52.祝福
「気が焦ってしまって申し訳ない。順序が悪かったな。リュシア。新しい家族がひとり増えることをうれしく思う」
「リュシアさん、これからよろしくね。エルネリオからすでにご両親は他界されていると聞いているわ。わたくしのこと、本当の母親だと思ってちょうだいね」
「……え?」
意味がわからず混乱していると、ネルさんが両陛下たちへ鋭い視線を送った。
「先にそれを言ってくれればいいのに。リュシアを追い詰めるような言い方をして……」
「エルネリオが悪い」と言ったのは第二王子だ。
「おまえが王籍を抜けて市井で暮らしたいというから、この二か月ずっと話し合って来たじゃないか。最終的に二人で話し合うからとは聞いていたものの、そもそもプロポーズすらしていないなんておととい言い出すから……」
「そ、それは、準備するものがあっただけで――兄さん。リュシアの前で恥をかかせないでよ」
むっとした表情のネルさん。えっと、話の流れからするに……?
かいがいしく私の目尻にハンカチをあてるネルさん。その姿に向けた皆様の視線が生温かい。
「リュシアさん、誤解させるようなことを言ってごめんなさいね。わたくしたち、あなたたちの婚約は大歓迎よ。ただ、エルネリオが王籍を抜けることに反対しているだけなの」
「そうなの。ねえ、エルネリオ。リュシアさんが王子妃になる負担を心配しているのよね? 公式行事だけ王子妃として出席してくれればそれでいいのよ。エルネリオだって普段そうしているじゃない」
その後、皆様からの全力の説得にネルさんが私の気持ちを聞きながら折れる形となり――。
私たちは今まで通り商会を運営しながら市井と宮殿を行き来し、公式行事のみ公の立場として参加することで折り合いをつけたのだ。
これは元々、ネルさんと私とで話し合っていた形でもある。王籍を抜けるというのは責任の放棄に繋がるんじゃないかと話し合い、それなら一緒にその責任を負いつつ、商会を通じて国に貢献していこうと決意していたのだ。
王族としての作法に不安は多いものの、頼りになる王妃様や三人の王子妃様のサポートを受けながら、これから頑張っていこうと思う。
*
一年後――。
私とネルさんは盛大な結婚式を挙げた。
王族御用達のドレス職人と相談しながら、刺繍は自分の手でも入れさせてもらい、控えめな装飾ながらも芸術的な刺繍を施した唯一無二のウェディングドレスが完成した。
刺繍の国らしい豪奢なドレスは他国の賓客からも評価され、この国の伝統にひとつ貢献できたのかな、と思うとうれしい。
厳かな神殿で儀礼に則った式を挙げ、三日に及ぶ結婚式には市街のパレードも含まれ――。
花々で飾られた馬車からネルさんとともに手を振る中、大歓声をあげる見物客の中にはアルフェネ商会やクラヴァン・トレード商会の従業員、商会を利用してくださるお客様や生徒さんなど、知った顔も多く。
びっくりした顔や涙ぐむ顔に泣き笑いしながら、たくさんの人からの祝福を受けた。
馬車の中、ふと顔を寄せてきた彼に名前を呼ばれる。
「リュシア」
「ネルさん? ……じゃなかった、ネル」
「ん。俺の聖女様は大人気だな。すごい歓声だ。だけど……もう俺以外のやつに刺繍するのは禁止な」
「え? だ、だけど糸守人の仕事が……」
「人材を育てるのもリュシアの仕事。糸守人は卒業」
「えぇっ? だけど王子妃様たちが……」
「ダメ。俺の許可を取って」
意外とヤキモチ焼きなのね、と思いながら、私はこれからネルだけのために刺繍を刺していくんだろうなと笑ったのだ。
そして、私たちは今まで通りお互いに商会を運営しながらも、できる限り公務も請け負うことになった。
結婚式から数か月後。その日は地方で新たに始まった鉱山事業の慰労を兼ねて視察へ。
重労働を行う人たちの中には、かつて罪を犯した人も含まれているらしい。大変な環境だろうけど、精一杯取り組んでいつか胸を張って社会に復帰してくれればと心から願う。
案内役に続き、護衛に囲まれながら視察をしている時だった。鉱山の見学を終え、市街地を歩きながら説明を受けていると、ボロボロの布切れを纏った男性が視界の隅で倒れる姿に気づいた。泥にまみれやせ細った男性は、つまずいて顔から強打したように見える。
はっとして駆け寄ると、護衛が慌てて止めに入るのも構わず、私は腰をかがめ彼にハンカチを差し出した。




