1.あなたを拾った日
王都の一角。上質な布や糸を揃えたアルフェネ商会は今日も多くのお客様で賑わう。
「リュシア様、縫いの図柄の相談をしたいというお客様の接客、お願いしてもよろしいですか?」
「ええ、今行くわ」
二階の事務室で帳簿付けをしていた私は納品書の束を閉じてから、一階の売り場へと駆け下りた。
ここエリザナス王国では古くから刺繍文化が盛んで「縫いには魂が宿る」という伝説のもと、女性が想い人のために刺繍布や装飾品を贈る風習がある。
大切な家族には健康を祈って身の回りのものに刺繍を入れ、片思いの相手や恋人にはその想いを込めて帯状のブレスレットを――というわけで、手先が不器用な女性や、刺繍が苦手な女性は致命的に住みづらい国だ。
私――リュシア・アルフェネが亡き両親から引き継いだのは十七歳の時。父母の代から勤めてくれる従業員に支えられながら、日々、高位貴族のご婦人やご令嬢、お使いを頼まれた使用人を相手に、店は大繁盛している。
もちろん、刺繍に関しては、物心ついた時から何かを縫っていた筋金入りの刺繍オタクだ。
忙しく接客をしていると、入り口にダリオの姿が目に入った。
ちょっと待っててと口を動かすと、彼は小さく頷いた。――私の婚約者だ。
結婚を半年後に控えた彼とはかれこれ三年の付き合い。
学生の頃から好きだった彼と恋人になったきっかけは、十九歳になったばかりの頃だった。
酔いつぶれて道端に転がっていた彼を見つけた時、私はすぐに彼がダリオ・ヴェレドだと気がついた。かっこよくて目立つ彼は学園の人気者で……学生時代の憧れの人だったから。
近づいたその体からはお酒の匂い。シャツにはところどころ血がついて顔にはアザがあるし、酔った挙句に喧嘩をしたことは一目瞭然だった。
「だ、大丈夫ですか? しっかりしてください、こんなところで寝たらダメですよ?」
「……うるせぇ、俺はもう、……死んでやるぅ……ひっく」
「傷の手当てをしましょう。……ね? ほら、立ってください」
「ちっ……、ひっく、……なぁ、知ってるか? 俺、右脚がもう、動かないんだぜ……ひっく、」
「え……?」
二つ年上の彼が、学園を卒業すると同時に騎士団に入団したことは知っていたけど、そんな大きなけがをしたことまでは知らなかった。
周囲を見れば、行き交う人は顔を背けて通り過ぎていく。
そのまま無視することもできたけど……、やっぱり後味が悪いだろうな、と思って。私は号泣するダリオを家に連れて帰り、手当てをすることにした。
彼は最初、目も合わせてくれず……。何度ご飯を出しても口をつけず、「いっそ放っといてくれ」と繰り返した。それでも私は、食べやすそうなスープを試行錯誤し、パン粥をつくって部屋の前に置き続けた。
一週間後――。
仕事に行くため玄関の扉を開けようとしたその瞬間、客間から出てきた彼が私の背中に向かってつぶやいたのだ。
「あの……飯、うまかった……ありがとう」
「……そう、よかったわ」
私はほっとして、彼に気づかれないよう、小さく笑ったことを覚えている。
ダリオがうちで居候をはじめ、しばらく経ったある日。彼が私に尋ねたことがあった。
「なあ。おまえ……なんで、俺を助けたんだよ」
「う~ん……あなたは覚えていないと思うけど、私、同じ貴族学園だったの」
私は苦笑いをしながら、彼に答えた。
「学園に通っている時、両親が亡くなって……ほら、女性は爵位を継げないでしょう? だから爵位は返上されて、私は身分が平民になるしかなくて……。学園のご厚意でなんとか卒業まで通わせてもらえることになったんだけど、退学を迫る令嬢たちに囲まれてね。その時、あなたが偶然通りかかって、助けてくれたことがあったのよ」
「…………あ~、そんなこと、あったような?」
「あの時ね、急に世界が敵だらけになって……。あなたが救世主に見えたわ。本当よ? だから私も、困っている人がいたらそうしようと思ったの」
にっこりと笑った私に、ダリオは目を瞬かせると口角を上げた。
「ってことは、俺の真似をして俺に手を差し伸べたってことか。じゃあ、俺のおかげだな」
「ぷっ、ええ、そうね。あなたの素晴らしい人格のおかげで、私はあなたを拾ったのよ」
私がおどけて胸を逸らす姿に、ダリオが吹き出した。
「ははっ、確かに! 拾ったがぴったりだな」
二人で大笑いした後、ダリオは目尻の涙を人差し指で払いながら、眉根を寄せた。
「それにしたって、不用心過ぎるぞ。一人暮らしの家に男を連れ込むだなんて」
「あなたは身元がわかっていたし、それに紳士だって知ってたから」
「……ったく。これからは、男が道で倒れていても、家に連れ帰ったりするなよ?」
「う~ん、でも……」
「でもじゃない! おまえ、かわいいんだから、ちっとは警戒しろよ」
「……え?」
ダリオがはっとして口元を隠す様子に、私は顔がみるみる赤くなるのを感じた。