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元婚約者に全てを奪われたので、祈りの刺繍で人生立て直したら雇い主がまさかの王子様でした!?  作者: 魯恒凛


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19.一応、家政婦なんです

 その手紙にはこう書かれていた。


 “小さな頃から、ずっと見守ってきた年下の男性がいます。彼は今、ようやく自分の足で歩き出そうとしていますが、その背中を私はただ静かに見送ることしかできません。どうか、彼が迷わず進めるように。そっと背中を押してあげられるような、そんな刺繍をお願いできませんか。”

 

 人柄がにじみ出るような優しい手紙だ。

 

「……ご自身で贈れない事情があるのかしら。刺繍が下手だから依頼したいっていう方もいるけど……確かに、上手な方が見栄えはいいけど、祈りはご自身で込めた方が絶対にいいのに」

「ふふっ。リュシアは昔からそう言ってたねぇ。だけど、これほど品のある人だ。きっと刺繍も相当な技術だろうに、自分では贈れない何かがあるんだろうね」


 身体的に縫えない事情があるとは書かれていない。

 ……となると。既婚者だけどずっと想っていた人だとか、身分違いで一緒になれないとか、年齢を気にして一歩を踏み出せない友達以上恋人未満だとか……。

 

 そう穿ってみたものの、ぶんぶんと頭を左右に振る。

 

 ――いやいやいや、リュシア。他人様の事情に首を突っ込むもんじゃないわ。

 うん、世の中には関わらない方がいいことが山ほどある。


「こほん……とにかく、浮気のお手伝いとかは嫌なんだけど……これは大丈夫かしら」

「そういう嫌な感じはないねぇ。ほら、たいていそういう依頼は見栄を張るために緻密な刺繍を望んでくるだろう?」


 ……そう言われてみればそうかも。じゃあ、純粋に弟のような存在の順風満帆な未来を願っているのね。


「ピュアな祈りなら、ぜひお手伝いさせてもらいたいわ。それじゃ、今回はこの三つを引き受けるわね」


 私はそう言うと、それぞれの依頼の図案や構想をマティルダに相談し、たっぷりの時間を良き師匠と共にしてからカフェ・ミルフィユを後にしたのだった。

 


 寮に戻るや否や、さっそく取り掛かることにした刺繍代行依頼。まずは老婦人の家紋入りハンカチだ。見本として預かっているハンカチを手に感触を確認しながら、その癖をなぞるように一針、一針想いを込める。彼女の温かい想いが伝わりますように。どうか、孫夫婦の方が末永く幸せに暮らせますように――。

 

 どのくらい没頭していたのか。ふと、階下で物音がしたことに気がついた。時計を見ると九時を過ぎたところだ。


「あ……もうこんな時間。もしかしてネルさんとヴィスさんかしら」


 手を休めて階下へ降りていくと、キッチンの扉がわずかに開いていた。中から棚の扉が開く音と、何かを探す気配がする。そっと覗いたそこには紫紺の髪。


「……ネルさん?」


 声をかけた瞬間、棚の奥に手を伸ばしていたネルさんがびくりと肩を跳ねさせた。


「うわっ……! びっくりした……!」

「ごめんなさい、驚かせちゃって」


 ネルさんは私に振り返ると、気まずそうに笑った。


「いや、こっちこそ。ちょっと近くで打ち合わせがあってさ。あんまり食べてなかったから、腹が減って……。そういや、この家が近いなと思って」

「お一人でいるのって珍しいですね?」

「一人ではないようで、一人だけど……ああ、ヴィスか。ヴィスは後から来る」


 根菜を手に「なんだこれは……」と首をかしげているネルさん。食べ方すらわからなそうだし、どう見ても料理は得意じゃなさそうだ。


「何か、作りましょうか?」


 私の言葉にネルさんは目を丸くした。


「えっ、いや、遅いし悪いよ。外で食べてもいいし」

「でも、私は家政婦として雇われてますよね?」


 私が苦笑すると、ネルさんも思い出したのか、照れたように頭をかいた。


「……そっか、そうだったな。じゃあ、ありがたく」

「私もちょうど食べ損ねてたんです。ちょっとだけ待っていてくださいね」

「うん」


 てっきり、他の部屋で待つのだと思いきや、ネルさんは冷蔵庫と食糧庫を見渡す私の横に立つ。

 

「ネルさん、苦手な食べ物ってありますか?」

「…………ないよ。なんでも食べる」


 一瞬の間。ないと答えたけど、何となく怪しい。


「ほんとに?」

「ほんとに」


 じっと彼を見つめると、ふいと視線を逸らし、苦笑いを浮かべた。その態度に、やっぱり苦手な物があると変な確信を持つ。教えてくれたらその食材は避けようと思ったのに、どうして隠すのかしら。


「ネルさんは秘密主義なんですね」

「いや、その……違うって。ほんとに、嫌いなものだけじゃなく、好きなものもないんだよ」


 私は笑いながら野菜を洗って切り、パンを切っていく。

 嫌いなものはないと言い張るなら、せめて好きなものを出してあげられたらいいんだけど。何かひとつくらいはあるはず。


「……嫌いなものを言いたくないなら、それでもいいです。それなら――ネルさんの“好きなもの”、いつか当ててみますね」


 ネルさんの肩がびくりと揺れ、私を見つめた。


「……え?」


 ずいぶん動揺した様子に、いたずらが成功したような気分だ。よ~く観察していれば、何か見つかるような気がする。甘いものはあまりって言っていたけど……サンドイッチの好きな具材とかわかればいいのだけど。

 

「ふふ、頑張って当てますから楽しみにしててくださいね」

「いや、そんなの……えぇ?」


 並んでキッチンに立ち、手伝いたがるネルさんに野菜を洗ってもらいながら、一緒に作ったサンドイッチがたくさんできた頃。

 

 ヴィスさんが両手いっぱいにパンを買って帰ってきて「あ」と言ったのだった。

 


 ……二人とも忘れているようですけど、私は一応、家政婦なんですよ、はい。

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