第11話 ネーミングセンス
かくして、愛らしい白い子猫を取り囲んでの名付け大会が開かれた。やはり、はじめに口を開いたのは水瀬ミヤコだ。
「この子、真っ白だから……白から連想できる名前だと覚えやすくて良いよね。えっと、冷蔵庫、うさぎ、素麺……」
「やめろ。白いだけだろそれは。どんなネーミングセンスをお持ちなんだ。誰が子猫に冷蔵庫なんて名前をつける、良心がないのか君は。この子の立場になって考えろ。純白の毛並みを持つ美しい子猫に無骨な白物家電の名前をつけるなんて暴挙以外の何物でもない。猫にだってプライドがあるんだぞ。もっと責任感と愛情を持て。君はこの子の名付けに関わるな、大人しくしていろ」
「えっ!? なんかいつにも増して当たりがきついね!?」
水瀬ミヤコは信じられないという顔をして大げさに声を上げる。当たり前だ。彼女の強引さなら冷蔵庫や素麺で決まる可能性もある。早々に釘を打っておいたほうがいい。
「じゃあ来栖くんは? 来栖くんはセンス良い名前思いついたの?」
「そうだな……格式のある名前がいい。まず、リリー。谷崎潤一郎の『猫と庄造と二人のをんな』に登場する猫の名前だろ。それから、プルートー。エドガー・アラン・ポーの『黒猫』に登場する猫。うん、カタリーナも良いな。これはエドガー・アラン・ポー自身が飼っていた猫の名前。それから、トマシーナとジェニィ。猫好きのポール・ギャリコが書いた――」
「わかった! ストップ! さすが文学少年! 得意分野になるといきなり早口! 追いつけない!」
「君が聞いたんだろ! 失礼な言い方をするな!」
「はいはい。じゃあ次はさっちゃん、この子に似合うお名前考えてみて?」
「えっと……サヨリは……」
さっちゃんは子猫と僕たちを交互に見下ろしたり見上げたりしながら、少し頬を赤らめて呟いた。
「マシュマロ……がいいな……」
途端に、部屋の中に穏やかな空気が流れる。マシュマロ……。言われてみればたしかに、ふわふわした白い毛並みと、小さくて丸っこい体つきがマシュマロを連想させないでもない。いまは痩せているが、たくさん食べて大きくなればさらにマシュマロに近くなりそうだ。
「え~! 圧倒的にかわいい。覚えやすいし。もう決まりじゃない? いいよね来栖くん」
「マシュマロ……。君はそれでいいのか?」
「にゃー」
子猫はまた一声鳴くと、我関せずというふうに腹を舐めはじめた。異論はなさそうだ。
「決まりだな」
「やったねマシュマロ~。新しい名前だよ~。いっぱい食べて大きくなろうね~。冷蔵庫くらい大きくなろうね~」
「しつこいぞ、根に持つな」
「マシュマロ、かわいいね。あたらしいおなまえ好き……?」
二人は思い思いにマシュマロに話しかける。卓上時計に目をやると、もうすぐ父さんが帰って来る時間だった。
「家族を説得するから、一階に連れて行くよ」
「うん、がんばってね! マシュマロと、私たちのために!」
「がんばってね、お兄ちゃん」
タオルを敷いた段ボールの中にマシュマロを入れて、両手でガッツポーズを作り応援してくる二人を背に部屋を後にした。きっとこの子はうちの子になる。飼えるように説得してみせる。一階に降りると、ちょうど居間にいた母さんに出くわす。
「あら……ハヤトちゃんその段ボールどうしたの? ゴミに出すなら、火曜日よ」
「ゴミじゃないよ母さん。あの、実は河川敷でネコを拾って……この子なんだけど」
母さんは一瞬きょとんとした顔をして、僕の隣に並んで箱の中を覗き込んだ。マシュマロがまた小さな声で鳴く。
「まあ。まあまあ。可愛い子猫ちゃん」
「それで、できたらこのままうちで飼いたいんだけど……。あの……母さん、大丈夫そうかな?」
マシュマロの可愛さに夢中になっているようで、母さんは顔を上げずに何度も頷いた。
「大丈夫よ。お母さんは大丈夫。心配しないで。うふふ、なんて可愛いのかしら。綺麗な瞳ね」
「うん。ありがとう。父さんにも僕から言うから」
「ええ、がんばって説得してね。きっと大丈夫だから」
ほほ笑む母さんに励まされて、少し肩の力が抜ける。タイミングよく駐車場に車が入ってくる音が聞こえてきた。
「ほら、行ってきなさい」
「うん」
「ただいまー」
ドアを開け、父さんはいつも通りまっすぐ台所に向かっていく。マシュマロの入った箱を抱え直し、僕も後を追った。
「お帰り父さん」
「ただいまハヤト。今日は焼きうどんだぞー、肉も野菜もたっぷり入れてボリューム満点に…… どうしたそんな顔して? なんだその箱? ゴミは火曜日だぞ」
スーパーのレジ袋から中身を取り出していた父さんが、すぐに僕の抱えている箱に気付いた。少し緊張するけれど傍に寄って中身を見せる。
「ゴミじゃない……今日、河川敷で子猫を拾ったんだ。弱ってたけど、餌とミルクをあげたから、いまは元気」
「子猫……。おお、本当だ。うわ、小さい、可愛いなぁ」
「にゃー」
父さんがマシュマロの頭を指で撫で、顔を綻ばせる。
「どうするんだこの子? 里親探しでもするのか? 父さんの職場でも聞いてみようか?」
「あ……。えっと、できればこのまま僕が飼いたい。この家で、飼わせてほしいんだけど……」
「猫を飼いたい? お前が?」
「うん……」
父さんも、母さんと同じように驚いた顔をしたあと、すぐに目を細めて優しい笑顔を浮かべた。
「そうか……。懐かしいな、ハヤトがまだ六歳か七歳くらいの頃、同じように捨て猫を拾ってきたことがあったんだ」
「僕が? 覚えてない……」
「あの時は飼えなかったんだよ。お前は泣いてたけど、聞き分けが良い子だったからな……一度説明したらそれからはもう動物を飼いたいって言わなくなってさ。母さんと二人で、ずっと気にしてたんだ。そうか……うん。もう、いいんだもんな」
そう、もういいんだ。この家で猫を飼っても。
「ちゃんと面倒見てやれるな? 餌やりも、トイレの始末も、毎日遊んでやることも、苦じゃないか? 最期まで面倒見てやれるか? 責任感の無いやつにペットを飼う許可は出せないからな」
「大丈夫。ちゃんと面倒見る。約束する」
「うん。お前なら大丈夫だよ。聞いてみただけだ。じゃあ、いいよ飼っても。父さんも本当は動物好きなんだよ。子猫かぁ、嬉しいな」
「……ありがとう!」
「病気がないか、次の休みに獣医に診てもらおう。予約しないとな。あと、必要な物も揃えないと。ついでに隣町のでかいホームセンターまで行くか」
「うん、助かる。ありがとう、よろしく」
よかった。この子をうちに迎えることになった。上の二人も喜ぶ。父さんがマシュマロの顎の下を指でくすぐると、一丁前にゴロゴロと喉を鳴らす音が聞こえてくる。
「よろしくなー、チビ助。これで寂しくなくなるな。そうだ、名前はどうするんだ?」
「……名前は、もう、決まってる」
「へえ? なに?」
「……マシュマロ」
「……」
目を丸くした父さんを見て、顔に熱が集まる。僕が思いついた名前じゃないと言いたいが、じゃあ誰がと聞かれても二階にいる女の子がとは答えられない。
「へ~、可愛い名前をもらえてよかったなぁ、マシュマロ~?」
「うん……可愛い、だろ……」
「お帰りなさいあなた。うふふ、やっぱり飼えることになったのね、よかったわねハヤトちゃん。それに、マシュマロちゃん」
母さんが台所に入ってきて、優しく笑う。マシュマロは嬉しそうににゃあと鳴いた。
***
獣医によると、マシュマロは野良猫に多い深刻な病気などには罹っておらず、ノミの駆除さえすれば問題なく健康体だという。おすすめのノミ駆除薬を買い、安心して帰路についた。車で移動しているあいだケージの中で大人しくまるくなっていたストレスか、家についた途端に元気に走り回る姿を見て僕と父さんは声を上げて笑った。
「元気そうだな。じゃあ、父さんは夕飯の買い出しに行ってくる、あと頼んだぞ」
「うん。ありがとう父さん。行ってらっしゃい」
買ってきた猫用のトイレやおもちゃをすべて家の中に運び、マシュマロを抱いて自室に戻る。ドアを開けると心配そうな顔をした水瀬ミヤコが飛びついてきた。
「どうだった? マシュマロ、健康? 病気かかってない?」
「お兄ちゃん、マシュマロ、おかえりなさい」
「ただいまさっちゃん。落ちつけ水瀬ミヤコ。大丈夫だったよ、ノミが少しいるけど薬で駆除できるって。病気なしの健康体」
マシュマロの頭を撫でて床に降ろす。すっかり勝手知ったる我が家だ、小さな体でベッドをよじのぼり掛け布団の上でにゃあと鳴く。
「……それと、買い物のついでにこれ現像に出してきたんだ」
鞄の中から細長い封筒を取り出し、二人に見せた。プリント会社のロゴとアイドルが印刷されたその封筒を見て、水瀬ミヤコが目を輝かせる。
「あー! 銅戸アニマルパークの? 現像してくれたんだ、もう中身見た?」
「いいや。まだ見てない」
「それ、どうぶつえんのしゃしん……?」
「そうだよさっちゃん、見てみよっか。私とさっちゃん写ってるかな?」
写っていない可能性のほうが高いし、そのほうが健全だ。だけどほんの少しだけ、彼女たちが写っていてくれたら嬉しいと思う自分もいる。もっとも、その場合はまごうことなき心霊写真ということになるが。
「よーし。来栖君、どんどんめくって」
そう言われて、封筒の中から写真の束を取り出し一枚ずつめくっていった。ふれあい広場、大型動物のサファリエリア、爬虫類館に、ライオンのいた猛獣エリア、それから帰りぎわの集合写真。
「…………」
「…………」
「…………」
「……ふっ、ふふふ」
最初に耐えられなくなったのは水瀬ミヤコだった。腹を抱えて肩を震わせている。
「あはははは、なにこれっ、ふふ、ぜ、ぜ、全部写ってる!」
「すごーい! すごい! ほんとうにみんなでうつってる! すごーい!」
「なんだこの愉快な心霊写真は……信じられない……どうなってる……」
そう。写っていた、それはもう見事に、はっきりと、鮮明に。彼女たち幽霊二人が動物園を異様な方法で楽しむ姿が、僕と変わらないほどくっきりと写し出されてる。
「ネガには写ってない……どういう仕組みなんだ?」
「飾って、飾って! このライオンに乗ってるやつと三人で写ってるやつは絶対部屋に飾って!」
ひいひいと泣き笑いのような状態で水瀬ミヤコが写真を指指す。それを見ているとなんだか僕まで可笑しくなってしまって、二枚の写真を抜き出しテープで机に張り付けた。
「なんというか……見れば見るほどいい写真だな」
「あっはははははは」
「ふふ、サヨリうれしいな。みんなたのしそう」
僕と、水瀬ミヤコとさっちゃんが笑顔を向ける写真。いつか彼女たちがこの世から消えてしまったとしても、この写真は僕たちの思い出を証明するものとして残り続けるのだろうか。そんなことを考える自分が少し恥ずかしい気もするが、まあ、悪くはない気分だ。
プリント会社のロゴとアイドルが印刷されたあの封筒、若い世代の方に伝わるんでしょうか。ネガ封筒というやつですね。