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32.ロウリー男爵家

 ロウリー男爵家では、オースティン辺境伯家からの使者が訪れるとの知らせが届き、慌ただしくなっていた。


「いったいどうすればよいのだ……」


 執務室にて、ロウリー男爵は頭を抱えていた。

 使者は、現辺境伯の叔母であり、先々代の娘だという。つまり、オースティン辺境伯家の直系である。

 ただの使いではなく、権限を持った使者だということだ。


「お父さま、何を心配しているの? 相手はたかが田舎の貧乏貴族じゃない。何の問題もないわ」


 娘のデボラは余裕たっぷりに言う。


「……お前はいつまで、その認識でいるんだ。辺境伯家といえば、王家の血に連なる、由緒正しい家柄なんだぞ。魔物との領域を隔てる、重要な役目を担っていて……」


「ええー、だったらお姉さまはそんな良い家の色ボケ爺の慰み者になってるの? 生意気ね」


 ロウリー男爵の言葉の途中で、デボラは不満げに呟く。


「はあ……お前は本当に……」


 ロウリー男爵は、デボラのあまりにも世間知らずな様子に頭が痛くなった。


「とにかく、相手は高位貴族だ。粗相のないようにしなければ……」


「でも、お姉さまが慰み者になっているんでしょう? だったら、悪い話ではないんじゃないかしら。うまいこと、色ボケ爺をたぶらかしているのかも」


「馬鹿を言え。あんな役立たずにそんな真似ができるはずないだろう」


「それもそうね。お姉さまって、本当に使えないし」


 デボラは納得したように頷く。


「とにかく、失礼がないようにするんだ。いいな?」


 ロウリー男爵は念を押すように言う。

 しかし、デボラは特に気にした様子もなく答えた。


「はいはい、わかっているわよ」


 そう言うと、デボラは部屋を出て行ってしまった。




 数日後、ロウリー男爵家に、辺境伯家の使者が到着した。

 応接室に通された使者は、二十代後半ほどの赤毛の女性だった。品のある佇まいで、辺境伯家の人間としての風格を感じさせる。

 彼女のそばには屈強な男二人が控えており、その威圧感にロウリー男爵は萎縮してしまっていた。


「お初にお目にかかります。私はオースティン辺境伯家の現当主の叔母にあたる、アマーリア・オースティンです」


 彼女は優雅な動作で挨拶をすると、しとやかに微笑んだ。


「こ、これはご丁寧に……」


 ロウリー男爵は緊張しながらも挨拶を返す。

 同席しているデボラも、おとなしく頭を下げた。


 アマーリアの笑顔からは敵意や悪意といったものは感じられないが、油断はできない。

 何しろ相手は辺境伯家の人間だ。機嫌を損ねたら、どんな目にあうかわからないのだから。


「それで……本日はどのようなご用件でいらっしゃったのでしょう?」


 ロウリー男爵は恐る恐る尋ねる。

 するとアマーリアはにっこりと微笑んだまま答えた。


「ええ、実はヘスティア嬢のことでお話がありまして」


「ヘスティアの……?」


 ロウリー男爵は首を傾げる。

 すると、アマーリアは優雅な笑みを崩さず言った。


「単刀直入に言いますが……ヘスティア嬢を私どもにお譲りいただけないでしょうか?」


「……は?」


 ロウリー男爵は一瞬何を言われているのか理解できなかった。

 しかし、頭の中で反芻するうちに次第に理解が追いついてくる。


「え、ええと……どういうことでしょうか? すでにヘスティアは嫁いだものと思っておりますが……」


「でも、それは正式にではなく、いわば妾として差し出したようなものでしょう?」


「それは……」


 確かにそのとおりではある。しかし、それをあっさり認めるのはためらわれた。


「父……先々代当主であるグレアムは、ヘスティア嬢のことを大層気に入り、正式に辺境伯家に迎えたいと申しております」


「そ、そんな……本当に……?」


 ロウリー男爵は震える声で呟く。

 まさか、あの役立たずの娘がそこまで高く評価されているとは信じられなかった。


「はい。しかし男爵家では、我が辺境伯家に嫁ぐには少々格が不足しております。そこで、ヘスティア嬢の母方は没落したノリス伯爵家。そちらの爵位を継承して嫁がせるのはいかがかと」


 アマーリアの言葉に、ロウリー男爵はますます混乱する。

 確かにヘスティアの母親は、伯爵家の出身だ。その爵位を我が物とするために、妻として迎えた。

 だが、唯一生まれたヘスティアは女子だったため、爵位を継承できなかったはずだ。


「ち、ちなみに爵位はどのように……?」


 ロウリー男爵はおそるおそる尋ねる。


「古い家柄は、爵位継承法が変わる以前の仕組みが残っています。ノリス伯爵家もその古い家柄の一つであり、しかるべき手順を踏めば女系継承も可能です」


「な、なんと……!」


 ロウリー男爵は驚きのあまり言葉を失う。


「おそらく、このことは誰も教えてくれなかったのではありませんか? 失礼ながら、ロウリー男爵家は歴史が浅く、古いしきたりについては詳しくないでしょう。そして、古い家柄の者は、そういった歴史の浅い家を軽んじる傾向があります」


 アマーリアの指摘に、ロウリー男爵は何も言えず俯く。

 確かにそのとおりだったからだ。


「また……正統な継承者ではなく、その血を引かぬ側の親や親族が継承することを防ごうと、あえて教えなかった可能性もありますね。……この意味がおわかりですか?」


 アマーリアは意味深な笑みを浮かべる。

 それを目の当たりにしたロウリー男爵の背中に冷や汗が流れた。

 まさか、信じられないといった思いが頭を埋め尽くす。


「それは……まさか、私が伯爵位を継承することが可能だと……!?」


 ロウリー男爵は思わず身を乗り出して尋ねる。

 それに対し、アマーリアは何も言わずに笑みを深めただけだった。


「いかがですか? 悪い話ではないと思いますが」


 アマーリアは淡々とした口調で言う。

 その表情からは真意を読み取ることができず、ロウリー男爵は混乱するばかりだった。


「お父さま! 素晴らしい話じゃない! そうすれば、私は伯爵令嬢になれるんでしょう!? 伯爵令嬢なら、王家主催のパーティーにだって出席できるのよ!」


 話を聞いていたデボラが、興奮した様子で割り込んでくる。

 彼女は昔から、貴族令嬢に憧れていた。

 正式に男爵令嬢となってからも、最初こそは満足していたようだが、すぐに下級貴族に過ぎない身分に不満を抱くようになってしまった。

 伯爵家なら、上位貴族だ。それこそ、王家の妃候補にだってなれるかもしれない。


「そうよ! そうすれば、たかが子爵家のタイロンさまなんて用済みよ! しばらく見かけていないから、てっきり浮気でもしているのかと思ったけれど……もうどうでもいいわ! 婚約破棄よ!」


 デボラは興奮した様子でまくし立てる。


「そうだな……確かにそうだ」


 ロウリー男爵はその勢いに押されたように頷いた。

 デボラの婚約者であるタイロンは、子爵家の次男であり、婿入りしてもらうはずだった。

 しかし、伯爵家になれるのであれば、もっと上位貴族の令息との婚姻も不可能ではないかもしれない。

 ロウリー男爵は高揚する気持ちを抑えきれずに、アマーリアに向き合う。


「わかりました……その話、受けさせていただきます」


「ええ、ありがとうございます。では、爵位継承については私どもで進めさせていただきますね。そこで、ヘスティア嬢との縁を切る書類にサインをお願いします」


 アマーリアはそう言って、書類を差し出す。


「ヘスティアとの縁を切る……?」


 ロウリー男爵はその言葉の意味を理解しきれずに聞き返した。

 それが爵位継承にどう繋がるのか、わからない。

 すると、アマーリアは落ち着いた口調で答える。


「ええ、ヘスティア嬢をお譲りいただきたいと申しましたわよね。それは実のところ……先々代当主が、その……あまり口に出せないような嗜好の持ち主で……ヘスティア嬢がそれに耐えられるかどうか心配なのです。ですので、私どもの方でお引き取りを……ということなんです」


 アマーリアは言いづらそうに言葉を濁した。

 その様子を見れば、彼女が何を言いたいのかわかるというものだ。

 つまり、ヘスティアは慰み者として廃人になるまで弄ばれ、その後は処分されてしまうということなのだろう。


「そ、それは……」


 さすがにロウリー男爵も動揺を隠せなかった。

 ヘスティアがどうなろうと構わないと思っていたが、いざ辺境伯家の人間からこうして扱いを聞かされると、哀れみを感じずにはいられない。

 しかし、厄介者だったヘスティアが、最後にこうして役に立てるのだ。本人もきっと、嬉しいに違いない。

 ロウリー男爵はそう考え、気持ちを切り替える。


「まあ、ゴミになっても最後まで面倒を見てもらえるなんて、お姉さまは幸せね! どうせ役に立たないクズなんだし、ちょうどいいわ!」


 デボラは嬉々として言う。彼女には迷いが一切なかった。


「そういうわけで、その書類にサインをお願いしますね」


 アマーリアは有無を言わせない口調で促す。


「……はい……わかりました」


 ロウリー男爵は震える声で答え、ペンを手に取った。

 そして、深呼吸をすると、ゆっくりと丁寧に署名をする。

 これで自分は晴れて上位貴族の仲間入りを果たすことになる。喜ばしいことのはずだ。それなのに、この胸騒ぎは一体なんだろうか。

 そんな不安を抱えつつも、ロウリー男爵はサインを終えたのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] いつも楽しく読んでます! 地獄への片道切符かな! よくあの暴言に手が出ず我慢できたのは、やはり経験の差だなと、誰とは言わないけど彼がここにいたら女性でも容赦なしだろうな~
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