42.理想の男性像
その後、セリナがどうなったのかはわからない。何か喚いていたけど、シェリル様が指示を出され、侍女たちが彼女を取り囲むと静かになっていた。
早く帰ろうと思ったのだけど――なぜか今、私はシェリル様の宮殿にいる。
『薔薇が見頃だから付いてきなさい』
シェリル様はそうおっしゃると、有無を言わさず私を馬車に載せた。
到着した宮殿には多くの使用人が待ち構え、そのまま庭へと案内される。薔薇の香りがどこからかふんわりと漂う中、目の前には緑の生垣に囲まれたかわいらしいガゼボ。
真っ白なティーテーブルにお揃いの華奢な椅子、薔薇のアーチに囲まれた美しい庭に、ティーセットが用意されていた。
「どうぞ、お掛けになって」
「あ、ありがとうございます……」
――どうしてこんなことになったのかしら。
クラヴァン・トレード商会を出る時は、こんなことになるだなんて想像もせず。緊張してお茶の味がわかる気がしないし、おいしそうな一口サイズのお菓子も食べられそうもない……。だけど、まったく手をつけないのもダメよね。
学生の頃、授業で習った作法を頭の片隅から引っ張り出そうと必死な私に、シェリル様は目を細めた。
「あなた、セリナとはどういう仲だったの?」
給仕を受け緊張している私に、シェリル様は直球の質問を投げてきた。シェリル王子妃の声は柔らかだったけれど、見定めるような目に身がすくむ。
「学生の頃に少しだけ仲良く……今はもう、ただの同級生です」
「なるほど。アルフェネというと、あのアルフェネ商会のお嬢様なのね。だから、セリナはあなたに連絡を取ったと……」
ぶつぶつと思案に暮れるシェリル様の向かいで、私は緊張しながらティーカップをそっと口に運んでみた。ふんわりと広がるローズの香り。ローズティーのようだ。目を瞑りながらその香りを吸い込むと、少しだけ心が落ち着いた。
シェリル妃様はローズティーに口をつけながら、視線だけを横に流した。すぐ近くで控えていた侍女が、そっと耳打ちをする。
その瞬間、シェリル妃様の目が、ぴたりと私の目を捉えた。
「……あなた、クラヴァン・トレード商会に勤めているのね」
あ、そうか。王子妃様たちはクラヴァン・トレード商会から異国の品を買い求めているらしいから、ご存じだなのだと気づく。ネルさんは時に厳しいお叱りを受けているような雰囲気だったけど……。
少しでもいい印象を持ってもらわなくちゃと、小さく拳を握る。
「はい。実はアルフェネ商会は詐欺で奪われてしまい……。その後、ご縁があってクラヴァン・トレード商会で働かせていただいております。ネルさんはとってもいい人で、毎日楽しく働いています」
いい上司アピールをして、彼の人となりを知ってもらえたら、取引の時にあまり無茶を言われなくなるかも……? そう思い、私はネルさんを持ち上げることに決める。
「ネルさん……? ああ、ネルさんね」
私の言葉にぴくりを眉を動かすと、シェリル様は扇子を開いて、軽く口元を覆った。
「ところで……少し教えてくださる? あなたの思う“理想の男性”とは?」
「……理想の、男性ですか?」
「ええ。容姿でも、性格でも構わないわよ」
突然、恋話を振られて困惑してしまう。私くらいの年頃は、そういう話が好きだと思って振ってくださったのかしら? 王子妃様が聞いても面白くもなんともないのだと思うけど……?
それでも誠実にお答えしようと、一生懸命考えてみる。
理想の男性……。改めて考えてみると難しい。
だけど、きっとお互いを尊重し合えるような相手がいいような気がする。ふと紫紺の髪をかき上げながら笑う、彼の顔が浮かんだ。
「……思いやりがある人がいいです。見ず知らずの方にも、迷わず手を差し伸べられるような人だと嬉しく思います」
――ネルさんは道の真ん中で泣きながら倒れた私を助けてくれ、仕事と家を与えてくれた。
「あとは、仕事へ真摯に向き合っている人でしょうか」
――頑張っている人って、やっぱりキラキラしていると思う。ネルさんは商会主として大きな仕事を持ち込んでくるだけじゃない。従業員へのさりげない気配りも見習いたいといつも思ってる。
「……それと、女性に優しい人がいいです」
――家事は女性がするものだなんて当たり前に思わず、手伝ってくれたり、労いのお菓子を買ってきてくれたり……。あんなに優しくされたら、きっと誰だって恋に落ちてしまうわ。だけど……。
「それから……」
私の話に目尻を下げながら耳を傾けていた王子妃様。言葉に詰まった私を促した。
「それから?」
私は膝に置いた手のひらをぎゅっと握りしめた。
「……身分が釣り合う、居心地のいい方が理想です」
ネルさんと私は同じ空間で過ごせても、住む世界が違う。ネルさんにはネルさんだけのご家族が、そのうちできるはず。




