31.暴利(ダリオSide)
鋭くも低い声が前方から聞こえた。
「ダリオ・ヴェレド。商会を担保に借り入れをしていたが、返済が一向にない。そろそろ返してもらおうか」
「は……?」
俺はその言葉を聞いて、ようやく思い出した。そうだ、あの古びたアルフェネ商会を抵当に入れ、銀行から多額の借り入れをしていたんだった。
あの金は……セリナのドレスや宝石、俺のギャンブルに遊興費でものの一か月で溶かしちまった。借りたことすら忘れていた。
「いや、だけど……俺が借りたのは銀行で……」
「その銀行が回収できないってことで俺らが買い取ったわけだ。……で? 商会は従業員が全員辞めて休業状態。おまえは騎士もクビ。どうやって返済するつもりだ」
「それは、その……」
シュッ……シュッ……シュッ……
――な、なんの音だ? 刃物を研ぐ音? なんでこのタイミングで刃物なんて研いでんだよ……。
カチャカチャと聞こえる金属音はなんだ? ジャラッ……って聞こえたのは鎖?
な、なんでこんなヤバそうな奴らに債権が渡ってんだよ……。
「ダリオ・ヴェレド」
「は、はいぃぃぃッ!」
「金を返すか、体で返すか選べ」
体だと……? 娼夫まがいのことをしろと? まあ、それはそれで……。
「……あの、その……売上がなかなか……。なので、体で……」
「よし、わかった。それじゃあ、まずは腹を切り裂くか。中を見てみたいという変態の医者がいたな」
「待て待て待て! 待ってくれ!」
そ、そっちの体かっ!
「ちょ、その……、あ、ああっ! 俺の婚約者が今違う商会で働いてまして――」
「セリナ・ドエルと別れたことは調査済みだ。以前の婚約者、リュシア・アルフェネとはクラヴァン・トレード商会の前で揉めたらしいな。……で? 婚約者とは誰のことだ?」
しんと静まり返る室内に、シュッ……シュッ……という音だけが響いた。
「指を一本ずつヴェレド子爵家に送るか。勘当したとはいえ、息子だ。なに、手足の指は二十本ある。数本目で向こうが折れれば、生活に支障はないだろう」
――あの刃物を研ぐ音はそのための……? ショーッという音ともに股間が生温かくなった。
「う、うぅ……お、お許しください、……金は、金は必ず、……お助けください……」
「数時間前まで騎士だったとは思えないな。仕方がない。では抵当に入っている店を今日のところは回収するしかないな――署名を」
恐怖で歯がガチガチ鳴る。指にペンが握らされた。何も見えないのにサインをしろと言われ、よくわからないがサインをした。
「……よし。おまえが借りたのは五百銀貨。これで元本は回収した」
ほっと安堵の息を吐いた俺に、再び冷たい声が落とされた。
「残りは利子だな。半年の間に利子が三百銀貨になった」
「はぁ? そんな暴利、ありえな――ひぃいいいっ!」
ひやりとした金属が首筋にあてられ、ピリッとした感触があった。ぬるりとした生暖かい感触が首筋を伝う……皮膚が裂けた?
「ダリオ・ヴェレド。抵当に入っていない新築の家に住んでいるらしいじゃないか。あの家を三百銀貨で買ってやろう」
「そんな!」
……いや、金より命だ。ここで断って殺されるより、あの家は手放した方がいい。くそっ……。
「……わかり、ました……」
「交渉成立だな。心配するな。室内にあるものはこちらで処分しておく。……貴重品はないだろう? あったら売って返済していたはずだよな?」
「っ……は、はい……」
セリナの宝石が何点かあったはず。あれを売れば、当面はしのげたのに……。
またもやペンを握らされ、見えない書面にサインをさせられた。こんなの脅迫じゃねぇか!
俺はそのまま外へ連れ出され、体感で十数分進んだところで突然下ろされ、置き去りにされた。ガラガラと去っていく馬車の音が遠ざかるや否や、緩んだ手首の縄を慌ててほどいた。頭にかぶされた布を取り払い、辺りを見渡す。
……街の外れか? 着の身着のまま、しかも……股の間を汚したまま放置された……!
怒りが沸々と湧いてくる。手に握らされているのは書類。商会と自宅を売却した控えだ。慌てて中身を確認するも、買主の名前は伏せられていた。
「……はっ。どこの誰だか知らねぇが、ぜってぇ仕返ししてやる……!」
俺は小走りで街の中心部へ向かうも、ひそひそとした好奇心が四方八方から刺さる。くそぉっ! なんたる屈辱っ!
駆け込んだ薄暗い石の建物――警務塔の窓口の女官が面倒そうにこちらに手を伸ばした。
「被害届け? ……ダリオ・ヴェレド、ですか。……少々お待ちください」
こんなの横暴だ! 公的機関が本気で調べれば、あいつらが何者かわかるはず。あんな方法で資産を奪い取られるなんて冗談じゃねぇ。
待合スペースでイライラしながら待つこと数十分。我慢の限界はとっくに超え、苛つきのあまり靴先がガツガツと床を鳴らしていたところへ、制服を着た男たちが数名やってきた。
「ダリオ・ヴェレドだな?」
「おせぇじゃねえか! どんだけ待たせんだよ! おいっ、さっきの受付の女にも説明したんだが――」
「文書偽造、資産の不正譲渡、名義操作の容疑で拘束する」
「………………は?」
俺はその後、犯罪者たちがひしめく留置場に入れられた。
「おいっ! 何かの間違いだ! ここから出してくれ!」
鉄格子を掴み激しく揺さぶる俺に、警務官がやれやれとでも言いたそうに首を振る。
「みんなそう言うんだ。もう聞き飽きた」
「おいっ! 待て! 行くな!」
コツコツと遠ざかる足音。静まり返る室内はしんとしていたものの、背中に鋭い視線がいくつも突き刺さる。その時はじめて、獣のような荒い息遣いに気づいた。
恐る恐る振り返ると、凶悪事件や暴行容疑で捕まった犯罪者たちが俺をじっとりと見ていた。
「新入りぃ。騎士だったんだってな。俺はよう、騎士が大っ嫌いなんだ」
「………………え?」
どう見てもここのリーダー格の男と目が合う。男は俺を見つめたまま、周りの男たちに向かって顎をしゃくった。
*
――時を同じく。
街の外れに停まる黒塗りの馬車。建物の陰から報告を終えた男が現れ、書類を窓の隙間から手渡した。
受け取った侍女がフードを目深にかぶった女性に両手で手渡す。青燕が刺繍されたハンカチを手に、サイン入りの書類をまじまじと眺めた彼女は小さく頷いた。鈴のような凛とした声が空気を切る。
「すべて終わったようね。商会と家の名義は、わたくしの母の遠縁の者の腹心の実家に変えておいてちょうだい」
男たちは静かに頭を下げた。
去っていく馬車をその姿勢のまま見送りながら、小声でつぶやく。
「絶対、敵に回してはいけないお方だな」
「だけど、どうしてこんなことを……」
「詮索はよせ。俺たちは、ただ指示に従うだけだ」
黒塗りの馬車は王宮の通用門へと消えて行った。




