな声を出した。
「ま、いっかぁ。食堂いこぉ、でーいちくん。かすみちゃんも待ってるよぉ」
「……言っとくけど、お前の作った弁当は食べないからな。なに入ってるかわかったもんじゃないし」
「えー、ひどぉい。わたしのこと、信用してないの?」
「でも、食べるっていったら混ぜるんだろ? 大麻」
「うん、もちろん」
「もちろんじゃねーよ!」
ツッコむと、麻依はいつものように笑った。相変わらず目は怖かったが、少しだけ安心した。
そうだよな。いつもトロンとして、俺の話もまともに聞いてない麻依がめざとく先生への相談を聞いていたわけがない。
結局、昼食は普通に学食を食べた。当然、なにか混ぜられている気配もなかった。
今朝自宅を特定されたショックで、疑心暗鬼になってるのかもしれない。もう少し余裕を持たないと、麻依の思うつぼだ。しっかりしよう。
そう、思っていた。翌日の朝までは。
昨日と同じように俺、麻依、霞の3人で登校し、朝のホームルームを待っている時だった。
「えー……ホームルームを始め、ます」
教室に入ってきたのは、化学の風見先生だった。
細身で猫背、自信のない顔。いかにも気力が欠けている様子で、生徒たちからもからかいの対象になっていた男性教師だ。
教室がざわめく。異変を察したクラスメイトの女子生徒が手を上げた。
「あの、先生。保森先生は?」
「え、あ、その……保森先生は逮……ではなく……体調不良で、しばらくの間お休みされることとなり、ました。なので、僕が代理で……君たちのクラスの担任になり、ます」
「体調不良?」
「どうして?」
「昨日は元気だったのに。大丈夫?」
クラスメイトたちが口々に言う中、俺は背筋が凍っていくのを感じていた。
皆の言うとおりだ。昨日の保森先生に無理をしているような様子は一切なかったし、仮病で学校を休むような人でもない。むしろ、軽い熱くらいだったら無理をしてでも学校に来るような人だった。
そんな保森先生が急に、しかもしばらくの間休む――その理由に、俺には1つだけ心当たりがあった。
「お前、まさか……!」
そう聞くと、麻依はにっこりと微笑んで、緑の人差し指を立てて唇に当てた。




