プロローグ
『愛してる、セリナ。結婚しよう』
大好きな彼の囁くような低い声。学生の頃から慕うダリオの言葉に息を呑んだ。
半年後に控えた私たちの結婚式に先駆け、私が購入した新居。その寝室の扉の向こうからぎしぎしと軋むベッドの音に、時が止まる。
私は縫い終えたばかりの枕カバーとシーツを両腕で抱きしめたまま、その場から動けなかった。
短い睡眠でもぐっすり眠れるように……騎士であるダリオがゆっくり体を休めるようにと注文した特注のベッド。大柄な彼が両手を広げて寝られる大きさなのに加え、質と硬さにこだわったベッドは、買うのに勇気がいる値段だった。
そのベッドの上で、私の婚約者は私の親友に、私の大切なドレスを着せコトに及んでいる。
……そう。私の名前はリュシアであって、セリナではない。
獣のような荒々しい息遣いに肉が激しくぶつかる音。あんあんという女の媚びるような嬌声に吐き気がした。セリナ、セリナと切なく彼女を呼ぶ声。あんな声で私の名前を呼んだことはあった?
「……聞いた記憶はないわね」
私のことが大好きだから、死んだ両親に誓って初夜まで手を出さないって言ってたのに。初夜まで我慢できなかったから、性欲のはけ口としてセリナを抱いているの?
だからって、よりにもよってセリナに手を出すだなんて……! 一体いつから二人は関係を持っていたの?
「愛してる、か……」
最近、その言葉を聞いた記憶がないことに気づいた。
…そういえば、私の春色のようなピンク髪が好きだと撫でてくれた温かな手が、最後に私の髪に触れたのはずいぶん前のことだ。セリナの金髪碧眼がうらやましいと言った私に、「君の温かみのあるブラウンの瞳が好きだ」と言ってくれたのに。
お互いに忙しいからと言い訳にしていた。
だけど、かたえくぼを浮かべて笑顔で私の名前を呼ぶ彼がいなくなっていたことに、本当はとっくに気づいていたのかもしれない。
私はその場で咽び泣いた。
サラサラと流れる長めの茶色い髪をかき上げる仕草が好きだった。
新緑のような瞳を細めて笑うその仕草が。
男らしい口調、はっきりものを言うその薄い唇をいつも目で追い、頼もしく思っていた。
幸運なことに私には両親が遺してくれた店がある。ひとりで生きていくには困らないだけの財産も、私が全額を出して購入したこの家も。
ダリオは三年のリハビリを経て、また騎士として働けるようになったんだもの。セリナと一緒になればいい。だけど、金輪際二人に関わるつもりはない。
流れる涙もそのままに、私は彼らの行為の一部始終を聞きながら覚悟を決めた。
あまりにもひどい裏切りに、心が締め付けられる。
恋が砕け散ったことを認め、決意を固めるのに十分な時間があったことは本当に地獄のようだったけど、おかげでダリオに未練はなくなった。もはや発情期のサルにしか思えない。
ひときわ高い嬌声と低い唸り声が鳴りやむや否や、私はノックもせず寝室の扉を開けたのだ。