44.ネルの正体
納品や出荷作業で慌ただしい倉庫で、検品の作業を手伝っていた私のもとに、マティルダの孫――サムが血相を変えて駆け込んで来た。
十歳の彼は私のことを“おばあちゃんの弟子”で、糸守人だと知っている数少ない一人でもある。
「リュシアッ! た、大変……っ!」
「サム? どうしたの?」
つい先日会った時は元気だったのに、まさかマティルダに何か――!?
よくない不安が頭の中を駆け巡り、急いでサムに駆け寄る。その様子を近くで見ていたネルさんも、心配そうに近づいてきた。
彼の手には、握り締められた便箋。
「リュシア、ばあちゃんが……、ばあちゃんが、糸守人だって名乗って! 王宮に連れて行かれちゃった……! どうしよう!」
「え……?」
一体、どういうこと? どうして王宮が糸守人を?
震える小さな手が差し出したのは、マティルダが残した手紙だった。
私以外が見ることも懸念したのか、心配ない、驚いただろうが落ち着いて待っていなさい――そんな内容だ。
「落ち着いて待っていなさいだなんて……。そんなこと、できるわけないじゃない……」
私のせいでマティルダが連れて行かれたのに、待っていろですって?
糸守人に何の用があって呼び寄せたのかわからないけど、マティルダはリウマチで刺繍ができないのに。
「何なの……? 王家は何をしたいの?」
先日のセリナもしかり。刺繍ができる人を探しているようだけど……。もしかして、マティルダもセリナのように宮殿に閉じ込められて、ハンカチの刺繍を縫うまで帰らせてもらえなくなるのかしら。だとしたら、針を持てないマティルダは帰って来れない――。
私はぐっと唇を噛み締め、目に涙を浮かべるサムを見つめた。
「私が王宮に行って、マティルダを連れ戻してくるから安心して」
「待て、リュシア。俺が行ってくる」
「ネルさん……」
私のすぐ横で、ネルさんは顔を歪めていた。王家の横暴に一緒に怒ってくれているのかしら。だけど、王家はクラヴァン・トレード商会にとって失いたくない顧客。私のせいで巻き込むわけにはいかない。
「いいえ、これは私の問題です。商会にご迷惑はお掛けしません」
「リュシア。気持ちはわかるが、おまえが行ったところで門前払いだ。中に入れてももらえないぞ」
「……何とか、します。……マティルダをこのまま放っておけません」
方法はまったく思い浮かばないけど、……取り繕ってでも門番の足に縋りついてでも、マティルダを迎えに行かないと。私の師匠でもあり、大切なパートナーなのだから。
しばらくネルさんと言い合いになったけど、そのうち、私が折れないと思ったのか。彼は顔を歪めながら髪をくしゃりとかき上げ、大きく息を吐いた。
「……っ。もう、どうしてこう……わかった。じゃあ、一緒に行こう。通行許可証は俺が持ってる。馬車を出す」
「っ! ありがとうございます……!」
急ぎ乗り込んだ馬車の中は沈黙のまま。ネルさんが急がせてくれ、馬車はいつもより揺れが大きい。そのたびにネルさんが心配そうに私へ目を向けてくれるのはわかっていたけど、それどころじゃなかった。心の中は、マティルダが酷い目に合っていないか、責められていないか――。高齢で手も不自由なのに……。
「……糸守人が何をしたって言うの?」
誰に聞かせるでもなく、ぽつりと零れた言葉。
頭が混乱し、涙が滲む。誰かの想いを代わりに縫い留めることは、そんなにいけないことだったんだろうか。
目が不自由な人、身体的に刺繍ができない人、家庭の事情で縫う時間が取れない人――そんな人の想いを請け負っただけなのに。
「リュシア……」
ネルさんは私の隣へ座ると、そっと手を重ねてきた。
「大丈夫。マティルダさんは危険な目になんて合ってない。俺を信じろ。だから――泣くな」
「……」
ネルさんの気遣いが心にじんわりしみ込んでいく。そうよ、泣いている場合じゃない。
私は目元を拭い、こくりと頷きながら、気持ちを奮い立たせた。
窓の外に王宮の正門が見えてきた。重厚な門を警備する騎士が、ネルさんの姿を認めるや否や、道を開ける。
門番が深々と頭を下げ、馬車は呆気ないほど簡単に敷地内へと進んで行った。
「おそらく、政務塔にある宰相補佐室にマティルダさんはいるはずだ」
ネルさんはそう言うと政務塔の前で馬車を止め、私についてくるように言った。
まるで勝手知ったる建物のように、迷うことなく足を進めるネルさん。王子妃様たちだけじゃなく、政務塔にいる大臣たちにも商品を売っているのかしら。
彼の大きな背中を追っていくうちに、ふと周囲の異変に気づいた。侍女や使用人たちはすれ違いざまに足を止めると脇に身を引き、頭を垂れている。文官たちも同様に、会釈をすると道を開けるかのように脇に逸れる。人気商会の商会主だとしても、……こんなに礼を尽くすもの?
ううん、何かが、おかしい。王宮にいる人たちがネルさんに対する扱いは、まるで――。
「ネルさん……?」
彼の背に問いかけるも、前だけを見つめたまま。その表情は窺うことができないけど、張り詰めた空気を感じた。
「……あとで、話すよ。今は、マティルダさんを優先しよう」
唇をぐっと噛み締め、私は言葉もなくその背中を見つめた。胸の奥が、針で刺されたようにちくりと痛む。




