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元婚約者に全てを奪われたので、祈りの刺繍で人生立て直したら雇い主がまさかの王子様でした!?  作者: 魯恒凛


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34.縫わない聖女(ネルSide)

 翌日。俺は取引先との打ち合わせがあるという理由で朝早くから家を出て、王宮へ向かっていた。一般的な貴族はまだ朝食の時間だろうが、この人に限っては例外だ。執務室の扉をノックすると、そこには二の兄・エルディオス。朝から晩まで執務漬けの仕事中毒者だ。


「おはよう、エルディオス兄さん。相変わらず早いね」

「おはよう、エルネリオ。こんな早くからどうした」


 書類に目を落としながら手を休めることなく、エルディオス兄さんが俺に尋ねる。


「ん。例のハンカチ、返しにきた」

「おまえのところの刺繍職人は何か言ってたか? 刺繍から何かわかったことは?」


 兄さんは手を止めると、身を乗り出すように俺に尋ねた。実のところ、セリナ・ドエルに相当手を焼いているらしい。

 その力が悪用されてはと全員で王宮の貴賓室へ保護したものの、まるでどこかの傲慢な国の高貴なお姫様かのようにふるまいやりたい放題。つけた侍女が泣きながら配置換えを希望したのは一人や二人じゃないらしい。セリナ本人だって王宮侍女だったのにも関わらず、だ。


「ハンカチ一枚縫ってくれという依頼に、ダイヤモンドのネックレスと交換でときた。さすがにその場では承認しがたく、予算を取ってくると言ってみたものの、どうしたものか……」


 どうやらある程度の予算をつけたものの、この三週間の間、一針すら刺していないらしい。それはもう、……そういうことだろう。

 

「……兄さん。ダイヤモンドと交換してやるから、ハンカチを一枚縫ってくれって言ってやればいいよ」


 リュシアによると、セリナは刺繍が全くできないらしい。このままのらりくらりと要求ばかりして、刺繍はしないはずだ。本物ではないことがバレてしまうんだから。二の兄が細めた目で俺を見つめる。


「ほぅ。なぜ、そう思う?」

「俺、商会の仕事をするようになって初めて知ったんだけど……。刺繍って本人がしていない場合もあるみたいなんだ」

「……なんだと?」


 ほら。うちの国の男どもは、みんな女性が自分で刺繍をしていると固定概念がある。セリナのハンカチがセリナ以外の人物が縫ったなんて考えつかない男が多い。

 柔軟な思考の兄さんは俺の言葉で何かに気づき、はっとしたようだ。頑なにセリナが刺繍をしない理由を。


「……なるほど。その可能性があるのか。てっきり強欲な女でたかろうとしているのかと思っていたが……」

「それもあるんだろうけど。そもそも、祈りの刺繍なんてできる高潔な女性が、そんな強欲なわけないじゃん」


 温かな祈りを込めて一針一針指す、気の遠くなるような作業が刺繍だ。口元に笑みを浮かべて、愛おしそうに針先を見つめながら想いを縫い留める、リュシアのような人じゃなきゃ、加護なんて……。


「……エルネリオ」

「っ、なに、兄さん」

「セリナ・ドエルがそろそろここへやってくる。おまえはもう行きなさい。エスファレインが会いたがっていたから、あいつのところへも顔を出すといい」


 ……ああ、きっとダリオ・ヴェレドの件だ。王宮騎士が引き取ったとリュシアが言っていたから、きっと王家の影が三の兄へ伝えてくれたんだろう。わざわざ民間の揉め事へ介入してくれたこと、お礼を言った方がいいな。


「わかった。じゃあ、もう行くよ」


 そう言って扉へ向かおうとした時だった。外で賑やかな声がする。


『ちょっと! 私を誰だと思ってるのよ! 加護刺繍ができる聖女よ!』

『セリナ様、困ります。宰相補佐は朝から執務で忙しく、この後も面会予約がぎっしり詰まっているんです』

『だからこんなに朝早く来たんじゃない! どきなさいよ! あんたが邪魔するから時間がなくなるんじゃないの!』


 ……護衛たちが気の毒だ。セリナってやつ、全然聞く耳を持たない。


 エルディオス兄さんへ振り返ると、能面のような無表情に嫌悪が滲んでいた。きっと表情が読み取りにくいから、セリナは嫌がられていないなんて思っているのかもしれない。


「……これ、もしかして毎朝なの?」

「……ああ」

「俺もひとこと言っておくよ」

「っ、待て! エルネリオ――」


 ガチャリと開けた扉の先。そこには朝から着飾ったセリナ・ドエルと監視役らしき困惑の表情を浮かべる侍女。そして兄さんの部屋の前に立つ二人の護衛。繰り広げられていたであろう押し問答をぴたりと止め、彼らは俺に注目した。

 ある者は救いの神とでもいうように、ある者は……。


「エルネリオ殿下……!」

「朝から騒がしいな。兄上はこの後、陛下と王太子殿下と朝食会と聞いている。約束はないはずだが」

「あ、あの……エルネリオ殿下とおっしゃるのですか? 四王子でいらっしゃいますよね? こんな素敵な方だったなんてわたくし、知らなくて――」


 セリナが何やらほざいているが、無視だ、無視。視界に入れるつもりもない。


「エルディオス兄さんはお忙しい。君たち護衛は近衛騎士としてもっと自覚を持ちなさい。それに――君たちは自分自身が思っている以上に、権限を持っている。自信を持ちなさい」

 

 俺は護衛たちの襟元を正してやりながら、その目を見つめる。彼らの困惑を浮かべていた瞳が凛々しくなっていった。


「……はいっ!」

「あの、エルネリオ殿下、わたくしは――」

「じゃあ、二人とも頼んだよ」


 俺は護衛たちの肩をぽんと叩いて、その場を後にする。


「お待ちくださいっ! ちょっ、触らないでよ! どこ触ってんのよっ」

「あなたの身分で殿下に直で話しかけるとは言語道断! 無礼な!」

「何よ、私は聖女なのよ? お待ちくださいっ! 殿下、殿下!」


 背後でセリナが騒いでいるようだが、今度は護衛たちがしっかりけん制したようだ。次からは兄さんへ突撃しても、きちんと対処してくれるだろう。偽物の聖女より、兄さんの執務の方が大切だからな。

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