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第6話 助走をつけてぶん殴れ



「君は視えているんだねぇ……」


「っ……」


 しまった、目があっている。水瀬ミヤコはなんと言っていた――目をあわせたらどうなる。老人の黄色く濁った眼球から視線を逸らせず、呼吸が詰まる。苦しい。悪意が直接に僕の心臓を掴んでいるかのようだ。頭の中では目を逸らせと警鐘が鳴っているのに、視線が外れない。


「だめだよ〜お爺ちゃん。若者を怖がらせないでください」


「ううん?」


 水瀬ミヤコが僕の後ろに立ち、安心させるように両肩に手を置いた。老人の気が僕から彼女に逸れたからか、それまで感じていた禍々しい圧が消え、肺の中に新鮮な空気が流れ込んでくる。


「は、はぁっ、う……げほっ」


「大丈夫?」


「……平気、だ」


「感じる力、強くなりすぎちゃってるね」


 霊から悪意を向けられることは、こんなにも強烈なのか。身を守るすべのない人間が不調をきたすには充分すぎる。呪いだの祟りだのと言われるものの正体が少しわかったような気がした。


「視える子は……貴重だけどねぇ……もっと、小さければねぇ……」


「十七歳っ、ぴっちぴちの高校二年生です!」


 わざとらしいほどに明るい笑顔とはきはきした声で水瀬ミヤコが応える。僕たちは完全なるお前の守備範囲外、相手を不快にさせていることへの確信に満ちた表情だ。


「ああ、だめだ……だめだ……大きくなりすぎだ……君たちじゃあ、可愛くない……」


 濁った瞳が、品定めをするように僕とミヤコの間を行き来する。ねっとりとした視線に再び気分が悪くなりかけたが、老人は不満そうにベンチから立ち上がった。もう僕たちへの関心は失せたらしい、残念残念と小さく呟きながら腰をまるめて去っていく。


「はぁ……。本当に大丈夫? 来栖くん」


「なんなんだこの公園は、変質者しかいないのか……?」


「あれは私も想定外、気持ち悪かったね。でもまだあの子がいるよ、ほら、あのシーソーの……ああっ!!」


「!?」


 大きな声につられてシーソーの方を見る。不愉快なことに、さきほどの老人が女の子の腕を掴んで無理矢理に立たせようとしているところだった。


「今日もお前でいいかねぇ……仕方ないねぇ……」


「やだ……やだ、やめて……」


 女の子は振りほどこうと必死に足を踏ん張っているが、老人の力に抗えず徐々に引きずられていく。もう死んでいる霊だとわかっていても、小さな子供があんな変質者に捕まっている様子なんて見ていられない。あの子にどんな悪意が向けられるか、どんな目に遭わされるか、考えるだけで胸が悪くなる。




「おい、水瀬ミヤコ、やめさせろ」


「えっ、わ、わたし!?」


「僕じゃあいつにさわれないだろ」


「ああ、そっか、そうだね! でも、どうしよう!? 聞いてくれるかな!?」


「助走をつけてぶん殴れ。相手は老人だ、女の君でも若さで分がある。早く行け」


「もー! 自分がやらなくていいからって! でも……わかった、 あれは放っとけない。やるだけやってみる……!」


 老人を睨みつけ一度深く深呼吸をすると、水瀬ミヤコは走り出した。長い髪とセーラー服のスカートをなびかせながら、一気に二人への距離を詰めていく。


「子供を!いじめるなーーーー!」


「ううっ……!」


 声を張り上げるやいなや勢いよく飛び上がり、見事な飛び蹴りを繰り出す。鋭く伸びた脚は(つる)から放たれた矢のように老人の胸に直撃し、受け身も取れず地面に倒れ込んだ彼の横で美しい着地まで決める。適当に焚き付けただけだったが成功だ。想像以上の身体能力に舌を巻く。あんなの僕にはとても真似できない。


「やった! キマった! 私、超かっこいい!」


「お前ぇぇ……! 儂の邪魔をする気かぁ!」


「早くその子を連れて来い! ここから離れる!」


 くそ。つい叫んでしまった。数人の子供と母親たちが不審そうに僕を振り返っている。


「おいで、お姉ちゃんたちが守ってあげるから」


「え……」


 水瀬ミヤコが少女へ向き合い右手を差し出した。不安そうに目を泳がせながらも手を取った少女を引き寄せ、素早くこちらへ駆け寄ってくる。


「よし、はぐれるなよ」


「わかってる!」


 そのまま三人で一気に走り出し、公園を後にした。老人が追って来ていないか何度も振り返って確認しながら、複雑な路地を選んで進む。息が切れても、視界が滲んでも止める理由にはならなかった。


「はぁ、はぁ、はっ……はは、傑作だったよ水瀬ミヤコ。女子高生が老人を蹴り飛ばすモラルの欠片もない絵面だった、でもあの変質者にはお似合いだ」


「あんなやつに手でさわるの嫌だったから! 格好良かったでしょ!」


「そうだな、ははっ、感心した」


「ふふ、ありがと! 来栖くんでも、そんなふうに笑うんだね」


「笑うさ、気分がいいときは」


「そーいう性格曲がってるとこも、好きだよ私」


 にこにこと機嫌が良さそうな水瀬ミヤコと、不思議そうに僕らを見上げる少女。いくつめかの角を曲がって足を止めたときには、汗だくで目眩がするほど疲弊していた。アスファルトに膝をつき痛む肺を休ませる。なにをしているんだろう、高二にもなって町なかを走り回るなんて。それでも不思議と爽快な気分に包まれている。






「ここなら、大丈夫だろう、たぶん」


 長い石段を登り、鳥居をくぐる。湿った空気が急にひんやりと冷えたように感じる。境内には誰もおらず、木の葉のさざめく静寂だけが広がっていた。どこか安全な場所はないかと考え、ふと普段からあまり人気のないこの鷹角(たかかど)神社のことを思い出した。なんとなく、神社なら悪いものが入ってこれないような気もした。


 こめかみから流れ落ちる汗をハンカチで拭い、蒼い影の落ちた木陰に座ってようやく一息つく。水瀬ミヤコと少女はあれだけ走ったのにもかかわらず、息を乱すどころか汗ひとつかいていない。


「……君たちは、姿を消せばよかったんじゃないのか? 僕と走る必要はなかっただろ」


「それじゃ来栖くん、寂しいでしょ? 走るの楽しかったよ。ね?」


「うん……」


 少女が控えめにうなずく。やはり不安そうに僕たちの様子を伺っていて、目が合うとすぐに下を向いてしまう。水瀬ミヤコはそんな彼女の横にしゃがみこむと、両手を握って笑顔で話し始めた。


「ねえ、お名前なんて言うの? お姉ちゃんは水瀬ミヤコって言うの、こっちのお兄ちゃんは来栖ハヤトくん。あなたのお名前も教えて?」


「サヨリ……初田(はつた)サヨリ……です」


「サヨリちゃんか、じゃあ、さっちゃんだね。よろしくね、さっちゃん」


「初田サヨリ……?」


「なに? どうしたの来栖くん」


 一瞬、彼女の名前に引っかかりを覚えた。どこかで聞いたことがあるような。ざっと記憶を掘り返してみるが――だめだ、思い出せない。それほどめずらしい名前というわけじゃないし、テレビで見かけたことのある芸能人や過去に読んだ小説の登場人物に似たような名前がいたのかもしれない。


「いや……なんでもないよ。聞き覚えがあるような気がしただけだ。気のせいかも」


「ふーん? ねえ、さっちゃんは何歳なの?」


「六さい……です」


「六歳。小学一年生か? こんなに小さな子供にも、成仏できないほどの未練が残るのか…… 」


「んー……。さっちゃん、自分がなんで死んじゃったか覚えてる?」


「うん……。サヨリ、おぼれたの」


 溺れた。水難事故か……? 苦しんだ挙句に成仏までできないなんて気の毒に。


「さっちゃん、死んだらみんなお空の上に行くんだよ。でも、さっちゃんはまだ行きたくないんだよね? どうして行きたくないのかな?」


 小さな手を胸の前でぎゅっと握りしめ、寂しそうに目を伏せる。少し迷うような間のあと、さっちゃんが顔をあげた。


「……サヨリ、お母さんがひとりでさみしくないか、心配なの……」



 僕と水瀬ミヤコは無意識に顔を見合わせていた。言葉にしなくてもわかる。母親を想うあまり成仏できない子供の純粋さに胸が痛んだ。この無垢に、欲にまみれた汚い手でふれたあの老人が忌々しい。


「……なあ、さっちゃん。おうちがどこにあるか憶えてるか? 僕がお母さんの様子を見てこようか?」


「おうちにはもう行ったの……でも、誰もいないの」


「誰もいない? 引っ越しちゃったのかな?」


「あり得なくもない。家族を……とくに、幼い我が子を失って、いままで通りの生活ができなくなることも、あるだろうし……。行って確かめてみるか?」


「いいの? うん、じゃあさっちゃん、おうちまで案内してくれるかな?」


「うん……」


「ありがとう。よろしくね」


 さっちゃんの頭を水瀬ミヤコが優しく撫でる。安心していいと語りかける静かな仕草に、こわばっていた少女の表情が少しだけやわらいだ。



 

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