5.男の本性
「ひでぇやつ。リュシアさんはおまえに尽くしてくれてるのに……それなのに、そんな扱い?」
「惚れた男のためなんだからあいつも幸せだろ? ほら、ああいう女いるじゃん。真面目で不器用で、“あの人には私しかいない”って思い込んで尽くしてくれるやつ」
誰かが息を呑むような音を立てた。友人たちは顔を見合わせると、揃って眉をひそめた。
「……おまえ、それ本気で言ってんのか?」
「はは、なんだよ、説教か? 俺がどん底だった時期、あいつはこれ見よがしに俺を憐れんで近づいてきたんだ。別に俺、頼んでねえし」
「だけど、いくらリュシアさんでもあの若さで家を買うお金なんて……」
「あいつ、親の遺産がたんまりあったんだ。俺には内緒にしてたけどな」
ダリオは上機嫌で酒を追加し、給仕の女性のお尻を撫でたりとやりたい放題だ。その様子に友人たちは呆れながら尋ねた。
「まったく……確かに、アルフェネ商会と言えば人気店だし、かなりの稼ぎはあるんだろうけど」
「そう、それな。だけどあいつ、金にうるさくて。自由に使わせてくれねえしよぉ。……だからここだけの話、アルフェネ商会の名義を勝手に変更して俺のもんにしてやったんだ。経理の女を垂らし込んだら、割と簡単にできて自分でも驚きだぜ。リュシアは忙しすぎて店の権利関係の書類がなくなっていることに気づいてないけどな! はははっ!」
「え? あの店、彼女が両親から引き継いだんじゃなかったか? おまえって……ほんと、最低だな」
「いや、あの古びた店がさぁ、思ってた以上に価値があってびっくりだよ。抵当に入れたら銀行がいくら出してくれたと思う? 目ん玉飛び出るくらいの金額だったんだ! うはははっ! 脚もとっくに治ってるし、そろそろまた騎士としてモテモテ生活に逆戻りだぜ! 適当に騎士団で働きながらいいい女物色して、贅沢三昧するぞ~!」
その会話から数席離れた奥のボックス席。グラスに手を伸ばしかけた男が、そのまま手を止めた。
「……胸糞悪いな」
紫紺の髪の美しい男が、大声で話す彼らの声に眉を顰めると、ややつり上がった赤眼で睨むような視線をカウンターへと向けた。
ネルは、グラスを指先で回しながら、じっとダリオの背中を見据える。
「人の優しさに寄りかかって、ああして笑ってるやつは、いつか報いを受けて堕ちていくな」
向かいに座る従者のヴィセリオマス・エルマー――通称ヴィスは、その言葉に「同感です」と答えた。サラサラな赤茶色の髪が揺れ、美しい水色の瞳にかすかな怒りが滲む。
寡黙な男だが、ダリオの話にはそれなりに腹を立てているらしく、不機嫌そうな表情が浮かぶ。
「市民って世知辛ぇんだなぁ……。いや、まあ知ってたけど、想像より三割増しで泥くさいっていうか」
「市民は市民で貴族社会の不条理さに驚くと思いますよ」
「それ、慰めになってねぇよ……」
ふぅと息を吐いて、ネルはグラスをあおる。その横で、ヴィスがちらと視線を滑らせた。
「……ところで、縁談はどうなさるおつもりですか」
「ごほっ」
ネルはほぼ反射的にむせかけ、咳を一つ。口元を拭いながら声を顰めた。
「勘弁してくれよ……おまえ、酒の場でその話を出すなよ」
「たしか留学中、かの王女殿下は貴方が逃げたら追いかけると仰っておりましたね」
「縁起でもない……」
ネルはぶすっとしながら、「俺は商人になるのに王女なんて」と、グラスを口にする。
「そうやって逃げるおつもりですか」
「逃げてない、戦略的撤退だっつってんだろ。それより今は、ようやくあの硬派気取りだった商人から“ぜひうちの商品も”なんて手紙をよこされたんだ。しばらく忙しくなりそうだな」
「飛ぶ鳥を落とす勢い、とまで評されたからでしょう。クラヴァン・トレード商会の名が、ようやく王都に根を下ろした証です」
ヴィスが淡々と返すと、ネルは眉を上げて笑った。
「根を下ろすも何も、まだ店舗もないけどな。倉庫兼事務所の一角は壁から雨漏りするってのに。……でも、やっぱりあれだな。物が良けりゃ、泥でも宝に見えるってやつだな」
「留学先だった他国の商品を持ち込み、あれよあれよと商会を大きくされましたが……ネル様、今後はどうされるおつもりで?」
「上にいる三人の兄さんたちとは違う形でこの国に貢献するさ。……商いでね」
そう言うとネルはグラスを持ち上げた。
「エリザナス王国の誇る文化や製品をもっと諸外国へ広めたいが……中でも刺繍技術はもはや芸術品だ。これを他国との懸け橋にしながら、兄たちの役に立てるよう外交ルートを切りひらいていこうと思ってる」
「そのためにも、国内でもう少し拡大しておきたいですね」
「ああ。……それにしても、アルフェネ商会は心配だな。あそこにいる男がオーナーになるなら、取引先は検討し直した方がいいかもしれない」