2.幸せだった日々
恋人になるまで、そう時間はかからなかった。だけど彼は言ったの。「君の亡くなった両親に誓って初夜まで手を出さないと誓う」って。その言葉に、私は大切にされていると感激して……生まれて初めての彼氏に舞い上がっていたように思う。
実家である子爵家から、度重なる街での泥酔や喧嘩により勘当されていたダリオ。行き場のない彼を受け入れ一緒に暮らし始めると、毎日の生活が色づき、本当に幸せだった。
両親が亡くなってからひんやりしていた家に「おかえり」と言ってくれる人がいるうれしさ。
一度、彼が食事の支度をしようとしてくれたことがあったけど、キッチンは見るも無残な姿になり――。
子爵家で何不自由なく暮らし、騎士になってからは寮暮らしで野営くらいしか料理をする機会がなかったらしいから、当然といえば当然で。
だから、仕事で疲れて帰ってきても食事の支度は私の仕事だった。申し訳なさそうにする彼の顔を見たら、疲れた顔なんてしていられない。
「全然大丈夫よ。ふふっ、私、料理得意なの。支度するから座って待っていてね」
「じゃあ……邪魔しないように座ってるよ」
「そうね。あなたは体が大きいから、二人で立つとうちのキッチンじゃ狭くて動きづらいもの」
眉尻を下げた彼。私は彼に肩身が狭い想いをさせないように、言動一つとっても細心の注意を払った。
彼がなんとか立ち直って前を向いてくれれば……その一心だったのだ。
リハビリに付き添うようになったのは、ある朝「体、鈍らないように動かねえとな」と言い出したから。手すりにつかまって歩く姿はかつての騎士とは遠く……、だけどその背中が前を向いたことが、私はうれしかった。
「商会の仕事、ちょっとだけ手伝わせろよ。家事はできないけど、俺にもできること、あるかもしれないし。リハビリも、本格的に始めようと思う」
そう言ってくれた彼の言葉に私は胸がいっぱいになった。
「仕事に就けたら返すから、その……金を貸してもらえないだろうか」
「そんなこと気にしないで。一緒に頑張りましょう?」
照れ臭そうにはにかんだ彼。笑うと右頬にえくぼができる、彼の笑顔が大好きだった。
彼が本格的に専門家の元へリハビリに行きたいと口にした時。
私は仕事の合間を縫って、アミュレットを作ることにした。布製のブレスレットだ。
ダリオが誇りを取り戻せることを願い、決して折れない芯をこっそり忍ばせた。身につけやすいよう、落ち着いた紺地に同色の色で全面に文様を施したシンプルなデザイン。
その昔、まだ騎士という存在がいなかった頃、妻が戦士の無事を祈って編んだという伝統的な文様にアレンジを加えてみた。
数日後――。
そのブレスレットを手首に巻き、彼が「俺、もう一度騎士を目指して頑張るよ」と笑った日。私は、きっとダリオなら大丈夫だと確信したのだ。
状況が変わったのは、……セリナが遊びに来るようになってからだった。
ダリオを居候させたことに呆れていたセリナ・ドエルは、私の同級生であり、学生時代からの親友だ。
「……リュシアって、ほんと相変わらずね。酔っぱらった男なんて拾ってどうすんのよ」
そう言いながらセリナは勝手知ったる様子で家に上がり込んだ。まっすぐな金髪をさらさらと払い、私に視線を向ける。私は自室にいるダリオに聞こえないよう、声をひそめた。
「だって、そのまま通り過ぎるなんて人としてできないわよ……」
「世の中、困ってる男なんてそこら中に転がってるわよ?」
「……でも、昔、学園で私がいじめられてた時に助けてくれたから、今度は私の番だと思って。それに、今は恋人になれたし」
私の言葉にセリナの眉がわずかに上がる。
「ああ~、騎士科の二学年上の! そういえばリュシア、かっこいい先輩が助けてくれたって言ってたわね。ふぅん、良かったじゃない」
セリナはすでに興味をなくしたようにあっさり話を終えると、次の瞬間、ぐっと身を乗り出した。
「ねえ、それよりリュシア。刺繍をお願いしたいんだけど」
「え、またなの?」
「普段使いのハンカチだから、そんなに凝ってなくていいわ。いいじゃない、あんた刺繍うまいんだし。友達を助けると思って。ね?」
「……ほんと、変わらないわね、セリナ」
セリナはどうにも刺繍が苦手で、自分でする気が起こらないらしい。伯爵家のご令嬢であるセリナは日々お茶会や習い事に忙殺されているそうだけど、学生の頃から奔放な生活を楽しんでいる。王都の様々な場所に出没する流行り物好きの、最先端のドレスに身を包んでいなければ気が済まない人だ。
だからこそ、いつも会話のネタになるような何かを仕込んでおきたいらしく、この国で会話のネタと言ったら、誰もが飛びつくのは刺繍なわけで。
苦笑しながら布見本を取り出す私に、セリナが私に飛びつくのがお決まりのパターンになっていた。




