40.冗談じゃない
倉庫で納品のチェックをしていると、ひとりの従業員が小走りでやってきた。
「リュシアさん、なんか王宮の人が来ているんですが……」
「え? ネルさんもヴィスさんもいないけど……私にわかるかしら」
「それが、リュシアさんに会いに来られたようで」
「私に?」
急いで事務所に向かうと、そこには王宮の侍女。見覚えのあるボレロ付きのワンピース。以前、セリナが着ていたから、彼女が本物の王宮侍女なのだとすぐにわかった。彼女は、礼儀正しく私に一礼をした。
「リュシア・アルフェネ様でしょうか。王宮までご足労お願いいたします」
「え? は、はい、少々お待ちください」
慌てて身支度を簡単に整え、バッグへ荷物を詰める。もしかして、納品に何か不備があったんだろうか。だけど、私が呼ばれたってことは……? 思い当たることはないけど、刺繍の類で何かあったのかもしれない。従業員が刺繍のことなら「リュシアさんが担当だ」と言った可能性もある。
頭を下げたまま私を待っている王宮侍女。身分的にも立場的にこの場で用件を聞き返すことは憚られ、念のため、刺繍道具も詰めこんだ。
従業員にネルさんたちが戻ってきたら王宮へ呼ばれた旨を伝えて欲しいと伝言を残し、王宮侍女と共に馬車へ乗りこむ。
普段乗る馬車とは異なる格式の高さに緊張し、手に汗が滲むのを感じた。
――私で対処できるかしら……。ううん、クラヴァン・トレード商会の一員として、何としてでも商会の評判を落とすわけにはいかないわ。
無言のまま到着した馬車は、通用門をくぐり王宮内を進んで行く。
豪奢な宮殿の前に着き、王宮侍女の後へと無言で続いた。初めて宮殿へ足を踏み入れたけど、周囲を見る余裕はなく……。品のいい調度品が並べられているのは何となくわかるけど、それどころじゃない。
そのうち、王宮侍女はひとつの扉の前で足を止めた。ノックをすると、中から女性の声で「入って」と聞こえたような気がする。
開かれた扉の前、入るように促され、視線を落としたまま入室した。背後で静かに扉が閉められた。
美しい絨毯を視界に入れながら声がけを待つ。
しばらくすると、くすくすという笑い声が聞こえた。その聞き覚えのある笑い声に、指先が冷たくなるのを感じた。
「久しぶりね、リュシア」
きゅっと唇をかみしめながら顔を上げると、そこにはセリナ。だけど豪華なドレスに身を包み、どう見ても高位貴族のご令嬢といった身なりだ。一体どういうこと? ダリオが出世したとしても、宮殿の一室でこんなに優雅に寛ぐようなことにはならないはずなのに……。
困惑を隠せず黙っていると、彼女はまるで、本当に久しぶりに会った友人かのように微笑んだ。
「元気だった? あなたに会いたくて探してもらったの。また前みたいに仲良くしたいと思って」
ぎゅっと拳を握った。あまりのいらだちに、喉が詰まって言葉が出ない。
「……ご用件は、それだけですか」
ようやく絞り出した掠れた声に、セリナはくすくすと笑いながら、手元のティーカップを揺らした。
「私、リュシアのこと、心配してたのよ。ダリオって、やっぱりクズだったでしょう? あなたが騙されなくて本当によかったと思ってるの」
――は? 騙されていないですって? セリナの裏切りで、私は婚約を失い、両親の遺産まで吸い上げられたのに?
「でもね、あれって運命だったと思うの。友達が不幸にならなくて本当によかったと思ってる。それに、あなたが友人だったことに心から感謝しているわ」
何を言っているのかさっぱりわからず、頭が痛い。感謝って何のこと?
「……人を馬鹿にするのもいい加減にしてちょうだい。そんなことをわざわざ言うために私を呼んだの?」
「ねえリュシア、また親友に戻りましょう? 前みたいに、髪を結って、おそろいのハンカチ持って。一緒に笑っていた頃に戻りたいの」
吐き気すら感じるほどに、言葉が軽い。
「……セリナの代わりに刺繍なんて、二度と縫わないわ。もう、あなたのために祈る気持ちなんて残ってないもの」
「ええっ? ……そんな冷たいこと言わないでよ、ねえ。あの刺繍、私が使ったら全部うまくいったんだから。私と刺繍って、やっぱり特別な縁があると思うの! ねえ、お願いよ、リュシア。一枚だけでいいから、お願い!」
「お断りよ」
その言葉に、セリナの顔がみるみるうちに歪んだ。
「どうして!? 私のために一枚くらい縫ったっていいでしょ? 私、今大変なのに、誰もわかってくれなくて……リュシアまでそんなこと言うの?」
甘えた声にこぼれた涙を見て、ますます冷静になっていく。
――はぁ……ダリオなら喜んでその涙を拭ったでしょうけど、私がそんな涙に騙されるとでも思っているのかしら。
「……あなた、自分が何をしたか、忘れたの? 私のウェディングドレスを着ながら、私のベッドでダリオと睦み合ってたのよ? 家と商会を奪って、私を追い出したくせに、まだ友達のつもり? 厚かましいにも程があるわ」
その言葉にセリナは立ち上がり、私の足元に縋りついた。
「ちょっと……何してるの?」
「お願い、もう一枚だけ、縫って。ね? ねえ、リュシア、お願いよ……」
私の裾を掴んだセリナは、涙を溜めた目をぐしゃぐしゃにしていた。一体、何があったのかさっぱりわからなくて内心では困惑していたけど、……今わかることは彼女が何らかの理由で刺繍入りのハンカチを欲しがっているということだ。
……冗談じゃない。いつまでも都合のいいように振り回される私じゃないのよ。
「セリナ。私があなたを甘やかしたのが悪かったみたいね。だけど、想いも籠っていない刺繍なんて何の意味もないわ。……放してちょうだい!」




