11.クラヴァン・トレード商会
一つの箱に詰められた私物を両手に抱えたまま、私は店の外に出された。
看板が付け替えられていく様子をぼうっと見届けてから、どこへ行くでもなくふらふらと歩き出した。ダリオとセリナと仲良く働ける気がせず……、断った途端に追い出されたのだ。
従業員たちはほとんどの者が残って働くことになった。私が追い立てるように店から出される間、彼らは私から顔を背けていた。
気持ちはわかる。彼らだって生活があるのだから、道連れにされてクビになるわけにはいかないだろう。責めるわけにはいかない。すべては不甲斐ない私のせいなのだから。
「でも、これから一体どうしたら……」
頼れるほど親しい親戚もいないし、友達もいない。
とぼとぼ街中を歩いていると、酔っぱらったおじさんと肩がぶつかった拍子につんのめってしまった。
「おいっ! ぼやぼやしてるんじゃねぇよ!」
「すみません……」
不機嫌そうに私を罵る言葉がやけに遠くに聞こえた。箱を持つ手に、力が入らない。
気を奮い立たせようと思うのに、目の前がぼやけていく。
視界がぐるりと回り、目の前が白けていく寸前。
「え? 君っ!」と叫ぶ男の声と共に、逞しい腕に支えられたような気がした。
*
「ん……」
目を開けるとそこは白い天井に真新しいカーテン。 一瞬、自分がどこにいるのかわからなかった。
でも、視界の端で、長い脚を組んだ紫紺の髪に気づいた瞬間、意識を失う前の出来事が押し寄せた。
「あ……」
「お、気づいたか?」
紫紺の髪の美しい男性は、肘をつきながら気怠そうに笑った。
「……ここ、どこですか?」
「病院。君、道路で泣きながら倒れたんだぞ。俺の目の前で」
「え……? も、申し訳ございません」
「過労だってさ。ああ、そうそう。連絡先がわからなくて。家族と一緒に住んでるなら呼ぶけど」
……両親もいないし、恋人も友達もいなくなったし、呼べるような相手はいない。
「あ……いえ、いません。それより、助けていただいてありがとうございました」
「いや。……それより大丈夫か? 寝言でずっと謝ってたけど」
初対面だというのに親切な人だ。赤の他人の彼が、今この世界で一番私のことを心配してくれているのだと思うと急に悲しくなった。
……ここ最近たくさんのことがあり過ぎた。
泣いたらダメだと思ったけど、涙が零れてきてしまう。はらはらと泣き出した私に、目の前の男性が慌てふためいた。
「え? お、おい、どうしたんだよ……」
「ぐずっ……す、すみません……ちょっと疲れていて」
「……何か事情があるんだろうけどさ、そんなに働くなよ。医者がこんなに疲れてて今までよく倒れなかったって言ってだぞ。無理がたたったから、しばらく休めって」
「……ぐずっ……、はい……」
「………………おい。運がいいことに、俺には今時間があるし、聞いてやってもいいぞ? 何があった?」
顔を上げた先、紫紺の髪の男性が心配そうに私を見つめていた。上から目線で口調は悪いし、いつもの私なら眉をひそめて断っていたと思う。
だけど、話し相手がいないことに気づいた今、見知らぬこの人でもいいから吐き出してしまいたかった。
そして、私はぽつりぽつりと話し出したのだ。
私の話の腰を折ることなく、頷きながら真剣に聞いてくれた彼。話し終わる頃には拳を握り締め、カンカンに怒っていた。
「なんだよそれ! 元カレに騙されて家を奪われただと? 親友にも裏切られて? そいつら最悪じゃねえか!」
「……」
「しかも店まで奪われた? おまえ、どこまで不幸なんだよ!」
すごい剣幕に思わず目を瞬かせてしまう。騙された私にも非があるとは言わず、他人の心にここまで寄り添えるだなんて、……きっと、この人はいい人なんだろうな。
しばらくの間、何かをじっと考えていた彼だったけど、そのうちぐっと椅子を引き寄せてきた。
「なあ、リュシア。おまえ、この先、行くところはあるのか?」
「いえ、病院を出たら家を探します」
「……それじゃあ、うちに来い」
「え……?」
顔を上げた先、男は美しい顔に笑みを浮かべていた。
「自己紹介がまだだったな。俺はネル。輸入商品を扱うクラヴァン・トレード商会の商会主だ。これから事業を拡大していこうってことで従業員を募集しているんだ。住み込みで手伝わないか?」
クラヴァン・トレード商会といえば……他国からの希少なルートを持つ商会で、アルフェネ商会でも珍しい布を取り寄せたことがある。
「今までは輸入するばかりだったけど、今後はこの国のいろいろな製品の輸出もしていきたいと思っていてさ。もちろん、この国の刺繍も。繊細な手仕事は他国の追随を許さない我が国の伝統的技術だ。女性の働き手が欲しかったから、うちにもメリットはあるし」
「刺繍、ですか……」
……それなら私でも役に立てるんじゃないだろうか。
目の前の男を信用していいのか不安がないと言えばうそになる。だけど、もはやどん底にいるのだ。これ以上奪われるものもないんだし、選択肢は他にない。
私はぎゅっと拳を握り締め、ネルの瞳を見つめた。
切れ長でどこか色気の漂う美しい男だ。しなやかな猫のような雰囲気があるけど……口調が悪いのに品があるし、悪ぶっているヤンチャな子猫みたい。
なんだか失礼だけど、そう思ったらネルさんが急に可愛らしく感じた。
「……はい、ぜひよろしくお願いします」
「よし、決まりだな」というと、彼は笑みを浮かべながら手を差し出してきた。私はおずおずと手を伸ばし、ネルさんの大きな手と握手をした。
男らしい大きく節だった手ではあるものの、とてもきれいな手だ。高位貴族なんだろか。それとも、大商会の息子さん?
何にせよ、身の回りのことは他の誰かがしていることは疑う余地もない。
「よし、リュシア。とりあえず、寝とけ」と口にすると、ネルさんは椅子から立ち上がり、サイドテーブルにお茶を置いた。私がいつでも飲めるように、手が届くところに置いてくれたのかしら。
病室のドアから出ていく時、彼は一瞬足を止めると「また後で来る」と口にして出て行った。




