第1話
晩夏の猛暑が鳴りを潜めた、夕涼みの福岡市・中洲。
川沿いにズラリと並ぶ屋台街は、一日の疲れを癒さんとする多くの人々で賑わう。
定番の焼き鳥、おでん、焼きラーメン。できたての肴の香りが鼻孔をくすぐり、食欲を刺激する屋台。陽気な提灯の明かり。
そんな華やぎの中、小説家・綴叶は暮れ泥む。
カウンターの向こうでは、おでん鍋が湯気を上げる。
「小説を書くうえで難しいのは、新しいアイデアに巡り会うことなんだ。アイデアに会いさえすれば、あとは書けばいいだけだからな」
綴はビールのジョッキを置き、ため息をついた。
「新作、行き詰まっとーと?」
おでんの皿を差し出す店主。
「うん。だから久々に遠出したんだ」
と、綴は皿を受け取る。
「ここ数年は、出かけづらか状況やったもんなぁ」
「それな。こもってるだけだと、狭まってダメなんだ」
綴は大根を頬張る。
(こうして、おいしいおでんが食べられるのも、外に出たおかげだ)
と、綴りは思う。
「いらっしゃい!」
ここで、店主が威勢よく呼び掛けた。
「――綴先生?」
綴の背後から、透明感のある声がした。
綴が振り向くと、二十代半ばと思しき女性がのれんを広げていた。
「おお! 小山くん!」
「知り合い?」
店主に聞かれ、綴は首肯する。
「この子はボクの担当編集の――」
「小山です! 生ください!」
綴を遮って、小山がハキハキと名乗った。
「こっちは店主の後藤さんだ」
綴は店主を紹介。
「コノミちゃんね? 中洲へようこそ!」
と、ビールを手渡す後藤。
「じゃ、小山くん」
「おつかれさまです、綴先生」
二人はグラスを合わせた。
「遥々大変だったろう?」
綴の言に、小山は頷く。
「綴先生と一緒で、通話より対面派のお偉いさんが多くて」
「打ち合わせ、難航したのか?」
小山はビールを煽り
「打ち合わせは一回戦目なのでまだいいんですけど、そのあとの飲みがみんなペース早くて! 危うく1エイチくらい押しになるところでした 」
「彼ら、ボクより飲むからな」
「先生もお酒飲む人だったの、意外です! ブラックコーヒーとマーマレード塗ったトーストと半熟卵しか受け付けないイメージでした」
「どんなイメージだよ、ボクを何だと思ってるんだ?」
「先生と飲むためにセーブして抜け出すの、超苦労したんですから、労ってください!」
「なんでも頼むといい」
綴が促す先には、煮立つおでんの数々。
「福岡は酒飲み文化やけんねぇ。社会人のもてなしは花より酒たい」
と、後藤。
「それを言うなら団子だろう」
綴の突っ込みに被さる勢いで、小山が言う。
「後藤さんのおすすめをお願いします」
「苦手なのある?」
「なんでも食べれます!」
「よかねぇ! それじゃ、俺からもサービスしちゃろうかな?」
後藤はおでんの皿を差し出す。
おいしそうにおでんを頬張る小山を見て、綴は小さく笑んだ。
「そういえば、君とリアルで会うのはこれが始めてか」
おでんの皿が空いて、代わりに焼き鳥の皿が置かれた頃、綴が言った。
「ずっとビデオ通話でしたからね」
「先生、コノミちゃんと話せばアイデア出るっちゃなかと?」
と、後藤。
「先生、原稿は進んでます?」
「当然だろう……?」
「具体的には?」
「頭の中でなら、それなりに」
ジトり。
小山に睨まれ、綴はそっぽを向く。
「それ、進んでるって言わなくないです?」
「……」
ビールを口へ運ぶ綴。
「間に合わなかったらおしおきです」
にこりと笑う小山。目元に影が差している。
「これでも一応、ベストセラー出してるんだぞ……」
頬を赤らめ、強がりを返す綴だが、
「何に詰まってるんです?」
そう聞かれ、またも顔を逸らす。
「今回の新作……ヒロインがなかなか動いてくれない」
「モチーフにした人とかいないんですか? 女優とか」
「そういうのは、今回は無い」
「どんなヒロインです?」
「見た目は子供。頭脳は大人」
「名探偵です?」
「例えが悪かった。青山先生に怒られる」
首を横に振る綴に、後藤が言う。
「ごめん先生、ちょっと寄っとくれんね?」
「ああ」
綴がスペースを空けると、
「あ、ありがとうございます……」
おずおずとした様子の、学生くらいの、若々しい女性が座る。
「か、カシオレで」
と、女性は酒を注文した。
「見た目は子供。頭脳は……」
そんな女性を見て、小山が小声を漏らした。