表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/37

09.居場所

 クッキーを包んだ袋を手に、ヘスティアは自室へと戻った。

 実家での狭く暗い部屋とは違い、日当たりの良い広い部屋には清潔なベッドとテーブルが置いてある。

 温かい食事に、ふかふかのベッド。どれも、実家では得られなかったものだ。

 今はなんと恵まれているのかと、ヘスティアは幸せを噛みしめる。


「あら?」


 ヘスティアはテーブルの上にクッキーの袋を置こうとして、ふと手を止めた。

 そこには、手紙が置いてある。差出人は、実家の男爵家だった。


「……」


 幸福に水を差されたような気分になり、ヘスティアはため息をつく。

 しかし、捨てるわけにもいかないだろうと、封を開けて中身を読む。

 そこには、ヘスティアの近況を尋ねる内容が書かれていた。

 後添えとしてきちんと尽くしているか、信用は得られたのか、など。

 丁寧な言葉で書かれているが、その実は心配している様子は微塵もない。

 あくまでも後妻としてうまくやっているか、という問いに終始している。


「……後妻にはなっていないのよね。アマーリアさまの侍女にしていただいて幸せだけれど……あの人たちが聞きたいのは、そんなことじゃないでしょうし……」


 そう呟いて、ヘスティアは手紙から視線を逸らした。

 彼らは、ヘスティアの幸福など、どうでもよいだろう。辺境伯家との繋がりが欲しいだけなのだ。

 そのために、ヘスティアが信用を得られたかどうかを気にしている。


「でも……そういえば、大旦那さまってまだお見かけしていないのよね……」


 レイモンドの祖父である先々代は、大旦那さまと呼ばれている。

 ヘスティアは本来、後添えとしてやって来たというのに、まだ一度も彼の姿を見たことがないのだ。

 聞くところによると、魔物討伐に明け暮れているそうで、滅多に屋敷には戻らないという。


「……大旦那さまにはお会いしたことすらなく、侍女として幸せに暮らしています、と書いたらどうなるのかしら」


 ヘスティアは意地悪な気分になって、そんなことを考える。


「いやいや、ダメよ。そんなこと書いたら、乗り込んでくるかもしれないわ」


 頭を振って、ヘスティアは手紙の返事を書き始める。

 手紙には、心配する必要はない、幸せに暮らしていると書いた。

 聞きたいのはそこではないだろうとわかってはいたが、気が付かない振りをする。


「これでよし」


 手紙を書き終えると、ヘスティアは丁寧に封をした。

 そして、テーブルの上に置いたままのクッキーを見つめる。


「……まだ、お帰りになっていないわよね。いつ渡せるかしら……」


 レイモンドは、まだ帰っていないはずだ。

 しかし、いつ帰るかわからない。

 できれば出来立てを食べてほしかったが、それは無理だろう。

 クッキーは日持ちがするとはいえ、なるべく早く食べてもらいたい。


「ううん、それは私の身勝手ね……。でも、食べてもらいたいな……」


 生まれて初めて作ったクッキーなのだ。誰に食べてもらいたいかと考えたとき、思い浮かんだのはレイモンドの顔だった。

 あの優しい声で、美味しいと言ってくれるだろうか。

 もしそうだったら、どんなに嬉しいだろう。

 想像するだけで心が躍る。しかし、同時に不安にもなるのだった。


「私なんかの作ったお菓子を、召し上がってくださるかしら?」


 そんなことを考えているうちにも、時間は過ぎていく。そろそろ夕食の時間だ。

 ヘスティアはテーブルの上を片付けると、部屋を出て食堂へと向かうことにした。




 レイモンドが帰宅したのは、二日後のことだった。

 待ちわびていたヘスティアは、玄関まで駆けて行く。


「お、お帰りなさいませ……! 旦那さま」


 出迎えたヘスティアを見て、レイモンドは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに笑顔になる。


「ああ、ただいま。待っていてくれたのか」


「はい……あの……」


 ヘスティアはおずおずと、クッキーの入った袋を差し出した。


「これは?」


「その……クッキーです。初めて作ったのでお口に合うかわかりませんが……」


 そう言って、恥ずかしそうに目を伏せる。

 レイモンドはその袋を大切そうに受け取ると、嬉しそうに微笑んだ。


「そうか! ありがとう!」


 その笑顔に、思わず見とれてしまう。胸が高鳴り、顔が熱くなるのを感じた。

 そんなヘスティアの様子を見て、レイモンドは首を傾げる。


「どうかしたのか?」


「い、いえ……なんでもありません。あの、どうぞお召し上がりください」


 そう言うと、レイモンドは頷きながら中を覗き込んだ。

 そして、一枚取り出すと口に運ぶ。サクッという小さな音と共にクッキーが割れると、甘い香りが周囲に広がった。


「これは……素晴らしいな」


「ほ、本当ですか?」


 思わず聞き返すと、レイモンドは笑顔で頷く。


「ああ、本当だとも。こんなに美味しいクッキーを食べたのは初めてだ」


 その言葉に、ヘスティアの胸が熱くなる。喜びが胸いっぱいに広がった。


「ありがとうございます……!」


 感極まって涙目になっていると、レイモンドが慌てた様子でハンカチを差し出してきた。


「す、すまない! 泣かせるつもりはなかったんだ……」


「いえ……違うんです……その……嬉しくて……」


 そう言いながらハンカチを受け取ると、目元を押さえる。


「私、お役に立っているでしょうか?」


「もちろんだとも。きみが来てくれて、本当によかったと思っている」


 レイモンドの言葉に、ヘスティアは心が満たされていくのを感じる。

 自分はここにいてもよいのだと、居場所があるのだと言われている気がした。


「ありがとうございます。これからも頑張りますね」


 涙を拭き取りながら微笑むと、レイモンドは照れたように視線を逸らした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ