51.宮殿へ
その後は急展開だった。ネルさんは私の手を引くとそのまま馬車へ連れ込み、宮殿へ。仕事終わりの普段着のまま王宮に行くなんて嫌だと言ったものの、聞いてくれず。
到着した宮殿ではにこにこ顔の使用人の方たちが出迎えてくれ、何度か顔を会わせた執事の方はハンカチで目元を拭う始末。
侍女の方たちが我先にと競うように私の世話を焼いてくれ、リュシア様、リュシア様と気遣ってくれたのだけど、居心地が悪すぎる。
すでに夜も更けナイトドレスに着替えさせられた私は、ぽつんと寝室に置き去りにされ、呆気に取られていた。そこへまだ濡れた髪のままガウンを羽織ってやって来たネルさん。私は顔を真っ赤にして慌てふためいた。
「あ、あの、ネルさん。その、こういうことはその……」
「お腹、空いてない? もう遅いから軽食を用意させたんだけど」
「いえ、その……」
緊張してとてもじゃないけど、何かが喉を通る気がしない。ガチガチに緊張する私にネルさんは眉を顰めると、しばらくしてから目を見開いた。
「なっ……おまっ! そんなつもりはない! 夜も遅いし、家に帰すのも何だかと思って、何もないタウンハウスよりこっちの方がリュシアもゆっくりできると思っただけで……!」
「そ、そうですよね……」
「そうだよ。俺たちまだ、……んんっ。俺は自分の部屋で寝るから安心しろ。それに、これからのことも話し合おうと思って。おまえも不安だろ?」
その夜、私たちはお互いにどうしたいのか話し合い――。
結論が出たことで、翌日一緒に報告をしようということになったのだけど。
ネルさんがあらかじめ話があると伝えていたのか、翌朝の両陛下が暮らす宮殿のダイニングには長テーブルにずらりと並んだ王族の皆様。
「リュシア様、戦闘服ですわ」とネルさんの侍女さん達にドレスを着せられ、ネルさんと向かった先。一歩足を踏み入れると、すでに到着していた皆様の視線が一斉に向けられ、――猛獣ひしめく檻の中に入れられたウサギの気分だ。
何を言われるんだろう。家族のこと? 爵位や学歴のこと? 女だてらに商会を運営しているなんて、卑賤な者と言われても仕方がないけど。
戦々恐々としながら、せめてネルさんを想う気持ちだけは嘘偽りないのだと伝えたい。そう思い重ねた手にぐっと力を籠めると、ネルさんがそっと私の片手を取った。耳元で「心配いらない。俺がおまえを守るから」とささやかれ、胸が跳ねる。
席についても誰も口を開かず、しんと静まり返った。
「……彼女がリュシア・アルフェネ。何度もお話しした俺の大切な人です」
毅然とした口調のネルさん。思わずその横顔を見つめると、ネルさんはまっすぐ両陛下へ顔を向けていた。
長い沈黙の後、国王陛下が口を開いた。
「……エルネリオ。許さんぞ」
「そうよ。わたくしたちが認めるとでも思って? あなたたちからも言ってちょうだい」
両陛下は反対のようだ。そりゃそうだろう。隣国の王女様とネルさんが婚姻を結べば、両国にとって得られた物は大きかったはず。それに、国内にだって三大公爵家のご令嬢が一人、適齢期を迎えていると聞いている。
「……ああ。エルネリオ、おまえの考えはこの二か月間聞き飽きた。到底認められない」
「そうよ。もう諦めたと思ったのに、エルネリオったら……」
王太子夫妻は困った子ね、とでも言いたげだ。
「エルネリオ。かわいい弟のわがままは何でも聞いてやりたいが、それだけはダメだ」
「ごめんなさい、わたくしも夫と同じ意見よ」
宰相補佐でもある第二王子とローズティーを御馳走してくださったシェリル妃様は、面識があるからか私を気遣しげに一瞥した。
――こんなにも反対されて、私たちは幸せになれるんだろうか。
息苦しい。ネルさんが贈ってくれたハンカチを握りしめ、私は視線を落とした。
次に口を開いたのは、第三王子エスファレイン殿下だった。
「あー、うん。俺は第三王子であり騎士団長でもある。不器用な俺だが、ちょっといいだろうか。……この会話の流れ、リュシアさんは誤解していないか心配なんだが」
その言葉に顔を上げると、筋骨隆々の第三王子が眉尻を下げながら私を見つめていた。意味がわからないまま、その真意を探ろうと言葉を待つ。すると、その隣にいる第三王子妃アリス様が口を開いた。
「わたくしも夫と同じ想いで聞いておりましたわ。リュシアさん。エルネリオとのご婚約、おめでとうございます。愛らしい妹ができてうれしいわ」
「……」
よくわからないけど、認めてくださる方もいるのかと思ったら、涙が滲んできた。ネルさんが私に気づき、はっとして手を握ってくれる。
「……リュシアを泣かせるようなことがあったら、二度と王宮には足を踏み入れないって何度も何度も言いましたよね?」
「ち、違うんだ、エルネリオ。私たちはただ……」
冷え冷えとしたネルさんがすごい剣幕で両陛下や王子たちへ反抗する姿に、申し訳ない気持ちになる。仲良し家族で知られているのに、私のせいで――。
彼らのやり取りがまったく頭に入ってこず、緊張もあって頭の中が真っ白になった時だった。
ごほんと大きな咳払いの後、ダイニングが再びしんと静まり返った。両肘を立てた陛下の私をじっと見つめる瞳。その目が柔らかく弧を描く。




