41.ただ同級生なだけ
断っても断っても、なおも足元に縋るセリナ。これじゃあ、まるで別れを告げられた長年の恋人じゃない、と呆れてしまう。
こんな風に男の人を追いかけていたのだとしたら情熱だと感心したいところだけど、私はセリナの恋人でなければ想い人でもない。
彼女はもはや私にとって、長年の友情を裏切られ絶縁したただの同級生といいうだけの存在だ。……まったく、あまりのしつこさに辟易してしまう。
「セリナ、いい加減にして。あなたの代わりにもう刺繍することはないって言ってるでしょ!? 放してちょうだい!」
語気が強まった私の声に、セリナは泣き顔のまま崩れ落ちた。その姿さえ演技のように思えてしまうのだから、私も大概性格が歪んでしまったと落ち込みたくなる。
だけど次の瞬間、セリナは縋る手を振りほどかれたことが余程腹に据えたのか、泣き顔を歪めた。
「ふん、……リュシアのくせにいい気にならないでよね。陰気で、地味で、男に飽きられるタイプのくせに!」
鼓膜に刺さる声に、胸がずきっとした。
「優しくしてもらったら勘違いして、勝手に舞い上がって――でも女としての魅力がないのよ。だからダリオもあんたを捨てた。……刺繍しか能がないくせに。それ以外であんたが必要とされることがあるなんて、本気で思ってるの?」
唇が震えた。歯の奥が軋むほど食いしばっていたのに、鼻の奥がつんとした。
「……黙って」
「こんなに頼んでるのに。……刺繍をしないあんたに何が残るっていうの? ふんっ。鏡でも見たら? 自分を飾る努力くらいしてみたらどう?」
視界が滲んでいく。悲しいわけじゃない。ただ、怒りが涙に変わるほど、込み上げてくるものを止められなかった。どうしてここまで言われなくちゃいけないの?
……でも。
「たとえ刺繍しか能がなくても、私は誰かのために縫うのが好きだから構わない。美人で人気者だったとしても、あなたみたいに人を傷つけてばかりいる人生よりよほどいいわ」
「……何ですって? リュシア、負け惜しみもいい加減に――」
セリナの言葉を遮るように、扉の向こうからやわらかな声が響いた。
「騒がしいわね」
振り向くと突然扉が開かれ、ぞろぞろと人が入室してきた。その中心には端正なドレスに身を包んだ女性。周囲の女性は侍女だろうか。指先ひとつの仕草すべてが品に満ち、その場の空気を一瞬で変えるほどの存在感。思わず息を呑み、直視することが憚られ視線を外した。
「この空間にふさわしい会話をなさってまして? 宮殿の壁に喧騒が染みるのは困るのだけど」
「シェ、シェリル妃様……」
セリナの顔が青ざめ、慌てて礼をとる姿にはっとし、私も姿勢を正す。
――シェリル妃様ってことは第二王子妃様……?
絨毯の柄をじっと見つめていると、第二王子妃様の凛とした声が響いた。
「セリナ・ドエル。刺繍は進んでいるのかしら。ご友人とゆっくりお茶を飲んでいる場合じゃないでしょう?」
「は、はい……その、少し気晴らしをしようと思って……」
ちらっと私を見るセリナと目が合うも、ふいっと視線を逸らす。よくわからないけど、巻き込まないでちょうだい。
その様子に目を細めた第二王子妃様は、手にした扇子を広げ口元を覆った。
「残りの期限はわずか。先に目途だけでも立てておかないと。そうでしょう? もしも作れなかった場合、大変なことになるそうじゃないの。夫から聞いているわ」
「シェ、シェリル様……! わ、私、実は少し体調が悪く――」
「まあ、あなた先週もそうおっしゃってたわね。それなら侍医を呼ぶから、それまでベッドの上で続きをしなさいな。セリナ嬢に三人も侍女をつけたんだから、あなた達、彼女の体調管理をくれぐれもよろしくね」
「シェリ――」
「それで、あなたはどなたかしら」
尋ねられるとは思っていた。どう答えるべきか迷う。
「……リュシア・アルフェネと申します。商会で働いていて、そちらの方に呼び出されました。刺繍を――」
「リュシアッ! 親友じゃない! 他人行儀な言い方はやめてッ!」
ちらっと視線を送ると真っ青な顔をしたセリナ。話の流れからすると、どうやら第二王子妃様とハンカチに刺繍をする約束をしていて、私が代わりを頼まれたと知られたくないらしい。
おおかた、私をあてにして大見えを切ったんだろう。
「お黙りなさい、セリナ。あなた、王宮侍女のくせになんてけたたましい……。リュシアさん、続きを聞かせてくださるかしら」
私はセリナの目をじっと見てから、にっこりと微笑んだ。
「はい、シェリル様。セリナ・ドエルから刺繍の代理依頼を受けましたが、お断りしたところでございます」




