33.結婚準備
ヘスティアは、結婚準備に追われていた。
相手となるレイモンドは辺境伯家の現当主だ。その妻となるのだから、それなりの準備が必要になる。
「さすがに結婚となると、王家の許可が必要となる。そのために、どうしても王都に赴かなければならない」
レイモンドは申し訳なさそうに言った。
「いえ、大丈夫です。わかっていますから」
ヘスティアは微笑んで答えたが、不安がないわけではない。
貴族令嬢としての教養を学ぶ機会が少なかったヘスティアにとって、貴族社会のことはよくわからないことが多い。
ましてや、王族に会う機会など一度もなかった。
レイモンドの妻になる者として、ふさわしく振舞えるだろうかと心配になる。
「心配いらないよ。俺がついている」
レイモンドは優しく微笑み、そっと抱きしめてくれる。
その温もりに包まれると安心することができた。
「……まあ、もっとも俺も王都の貴族連中は苦手で、なるべく足を運びたくないんだが」
苦笑しながら、レイモンドは呟く。
「そうなんですか?」
少し驚いて、ヘスティアは聞き返す。
「ああ。俺たち辺境伯家は、はっきり言って脳筋が多いんだよ。政治とか駆け引きなんて向かない奴ばかりでね。まあ、だからこそ辺境を守れているわけなんだが」
レイモンドは肩をすくめると、ため息をつく。
「そうなんですか……」
ヘスティアは意外だった。
レイモンドが貴族社会のことを苦手とするというのは、なかなかイメージしづらい。彼はいつも紳士的で優雅な振る舞いを見せるからだ。
ただ、考えてみれば、彼は真っ直ぐで誠実な性格の持ち主だ。貴族たちの権謀術数渦巻く世界には、あまり向かないのかもしれない。
「そうなのよ」
そこに現れたのはアマーリアだった。
「特に辺境伯家の男たちは、ほとんどが脳筋ね。だから、私が色々切り回しているの」
アマーリアはため息交じりに言う。
「そうだったんですね……」
ヘスティアは納得して頷く。
そういえば、ここしばらくアマーリアの姿を見かけなかった。おそらく、色々と忙しかったのだろう。
「でも、魔物討伐が辺境伯家の最も重要な役割なのよ。だからこそ、王家も辺境伯家を重用しているの。下手に政治に干渉してこないところも、信頼されている理由の一つね」
アマーリアはそう言って微笑んだ。
「俺たちは魔物討伐が大好きで、政治になんか関わりたくないというのが本当のところなんだが、それが王家との良好な関係を保っているとも言えるんだ。面倒事は王家に任せておける。まあ、さすがに領内の統治をないがしろにはできないけどな」
レイモンドが苦笑いを浮かべながら続ける。
王家にとっては、余計なことを言わずに魔物との境界を守ってくれる、都合の良い存在ということなのだろう。
辺境伯家としても、面倒事を王家が引き受けて、大好きな魔物討伐に専念できるという利点がある。
互いに上手く噛み合っているようだ。
「そんなわけだから、王都での振る舞いについては、難しく考えることはないわ。あなたは辺境伯夫人になるのだし、何よりも精霊の愛し子よ。それだけで、十分な価値があるわ」
アマーリアはにっこりと笑う。その言葉には説得力があった。
「はい、わかりました」
ヘスティアは素直に頷く。アマーリアがそう言うのなら間違いないだろうという気がした。
「あなたが思っている以上に、あなたには価値があるのよ。王家だって、あなたを欲しがるわ。場合によっては、王子の妃にという話が出てきてもおかしくないのよ」
「えっ……!?」
アマーリアの言葉に、ヘスティアは目を丸くする。
まさかそこまで話が大きくなるとは思わなかったのだ。
「ちょっ、待ってください! ヘスティアは俺の妻になるんですよ!」
レイモンドは慌てた様子でアマーリアに詰め寄る。
そんな様子を見て、アマーリアはクスッと笑った。
「大丈夫よ。王子妃でなければ、辺境伯家の妻にするのが、王家にとっても都合がいいのよ。国内に留めておけるから。王家が横やりを入れてくることはないだろうから、安心なさい」
アマーリアはレイモンドをなだめるように言う。そして、ヘスティアに向き直ると言葉を続けた。
「まあ、王子妃は冗談としても、あなたはそれだけの価値があるのよ。だから、王都で他の貴族たちの機嫌を取る必要などないわ。むしろ、他の貴族たちがあなたの機嫌を取ろうとするでしょう。あなたは、ただ堂々としていればいいのよ」
「はい……わかりました」
ヘスティアはアマーリアの言葉に安堵する。
自分に価値があるというのは、まだ信じ切れない部分もある。しかし、こうも自分を大切にしてくれている相手のためにも、堂々と振る舞おうと思う。
「さあ、ではドレスもいくつか仕立てましょう。どれも素晴らしいものにするわよ」
アマーリアは張り切った様子で言った。
「えっ? 結婚式用のドレスはもう仕立てたはずですが……」
ヘスティアは不思議に思い、尋ねる。
しかし、アマーリアは首を横に振った。
「何を言っているの? 王都でのパーティーに着るためのドレスも必要よ。他にも、お茶会や夜会に参加することもあるでしょう。いくらあっても困るものではないわ」
アマーリアは当然のように言った。
確かに、辺境伯夫人となるのなら、そういう機会もあるだろう。とはいえ、それほどドレスを作るとなると膨大な費用がかかるはずだ。
「でも、お金が……」
ヘスティアが不安そうな表情を浮かべると、アマーリアは安心させるように微笑む。
「大丈夫よ。辺境伯家が持つ財産は膨大だから。ねえ、レイモンド?」
アマーリアはレイモンドに目配せをする。
すると、彼もニヤリと笑って言った。
「もちろんだとも。ヘスティアのためになら、いくらでも使ってもらって構わない。せっかくだから、装飾品も新調しよう。どんなデザインがいい?」
レイモンドは目を輝かせて聞いてくる。
その様子はまるで子供のようだった。
「いえ、あの……」
ヘスティアは困惑しながら言い淀む。いくら何でも贅沢すぎる気がしたのだ。
しかし、レイモンドは引く気はないようだ。
アマーリアも楽しそうに笑って言う。
「私も新しいデザインのドレスを見たいと思っていたのよ。一緒に考えましょう?」
「は、はい……」
結局、押し切られる形で了承してしまった。
しかし、二人が自分のために考えてくれるのだと思うと嬉しかった。