35.適齢期(ネルSide)
俺は二の兄の執務室を出た足で、三の兄の宮殿へと向かった。う~ん。朝から鍛錬をしているような気もするが、やみくもに王宮内を動くより、どこに行ったか三の義姉に聞いた方が早いだろう。もしかしたら、まだいるかもしれないし。
三の兄夫婦の宮殿へ到着すると、執事たちがにこにこ顔で待ち構えていた。
「先触れもなく済まない。もしお二人がいたらご挨拶をと思ったんだが」
「エルネリオ殿下、いつでも大歓迎でございます。エスファレイン殿下は朝の鍛錬へ向かわれており、まもなくお帰りになられます。アニス妃が中でお待ちです」
「ん。じゃあ、兄上を待たせてもらおうかな」
案内されたのはバルコニー。三の義姉が優雅にモーニングティーをたしなんでいた。
「三の義姉上、おはようございます。朝早くから申し訳ございません」
「エルネリオ、他人行儀な寂しいことを言わないでちょうだい。さあ、そちらにお掛けになって」
おっとりとした義姉上がにっこり微笑む。俺がしばらく他国へ行っていたことを知っているようで、何か面白いことはなかったかなど、当たり障りのない会話をしていた時だった。
三の義姉が手を挙げて振ると、使用人たちが波が引くように下がっていく。隙のない動きに、さすが騎士団長の妻だなと目を瞠る。……で、人払いしたってことは、何か話があるんだろう。俺は背筋を伸ばした。
「エルネリオ。両陛下があなたの縁談をまとめようとしているわ」
「……まじですか」
思いもよらない言葉に眉根が寄る。顔を合わせれば事あるごとに詰められる縁談。それが嫌で避けていたのに……勝手に進められるなら一度会いに行くしかない。
「教えてくださってありがとうございます」
「エルネリオ。あなたはこれからどうしたいの?」
「政治は向いていないんで商売でこの国に貢献したいと思ってます」
「それなら結婚は? 恋人はいないの?」
「……いませんよ」
「好きな人も?」
「好きな人?」
一瞬、ピンク色の髪が頭をよぎり、慌てて頭を振る。いや、彼女は従業員であって、好きとかじゃなくて大切にしたいってだけだ。そう、仲間の一人、みたいな。
三の義姉が首を傾けた。
「いないのなら政略結婚を受け入れたら? 王族として享受してきた贅沢の代償として、あなたの第四王子という肩書が外交や王権強化に使われるのは当然のことよ」
……耳が痛い。その通りだ。
「留学していた先の王女、あなたの二つ下なんですってね。ずっと慕われているらしいじゃない。一番の候補に挙がっているそうよ」
「……」
「我が国の三大公爵家からは王太子妃が、お一人は隣国の王族へ嫁がれたけど、王族に嫁いでいない家門のご令嬢が来年十八を迎えるわ。あなたにちょうどいいわね」
「……」
「それから、加護刺繍ができる聖女も候補に入っているわよ」
「……は?」
嘘だろ? セリナ・ドエルまで候補に……?
「縫いの文化が浸透している国ですもの。加護刺繍ができる聖女が王子と結婚だなんて、国民が歓喜する案件だわ」
「確かに……だけどあの女は偽者だし」
俺の呟きに三の義姉が目を細めた。
俺が結婚? 二十四歳。わが国では早すぎず遅すぎずの年齢か……。だけど、今まで婚約者がいなかったことを思うと、長い間よく逃げてこれたとは思う。まあ、上に三人の兄がいるし、体よく隠れ蓑になってくれたのと、留学していたおかげだが。
「わたくしはね、エルネリオには好きな方と一緒になって欲しいのよ」
「そう言われましても、相手がいないことには……」
そこへ、三の兄が帰って来た。俺と同じ紫紺の髪を短く刈り上げ、まるで傭兵のような出で立ちのエスファレイン兄さんは王子とは思えない体躯だ。巨体が三の義姉上の隣に座ると、その体格差で義姉上がさらに小さく見える。
「おう、エルネリオ。待たせてすまなかったな」
「いえ。……兄さん、うちの従業員の件、ありがとうございました」
「王宮騎士の統率が取れておらず、こちらこそ悪かったな。きちんとこちらで処理をしておいたから、十年は安心してくれ」
「……十年?」
ダリオ・ヴェレドはきっと騎士をクビになっただろうと思っていたんだが、その後の話を聞いて驚いた。へぇ、じゃあ詐欺容疑で捕まって刑罰を受けているってことか。これはリュシアにも知らせてやらないとな。
――ってことは。旧アルフェネ商会とリュシアの家を取り戻せるかも……?
はっとして顔を上げると、三の義姉が俺を見て微笑んでいた。
「エルネリオ、一緒に朝食をとっていきなさい」
「……はい」
一刻も早く帰りたい気持ちを押し殺し、三の兄夫婦と談笑しながら朝食をとる。ゆっくりと小一時間、食後のコーヒーまでしっかりいただいてから、俺は席を立った。
「あ、そうそう、義姉上。加護刺繍ができる聖女のことですが……。祈りを込めた縫いには想いがこもるんだから、この国で刺繍をする女性は全員聖女だと思いませんか?」
俺の言葉に三の義姉は目を見開き、ふっと笑みを湛えていた。




