17.刺繍依頼代理戦争(ネルSide)
自室のベッドに寝そべりながら、ハンカチを広げてみた。毒を受けたはずの自分が無事だった理由はこのどこかにあるはずだ。
「もし、俺がリュシアのことを報告したとしたら……」
父や兄たちはいい。だけど、王宮というのは閉鎖された空間でも目や耳があるのが常だ。きっとどこから話が漏れ、リュシアの身に危険が迫るはず。刺繍にそんな力があるとしたら、引く手あまたになるに決まってる。それならまだしも……、下手に広まれば悪用される可能性だってある。
「……やみくもに報告するより、まずは事実確認だ。刺繍が関係ないなら、リュシアのことを話す必要はない」
疲れ切っていたのにも関わらず、その日は結局一睡もできずに朝を迎えてしまった。
夜が明けるや否やすぐに調査を指示した。
記憶を頼りにリュシアが刺繍してくれた模様を思い出しながら図面に起こし、還巡草とともに文献を調べさせることに。
市井では「願いが叶う刺繍」について何か噂がないかを集めさせ、王家の影とは別にギルドにも刺繍に関する噂の調査依頼をした。もちろん、裏ギルドにもだ。
数日間調査を行った結果、気になる存在が浮上した。
「“糸守人”へ刺繍を依頼すると、願いが叶うだと?」
執務机で調査書を広げる俺に、王家の影がうなずく。
やはり、特別な刺繍というものが存在するんだろうか……? 試しに、その糸守人が刺繍したものを手に入れてみたら、何かわかるかもしれない。
そう思いながら、調査書に目を落とした俺は、多額の金を積んでようやく判明したという依頼方法に目を瞬かせた。ヴィスに注意されるとわかってはいても、眉根を寄せて口がすぼまるのを止められない。
「え、複雑。刺繍頼むのにこんな手順を踏むのかよ」
えぇ、なになに? 窓口となるのは女性に人気のカフェ・ミルフィユ。そこの看板猫“ミル”に決まった言葉で話しかけると、店員が特別メニューを勧めてくれる? この時点で恥ずかしい。
その後、少し変わった名前のパフェを注文すると、封筒が渡されるので、依頼を書いた紙を同封してカフェの奥にあるポストに投函し――。
「商品の受け取りは……“ミルの気まぐれセット”を注文すると受け取れるだと? 何だこれ、恥ずかしいの何重奏だよ……!」
俺の横に立ち、報告書を手にしたヴィス。じっと目を走らせると、ぽつりと口にした。
「ネル様。依頼は女性のみになっていますね。私たちでは注文すらできません」
「なに……?」
俺は少し考えてから、王家の影に尋ねてみた。
「……女性の隊員はいるか? 糸守人への注文をお願いしたいんだが」
するとリーダーは首を左右に振った。実はすでに依頼を出してみたものの、断られたのだとか。
「へ……? 必ず注文を受けるってわけじゃないのか」
「切なる願いでなければ、糸守人は依頼を受けないのだとか。ちなみに、うちの隊員は“強くなりたい”と願ったところ、“鍛錬をした方がいい”と返答があったそうです」
「……まあ、確かに」
現実的なアドバイスもくれる……?
だけど、それならどうしたらいいんだ?
ヴィスと「特別手当を出してメイドに頼むのはどうだ?」「女友達……考えてみたら、お互いいないな!?」と執務室で悩んでいると、二の義姉からの遣いがやってきた。王宮にいるうちにお茶をしたい、庭園にセッティングをしたから今から来て欲しいと。
あの騒ぎから王宮に泊まりっぱなしでそろそろ商会に行かなくては思っていたところだ。
王宮を出る前に一度お礼がてら顔を出しておこうと向かうと、そこには一の義姉と二の義姉に加え、三の義姉が。……揃い踏みの義姉たちに嫌な予感しかない。
「……義姉上たち、お揃いだったんですね」
俺がそう言うと、三人の義姉たちはそれぞれに微笑んだ。だがその笑みの奥にある火花を感じ、背筋がじわじわと冷えていく。
「エルネリオ、あなた最近、何か調べているようね」
一の義姉――王太子妃が、優雅に紅茶を口にしながら切り出した。
「王家の影が動いているのを見れば、察しはつくわ。私に任せなさい。外交儀礼の一環として、こういう文化的交渉は得意なのよ」
「ふふ、それはどうかしら」
そう口を挟んできたのは二の義姉だ。
「こういう繊細な依頼は、頭の回転が速くないと無理よ。それに、私はすでに“ミルフィユ”の常連なの。猫にも顔を覚えられてるわ」
「まぁ。その特徴のない顔を記憶できるだなんて、よっぽど賢い猫なのね」
ミルフィユって……!
いやいやいや。確かに、兄上に影を借りたけど……義姉たちに筒抜けじゃないかっ!
四方に目を走らせ植え込みをじっと見つめると、カサっと葉がこすれる音がした。…………口、軽すぎだろ? 覚えてろよ!?
ため息を呑み込み、真顔でその場のやり取りを眺めていると三の義姉がおっとりとした声で間に入った。
「おふたりとも、そんなに張り合わなくても。エルネリオが困ってるなら、私たちみんなで協力すればいいんじゃないかしら?」
「それじゃ意味がないのよ!」
「そうよ、誰が一番頼りになるかを証明するチャンスなんだから!」
俺は頭を抱えたくなった。
紅茶の香りが優雅に漂う中、空気だけが妙に殺気立つ。
「あの、俺としては、誰がとかじゃなくて……」
「エルネリオ、私に任せなさい」
「いいえ、私に!」
一の義姉と二の義姉はお互い譲らなそうだ。
いや、そもそも、義姉たちに頼むつもりは……まあ、この際いいか。
「じゃあ……」
俺はそっと、三の義姉の方を見た。彼女はただ、にこりと微笑んだ。
「……お願いできますか。三の義姉上」
「ええ、もちろん」
その瞬間、一と二の義姉が同時に立ち上がった。
「ちょっと待って、それは不公平よ!」
「そうよ、私たちの方が先に名乗りを上げたのに!」
「……じゃあ、皆さん、別々に依頼を出してみてください。必ずしも受けてもらえるわけではないそうなので」
俺の提案に三人は目を輝かせながら頷いた。もう、苦笑いしかない。
まあ、これで糸守人の刺繍が見られるのなら良しとしよう。
こうして、なぜか三人の王子妃たちによる“刺繍依頼代理戦争”が幕を開けたのだった。




