05.赤毛
「ええと、他にすることは……」
ある日の午後、一通りの仕事を終えてしまったヘスティアは、手持ち無沙汰になってしまった。
しかし、何もしないのは心苦しい。何か手伝わせてもらおうと思い、アマーリアの部屋へ向かった。
「あの、アマーリアさま……」
ドアをノックして声をかけると、しばらくしてドアが開く。
そして顔を出したのは、レイモンドだった。
「ああ、ヘスティアか」
「あ……旦那さま……」
まさかレイモンドが部屋から出てくるとは思っていなかったから、ヘスティアは驚いて固まってしまった。
「俺の用はもう終わった。叔母上に用があるなら、入っていいぞ」
そう言って、レイモンドは部屋から出て行こうとする。
彼の格好は普段のものではなく、軍服のような出で立ちだった。
長身で引き締まった体躯のレイモンドには、とても良く似合っている。思わず見とれてしまいそうになったが、はっと我に返ってヘスティアは口を開いた。
「あ、あの……旦那さま、どこかへお出かけですか?」
「ん? ああ、これから火凰峰の麓に行くんだ」
「かおうほう……?」
初めて聞く名前に、ヘスティアは首を傾げる。
「ああ、そうか。きみはまだ知らないんだな。ここから少し離れたところに、火凰峰という山がある。幻獣が棲むと言われている場所なんだ」
「幻獣……ですか?」
「ああ、火を纏った鳥の形をしているんだ。その翼で炎を生み出し、空を飛ぶという」
「まあ……」
それはとても美しい生き物なのだろう。ヘスティアは目を輝かせた。
「もっとも、今は眠りについている。だが、いつ目覚めるかわからないからな。定期的に様子を見に行っている」
そう言って、レイモンドは微笑んだ。
「そうだったのですか……。いつか見ることができたら、素敵ですね……」
「ああ、そうだな。きっと、きみの髪のように美しく見事なのだろう」
「え……?」
さらりと言われた言葉に、ヘスティアは驚いて固まる。
「あ……すまない。つい……」
ヘスティアの反応を見て、レイモンドは自分が言った言葉の意味に気付いたのか、恥ずかしそうに頭を掻いた。
「い、いえ……」
ヘスティアはふるふると首を振って否定する。頬が熱いのはきっと気のせいだ。
そんな二人のやり取りを黙って見ていたアマーリアが、ふいに笑いだした。
「ふふ……あなたたちは、本当に仲良しなのね」
「アマーリアさま……」
「叔母上……」
アマーリアの言葉に、ヘスティアとレイモンドは同時に声を上げる。そして二人揃って顔を赤くした。
そんな二人を見て、アマーリアはさらに笑う。
「そんなに照れなくてもいいのに」
「いえ……その……」
どう答えればいいかわからず、ヘスティアは再び固まってしまう。
すると、レイモンドが咳払いをした。
「叔母上……からかうのはやめていただきたいのですが」
「あら、ごめんなさい。あなたたちが可愛らしいから、つい……」
そう言って微笑むアマーリアに、レイモンドは渋い顔をする。そして彼は、大きなため息を吐いた。
「まあ……いいです。俺はもう行きますので」
そう言って、レイモンドは踵を返す。
「あ……あの、旦那さま」
「ん? なんだ?」
慌てて声をかけると、レイモンドは足を止めて振り返る。そしてヘスティアが何か言おうとしているのに気付いて、再びこちらに戻ってきた。
「どうした?」
優しく問いかけられて、ヘスティアは緊張で身体を強張らせる。しかし勇気を振り絞って口を開いた。
「あの……どうかお気を付けて……行ってらっしゃいませ……」
なんとかそれだけを言うと、レイモンドは驚いたように目を丸くした。
そして次の瞬間、彼は嬉しそうに微笑む。
「ああ、ありがとう」
そう言って、レイモンドは今度こそ部屋を出て行った。
レイモンドを見送ると、ヘスティアは安堵の息を吐く。
「ふふ……あの子があんなふうに笑うなんて」
アマーリアの声で我に返り、ヘスティアは慌てて振り返った。そしてアマーリアと目が合う。
「あ、あの……」
恥ずかしくなって俯くと、彼女は優しく微笑んだ。
「レイモンドが照れるのは初めて見たわ。あなたのおかげよ。ありがとう、ヘスティア」
「いえ……そんな……」
「きっと、あなたが綺麗だから照れてしまったのね」
アマーリアはそう言って微笑む。
しかし、ヘスティアは慌てて首を横に振った。
「そ、そんなことありません! 私なんかが綺麗なんて……」
するとアマーリアは、不思議そうに首を傾げた。
「どうしてそう思うの?」
「だ、だって……私はその、みっともない赤毛の醜い女で……」
「あら、そんなことはないわ。だって、とても綺麗な赤い髪じゃない」
「え……?」
思いもよらぬ言葉に、ヘスティアは目を見開く。
するとアマーリアは優しく微笑んだ。
「私も赤毛よ。私もみっともないかしら?」
「い、いいえ! そんなことありません! アマーリアさまはお綺麗です!」
ヘスティアが慌てて否定すると、アマーリアはおかしそうに笑う。
「でしょう? それなのにどうして、あなたは自分の髪を嫌うのかしら?」
「それは……」
言い淀むヘスティアに、アマーリアは優しく微笑みかけた。
「いいのよ、無理に話す必要はありません」
そう言って、彼女はヘスティアの手を握る。
その温かさに安堵して、ヘスティアはゆっくりと口を開いた。
「……私の妹は貴族らしい金髪で、いつも私を馬鹿にしていました。父も、私の赤毛を醜いと言っていました。だから私も、自分の髪が嫌いだったんです」
「まあ……」
アマーリアは驚いたように目を見開く。そして、そっとヘスティアの髪を撫でた。
「こんなに美しいのに……。あなたの髪は、とても素敵な赤よ」
「そうでしょうか……?」
「ええ、もちろん」
アマーリアはそう言って微笑んだ。そして、ヘスティアの手を握る手に力を込める。
「ねえ、ヘスティア。この地域ではね、赤毛は最も尊ばれる色なの。炎の精霊の加護を宿した、とても美しい色と讃えられるのよ。かつて特別な印を持った、精霊の愛し子も赤毛だったというわ」
「精霊の愛し子……」
「そう。とても尊ばれ、そして大切にされた存在よ」
アマーリアはそう言って、ヘスティアの髪を撫でる。その手つきは優しくて、まるで我が子を慈しむ母親のようだった。
「だから、あなたの髪はとても素晴らしいものよ。もっと誇りを持ってもいいの」
そう言って、アマーリアはヘスティアを抱きしめた。暖かさと柔らかさに包まれて、ヘスティアは涙が出そうになった。
まるで母に抱かれているような安心感に、胸が熱くなる。
それでも傷付いた心は、愛を試さずにはいられない。
「でも……私には、背中に醜い火傷の痕があります。こんな傷物の女なんて……」
「あら、そんなの全然問題ではないわ」
しかしアマーリアはあっさりと否定した。
その答えに、ヘスティアは思わず目を見開く。
「え……?」
すると、アマーリアはにっこりと微笑んだ。
「この地域では、火傷は勲章のようなものよ。火を使いこなすことを誇りとし、その火で大切な人を守り抜いた証なの」
「火傷が……勲章……?」
「そうよ。だからあなたも胸を張っていいと思うわ」
アマーリアはそう言って、ヘスティアの背中を優しく撫でる。
その言葉に嘘や偽りはないとわかったヘスティアは、堪えきれずに涙を零した。
「あ……ありがとうございます……」
嗚咽交じりの声で礼を言うと、アマーリアはまた優しく微笑んでくれた。その笑顔に、胸のつかえが取れた気がする。
そしてヘスティアは、アマーリアに抱きつき声を上げて泣いた。