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恋愛、婚約破棄もの

婚約を破棄された子爵ご令嬢が自棄になって人助けをする話

作者: 夢見楽土

「アリシアお嬢様、どうかお気を落とさないでください」


「ありがと、ダニエル……」


 公爵家の屋敷の門前。老執事のダニエルに慰められたアリシアは、目に浮かべた涙をハンカチで拭い、力なく頷いた。


 アリシアは、郊外にある自宅へ帰るため、ダニエルを伴って夕暮れの街を歩き始めた。


 アリシアは子爵の長女で18歳。王国の有力貴族である公爵の長男と婚約しており、近々結婚する予定だった。


 しかし、公爵家に急にアリシアだけ呼び出されたかと思うと、いきなり婚約を破棄されてしまったのだ。


「君の家より遥かに格上の侯爵家の長女を迎えることになってな。申し訳ないが結婚の話はなかったことにさせてもらう。ご両親には後日書状でお伝えする」


 公爵家の応接室。有無を言わさぬ公爵の言葉に呆然とするアリシアに、婚約相手だった公爵家の長男が嘲笑(あざわら)うかのように付け加えた。


「ま、そういうことだ。正直、お前のようなガサツで気の利かない女と結婚せずに済んでよかったよ……あ、迎えに出した馬車だけど、この後、別に使う予定があるんで、悪いけど歩いて帰ってくれ」


 アリシアが口を開く間もなく、公爵とその長男は応接室を出て行ってしまった。


 そして、アリシアは、別室で待機していたダニエルと一緒に、公爵の屋敷を後にしたのだった。


「……今更だけど、メチャクチャ腹が立ってきたわ」


 家路を急ぐ人で(せわ)しい雰囲気の街を早足で歩きながら、アリシアが後ろを歩くダニエルに振り返って言った。


 ダニエルが苦笑しながらアリシアに言った。


「いつもであれば『お嬢様、またそんなに短気を起こして』というところですが、今回ばかりは、お嬢様のお怒りはごもっとも」


「そうよね、ダニエル。やっぱり怒って当然よね! 家に帰ったら自棄(やけ)食いしてやる!」


「お嬢様、はしたないですぞ」


 アリシアとダニエルが話しながら街の通りを歩いていると、そのすぐ横を馬車がスピードを落とさないまま強引に通り過ぎて行った。


「なにアレ?! あっぶないわね!」


「どうやら公爵家の馬車のようですな」


「……失礼にも程がある!」


 アリシアが前方を走り去る馬車を睨み付けていると、突然、叫び声が聞こえた。


 スピードを上げたまま走る馬車の前に、小さな男の子が走り出てしまったのだ。


 馬車が避け切れず、その男の子を撥ね飛ばしてしまった。


「な、なんてこと?!」


 アリシアはスカートの裾を持ち上げ走り出した。



 † † †



「誰か、誰かウチの子を助けて!」


 アリシアが事故の現場にたどり着くと、撥ねられた男の子を抱き上げて女性が周りに叫んでいた。


 男の子はグッタリしていたが、まだ息はあるようだった。身なりからして決して裕福な身分ではなさそうだ。


 その男の子を抱える母親と思われる女性も、貧しい身なりをしていた。


 そんな母子を一瞥した馬車の馭者が、馬をなだめると、何事もなかったかのように出発しようとした。


 アリシアが思わず声を上げた。


「ちょっと、あなた! 子どもを撥ねたんでしょ! 何とかしなさいよ!!」


 馭者は面倒そうな顔でアリシアを見たが、何も言わない。


 その時、馬車の窓が開き、公爵家の長男が顔を出した。


「これはこれは、元婚約者様ではないか」


 アリシアが声を上げる前に、公爵家の長男が口許を歪めながら言った。


「たかが貧民のガキ一人のために時間を割くほど俺は暇ではなくてな。そもそもそのガキが飛び出してきたのが悪い。心配ならお前が何とかしろ」


「なっ……」


「婚約解消で暇になっただろ? せいぜい頑張れよ。じゃあな」


 そう言うと、公爵家の長男は馬車の窓を閉めた。


 馬車は人だかりを強引に退()かせながら走り去って行ってしまった。



 † † †



「誰か、誰かウチの子を……」


 男の子を抱えた女性が、泣きながら周りの人々に向かって声を上げた。しかし、皆遠巻きに眺めるだけで助けようとしない。


 まるで、貧民なんか助けても何もメリットがないしなあ、という心の声が聞こえてくるかのようだった。


 それを見たアリシアは、怒りが限界を越えるのを感じた。


 理不尽に婚約を破棄され、その婚約相手に嘲笑され、挙げ句の果てにその相手からあんな酷いことを言われるなんて……


 アリシアが大声で叫んだ。


「やってやろうじゃないの! ダニエル、この子を助けるわよ!」


「お嬢様、言葉遣いが悪うございますぞ」


 ダニエルが苦笑しながら上着を脱ぎ、腕まくりをした。



 † † †



「ああ、助けていただきありがとうございます!」


「当たり前のことをしただけよ。うちの執事は回復魔法が得意でね……ダニエル、どう?」


 涙を流しながら礼を言う母親に、アリシアが笑顔でそう言うと、ダニエルに聞いた。


 グッタリした男の子に手をかざしなが、ダニエルが必死な様子で言った。


「思ったより重症です。何とか魔法で延命していますが、このままでは……近くで医療系魔法使いがいる救貧院は?」


「た、たしか13街区に……」


「遠いな。この子を抱えて歩いて行くには時間がない……」


 男の子の母親から救貧院の場所を聞き、苦悩の表情のダニエルに、アリシアが真剣な顔で言った。


「任せて、私が馬車を調達してくる!」


「お、お嬢様?!」


 ダニエルが驚き止めようしたが、すでにアリシアは走り出していた。



「急病人を連れて行く必要があるの! 誰か馬車を貸して!」


 アリシアが走りながら周りの群衆に叫んだ。しかし、誰も目も合わそうしない。


「どいつもこいつも薄情者ね」


 ダニエルが苦言を呈しそうな台詞を吐くと、アリシアは通りの前方を眺めた。


 前方から、豪華な馬車がこちらに向かって来るのが見えた。


「……ふん、やってやろうじゃないの!」


 半ば自暴自棄になっていたアリシアは、ヒールを脱ぎ捨てると、その馬車に向かって走り出した。



 † † †



「そこの金持ちの馬車、停まりなさい!」


 向こうから裸足で走って来て馬車の前に立ち塞がったアリシアを見て、豪華な馬車の馭者が慌てて馬車を停めた。


 馬車の後部に立って乗っていた従者が驚いた様子で降りてきた。


「な、何事ですかレディ? この馬車は……」


「この馬車が何だって言うの?! この先で大怪我をした子どもがいるの。あなたたち、お金持ちなんでしょ? 捨てるほど金も時間もあるんだろうし、すぐにあの子を助けて!!」


「れ、レディ?! この馬車は……」


「この馬車が何なのよ!! どうせ、何処かの大貴族のボンボンが乗ってるんでしょ? さっさとそのボンボンを馬車から放り出して、あの子を病院へ連れて行くのよ!!」


 唖然とする従者達。すると、豪華な馬車のドアが開き、中から地味だが仕立ての良い服を着た若者が降りて来た。


 アリシアと同じ年頃だろうか。華奢だが背丈はアリシアより少し高い。如何にも利発そう顔立ちに、優しそうな笑顔。


 その若者がアリシアに優しく尋ねた。


「怪我人なのかい?」


 アリシアは、その優しい声に自然と心が落ち着くのを感じた。慌てて頭を下げる。


「失礼なことを言ってすみませんでした。ですが、ですが一刻を争うのです! 子どもが馬車に轢き逃げされたんです!」


 アリシアの説明を真摯に聞く若者。アリシアは、自分が冷静になっていくのが分かった。


 その冷静になった心に、怒りや悲しみ、焦りといった様々な感情が再び溢れ出してきた。目に涙が浮かぶ。


 アリシアは、涙を流しながら若者に叫んだ。


「どうか、どうか子ども病院へ連れて行くのにその馬車を使わせてください!!」


 その直後、騒ぎを聞き付けたのか、馬車の後方から兵士の一団が走って来た。


 兵士達がアリシアを取り押さえようと殺到する。


 ああ、私は婚約を破棄され、その相手からバカにされ、そして、人助けも出来ないのか……私ってダメダメだな。


 アリシアが諦めて目を閉じたそのとき、若者の良く通る声が聞こえた。


「待て!」


 アリシアが目を開けると、兵士達がその場で直立不動になっていた。


 若者がアリシアに歩み寄る。


 若者が、アリシアの土で汚れた裸足の足元を見て行った。


「これだと君もケガをしてしまうよ」


 そう言うと、若者がいきなりアリシアを抱き上げた。アリシアが反射的に両腕を若者の背中に回す。


 華奢だが引き締まった体つき。アリシアは思わず赤面して腕を離そうとした。


「しっかり掴まって。落としちゃう」


 若者が微笑みながらそう言うと、馬車にアリシアを乗せた。


 従者や兵士が、困惑した様子で若者の背中に声を掛けた。


「で、殿下?!」


 馬車にアリシアを乗せた若者が、従者や兵士の方へ振り返り、張り切った様子で言った。


「さあ、人命救助だ!」



 † † †



「皆様、本当に、本当にありがとうございました!」


 王立病院の病室。応急処置が終わり、ベッドで休む男の子の頭を撫でながら、母親が何度も頭を下げた。


 アリシアとダニエル、そして若者が、それぞれ嬉しそうに頷く。


 アリシアを馬車に乗せた若者は、自ら走って怪我をした男の子と母親のいる場所へ向かうと、その男の子を抱き上げ、そのままアリシアの乗る馬車に乗り込んだ。


 そして、王国一の医療系魔法使いがいる王立病院へ連れて行ってくれたのだ。


 病室を出たアリシアは、廊下で若者に頭を下げた。


「あ、あの、本当にありがとうございます。あの親子のために治療費まで出してくれるなんて。何とお礼を言っていいものか」


「私こそ、皆の助けになれて良かった」


 若者が嬉しそうに微笑むと、アリシアに言った。


「勇敢なレディ、お名前を聞いてもいいかな?」


「は、はい。ハンプトン子爵、ジョセフ・ハンプトンの長女、アリシアと申します」


 慌てて畏まった挨拶をするアリシアに、若者が少し笑いながら言った。


「ふふ、ありがとう、ミス・アリシア・ハンプトン。今度、()()()()()お茶会を開く予定があるんだけど、一緒にどうかな?」


「ありがとうございます。是非とも!」


 アリシアが笑顔で頭を下げた。この優しく聡明な若者に、アリシアはいつの間にか好意を抱いていた。


「こちらこそ。君とまた逢えるのを楽しみにしてるよ。あ、あの男の子の轢き逃げ犯の捜査は私に任せて欲しい。必ず罰を与えるから。それじゃ」


 そう言うと、若者は廊下で待機していた従者や兵士を伴って、去って行った。


 若者を見送った後、アリシアが後方に控えるダニエルに振り返って言った。


「捜査だなんて、あの方は警察か軍の関係者なのかしら? あの公爵のバカ息子が犯人だって伝えとけば良かったかしら」


「お嬢様? あの……」


 何か言おうしたダニエルに、アリシアがハッとした表情で言った。


「あっ、あの人の名前を聞き忘れちゃった! どうしよう……ま、いいか、お茶会の招待状が来たら分かるわよね。来なければ、縁がなかったということだろうし」


「お嬢様……まあ、招待状が来たら分かりますよ」


 半ば呆れ、半ばイタズラっぽい表情で、ダニエルが言った。


 それから1ヶ月後、王宮から王太子主宰のお茶会の招待状が届き、アリシアはあの若者が王太子であったことに気づくのだった。


 そして、このお茶会でアリシアは王太子のお妃候補を巡る大騒動に巻き込まれることになるのだが、そのお話は、また別の機会に。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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