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第2話 告白



「僕が、君を殺した……? 一体なにを……」

 

「来栖くんにフラれたショックで死んだんだよ、私。 あなたに殺されたようなものでしょう?」


 栗色の大きな()が、真っすぐに僕を見つめる。理解が追いつかない。理屈も、感情も、全部ぐちゃぐちゃだ。言い訳するでもなく、悪びれもせず、本気でこの茶番を続ける気なのか。だけど強い意志の色が視線を逸らすことを許さない。昨日と同じだ。水瀬ミヤコのこの真剣な眼差しを、僕はたしかに昨日も受けた。




 

***


 

 

 七月二十四日、放課後。委員の作業を終えて図書室をあとにする頃には、窓から差し込む夕日が廊下に長い影を落としていた。ほとんどの生徒がすでに帰宅した静かな校舎に十八時を告げる防災無線の放送が反響する。いつもなら眉を(ひそ)める不愉快な音割れも、明日から夏休みだと思えば穏やかに聞き流すことができた。



「あ、あの……!」


「……?」


 下駄箱の前で声をかけられた。革靴に伸ばしかけていた手を止めて声の主に顔を向けると、水瀬ミヤコが立っていた。学園のマドンナと呼ばれる存在だ、彼女のことを認知はしていた。生徒たちの他愛ない会話の中にも熱っぽい噂話の中にも水瀬ミヤコの名前は頻繁に登場する。どこかで黄色い歓声があがればその中心にはだいたい彼女の姿があった。希蝶学園の誰もが知る有名人。たとえ興味がなくても話題は耳に入ってくる。まるで接点のない僕になんの用があるのかは検討もつかないが。


「なにか……?」

 

「あっ……す……好きです! 来栖ハヤトくん、私と、付き合ってください!」


 早口でそう言うなり彼女は勢いよく頭を下げた。丁寧に手入れされていることが(うかが)える、艶やかな髪に覆われたまるい頭頂部。膝のあたりできちんと揃えられた両手の指先で、形の良い爪が淡い桜色の光沢を放つ。評判通りまるで隙がないのだな、と感心する。しばらく無言の時間が流れ、いつまでも頭を上げようとしない彼女の様子に、ようやく状況を理解する。僕がなにか言葉を発するまで、この膠着状態は続くらしい。


「……顔をあげてくれ。君は、水瀬ミヤコだろ」


「えっ、はい……! 私のこと知っててくれたんだ、嬉しい」


「知ってるよ、顔と名前くらいは」


 靴を履き替えながらそう言うと、見るからに緊張でこわばっていた彼女の表情がぱっと輝いた。栗色の大きな瞳の奥に、希望の光が(とも)る。ほのかに頬を上気させた水瀬ミヤコは深呼吸をして、こんどは真剣な眼差しで真っすぐに僕を見つめた。


「あの、私、一年の頃からずっと来栖くんのことが好きだったの。本当に本気……。だから私と、付き合ってくれませんか」


「……それは、ありがとう。女子の君から想いを告げるのは大変だっただろ」


「あっ……じゃあ……」


 弾む声に、隠しきれない期待と高揚感が滲み出ていた。まるで、この告白が成功する未来しか見えていないような、純粋で熱量のこもった響き。あまりにも眩しく、重い。ほとんど他人同然の相手なのに。僕にそんなものを向けられても困るのに。

 

「付き合うのは無理だ。……僕は君のことをよく知らない」


「あ……そ、そっか。じゃあ、これから知り合っていこう? 明日から夏休みだよ! 電話したり、デートしたり、えっと……そういうのは急すぎるのかな……そうだ、勉強会とかどうかな? 夏休みのあいだお互いのことを知る時間、いっぱいあるよ」


「無理だな。そんなことをしたいと思うほど、そもそも君に興味がない」


 淡々と、だけど明確に拒絶の言葉を告げる。彼女は堰を切ったように早口で言葉を重ねてきた。声が微かに震え、語尾は上擦る。必死に笑顔を作ろうとしている姿が痛々しい。

 

「まって、来栖くん! 私のこと、嫌いとかじゃないんだよね? だったらお願い。少しでもいいから、私のこと知る機会を――」


「嫌いじゃなかったよ、さっきまでは。気にも止めてなかった。でも、僕はしつこい人間が嫌いだ。つまり、もう君のことが嫌いだ」


「あ……」


 輝いていた希望の灯火が吹き消される。水瀬ミヤコの顔からみるみる血の気が引いていく。それでもまだ彼女はなにかを訴えようと、口を開こうとする。これ以上の問答は、きっとお互いにとってなんの得にもならない。彼女の傷口を広げるような言葉を重ねたいわけじゃないし、一刻も早くこの息の詰まる時間から解放されたい。だから見て見ぬふりをして背中を向けた。


「それじゃあ、僕は帰るよ。良い夏休みを。君も暗くなる前に帰れよ」


 ギシ、と使い古されたすのこの軋む音がやけに大きく響く。そのまま玄関ドアを開けて歩き出した。すすり泣く声や追いかけてくる足音が聞こえてこないことに少しだけ安堵しながら、一度も振り返ることなく校舎をあとにした。


 

***



「……あのあと……」


「うん。あのあと家に帰って、お風呂に入って、家族と夕食を食べて、部屋で首を吊ったの。……これから死ぬなんて、誰も気づかなかったよ」


「……信じられない。君を慕っていた男なんて山ほどいただろ。僕に告白を断られたくらいで……そんなことくらいで、人が死ぬわけ……」


「そんなことじゃないよ。私にとっては、全然、そんなことじゃない。人生で一番の勇気を振り絞ったの。でも来栖くん、私のこと、知ろうともしてくれなかった」

 

「……」


 昨日の自分の発言を思い返し、口を(つぐ)む。あのとき、僕はたしかに彼女の必死な思いを軽んじてしまったかもしれない。人生で一番の勇気とやらを踏みにじってしまったのかもしれない。だからといって、それが彼女の死の直接的な原因だとは認められなかった。興味のない人間に対して必要以上の優しさを見せ、心を砕いたりする必要なんてあったのか。他人の感情にどこまで責任を持てというんだ。告白を断った。その結果、彼女が自ら命を絶ったとしても、それは彼女自身の選択で僕が負うべき罪ではない。混乱している。重い。こんなもの背負う余裕はない。


「私、このままじゃ成仏できないの。来栖くん、責任とって」


「責任……? なんのだよ、なんで僕が……」


「私が死ぬきっかけを作ったんだから、私が成仏できるよう手助けして」


「言いがかりだ、勝手なことを言うな。そもそも、僕は君が死んだなんて信じない。こんなのきっと、なにか仕掛けが――」


 水瀬ミヤコの体をかき消すように腕を振り上げる。腕は彼女の体を突き抜けて、空を切る。


「明後日、葬儀があるって言ってたでしょ?」


「ああ……」


「絶対に来て。私が死んだかどうか、その目でちゃんと確かめて」


 エアコンの効いた部屋は、夏の夜とは思えないほど冷え込んでいる。僕が小さく頷くと、水瀬ミヤコは音もなく消えていった。陽光に溶ける朝露のように、はじめからすべてが幻であったかのように。





 



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