28.落下
二人が慌てて振り返ると、そこにはグレアムの姿があった。
「おじいさま……驚かせないでください」
レイモンドは抗議の声を上げる。
「すまんすまん、ついな」
グレアムは悪びれもせずに言った。
彼の後ろには数人の護衛と、人形を運ぶ巫女役の赤いヴェールを被った女性たちがいる。
女性たちは顔を隠しているためか、ぼんやりとした印象を受けた。彼女らは使用人が巫女の姿に扮しているらしい。
「さて、これから人形を火口に投げ入れるわけだが」
グレアムは祭壇を見つめながら言う。
「その瞬間が、最も警戒すべき時だ。タイロンが仕掛けてくるとしたら、そこだろう」
「はい……」
ヘスティアは緊張した面持ちで答える。
「だが、心配はいらない。儂たちがついているからな」
グレアムはそう言うと、巫女役の女性たちに合図をした。
彼女たちは頷き、ゆっくりと祭壇に向かって進み始める。そして、人形を祭壇の前に置くと、深々と一礼をした。
それから巫女役の女性たちは祭壇から離れ、護衛たちに守られながら少し離れた場所に立つ。
「さあ、ヘスティア。人形を投げ入れるのだ」
グレアムはヘスティアを促す。
「はい……」
ヘスティアは小さくうなずき、祭壇に歩み寄る。
遠くからどよめくような声が聞こえてきた。儀式を見守る観客たちだろう。
「レイモンド、しっかりとヘスティアを支えるのだ」
「はい、わかりました」
レイモンドは頷くと、ヘスティアの肩に手を置く。
「いくぞ、ヘスティア」
レイモンドは緊張した面持ちで言う。
「はい……」
ヘスティアはレイモンドと共に、祭壇の前に置かれた人形に手を伸ばす。
「俺が持ち上げるから、手を添えてくれ」
「はい……」
レイモンドが人形を持つと、ヘスティアはその上に自分の手を重ねる。
「このまま火口に投げ入れるぞ。一、二の三で手を離すんだ」
「わかりました……」
二人は頷き合い、タイミングを合わせる。
「一、二の……三!」
次の瞬間、レイモンドは人形を火口に向かって放り投げた。
人形は宙を舞い、ゆっくりと火口の中へ落ちていく。
そして、祭壇がまとっていた膜が一瞬光ったかと思うと、卵の殻のように割れて消え去った。
その瞬間、周囲が眩い光に包まれる。
「なんだ……!?」
突然のことに、レイモンドの慌てた声が響く。
「落ち着け、レイモンド! ヘスティアを離すな!」
グレアムの声が聞こえる。
「はい……っ!」
レイモンドは力強く答えると、ヘスティアを抱きしめる。
「大丈夫か、ヘスティア!?」
「はい……なんとか……」
ヘスティアはレイモンドの腕の中で答える。
すると、不意に視界が開けた。眩い光は消え去り、いくつもの唸り声が響いてくる。
「これは……!」
レイモンドは驚きの声を上げる。
祭壇の前に、何体もの狼のような魔物たちが現れたのだ。
しかも、魔物たちに守られるように、タイロンの姿もある。
「あれがタイロンか……!? いったいどこから……!?」
「落ち着け、レイモンド。まずはこの状況を切り抜けるのが先だ」
グレアムは冷静に言う。
「はい……!」
レイモンドはタイロンを睨み付けると、剣を抜いた。
「ヘスティア、俺の後ろにいてくれ。俺が守る」
「はい……」
不安を押し殺しながら、ヘスティアはただ頷く。
レイモンドとグレアム、そして護衛たちは、魔物たちとタイロンに対峙していた。
巫女役の女性たちは身を寄せ合い、震えている。
「その程度の魔物で儂らを倒せるとでも思ったか?」
グレアムは不敵に笑い、剣を抜く。
「舐めるな!」
レイモンドも剣を構え、叫んだ。
魔物たちは唸りを上げながら襲いかかってくる。
「お前たちは、巫女役を守れ!」
グレアムが命令を下すと、護衛たちは巫女役の女性の前に立ちはだかる。
「儂らも行くぞ!」
グレアムはレイモンドに声をかけ、魔物たちに向かって駆け出す。
「はい!」
レイモンドは返事をすると、グレアムに続いて駆け出した。
二人の剣が同時に閃き、魔物たちを斬り伏せる。
「レイモンドさま……」
ヘスティアは祈るように呟き、レイモンドとグレアムの戦いを見つめていた。
二人は危なげなく魔物たちを倒していく。
鮮やかで無駄のない動きに、ヘスティアは見惚れてしまう。
魔物は次々と減っていき、心配は杞憂だったようだ。
「あっ!」
ところが、巫女役の女性の一人が祭壇を指差して声を上げた。
見ると、タイロンが卵に向かって手を伸ばしている。
「まずい……!」
レイモンドは最後の魔物を斬り捨て、急いで駆け寄ろうとする。
だが、タイロンの方が早かった。彼は卵を両手で抱え込むと、懐に隠してしまう。
「ヘスティア! 僕が言ったことを忘れるなよ!」
そう叫んで、タイロンは祭壇から飛び降りる。
「待て、タイロン!」
レイモンドが叫ぶが、彼の姿は地面に吸い込まれるように消えてしまった。
「くそっ……」
間に合わなかったレイモンドは、悔しそうに舌打ちをする。
「油断するな、レイモンド! 遠くには行っていないはずだ! 探せ!」
グレアムは護衛たちに命令を下す。
「はい……!」
護衛たちは散り散りに走り出し、タイロンを探しに行った。
「ヘスティア、大丈夫か!?」
レイモンドはヘスティアを振り返ると、心配そうに声をかける。
「はい……でも、幻獣の卵が……」
ヘスティアは呆然としながら答える。
まさか、こんな展開になるとは思ってもいなかった。
「大丈夫だ、まだ取り返せる。そのために俺たちがいるんだ」
レイモンドはヘスティアを安心させるように微笑む。
「そうだ、街中の例の建物も見張りをつけている。タイロンは逃げられんはずだ」
グレアムも力強く言う。
「はい……そうですね……」
少しだけ落ち着きを取り戻し、ヘスティアは頷く。
「よし、儂らも行くぞ。レイモンド、ヘスティアをしっかり守るのだぞ」
「はい!」
レイモンドは力強く答え、まだ火口の近くにいるヘスティアに向かって歩いて行く。
だが、それよりも早く、巫女役の女性の一人がヘスティアに駆け寄ってくる。
「どうして……どうして、あんたばっかり大切にされるのよ!?」
そう叫んだ女性から、赤色のヴェールが舞い落ちる。
現れた顔を見て、ヘスティアは驚愕した。
「ポーラ……!?」
そこにいたのは、謹慎中のポーラだった。彼女は憎しみを込めた目でヘスティアを睨んでいる。
先ほどまでは、ぼんやりとした印象しかなかったので、全く気が付かなかった。
どうして彼女がここにいるのだろうか。
離れから逃げ出し、巫女役の一人と入れ替わったのだろうか。
打って変わって存在感を放つ彼女を眺めながら、ヘスティアは呆然と考える。
「タイロンお兄さまだって……あんたのことを! どうして、あんたみたいな女ばっかり……っ!」
ポーラはヘスティアに掴みかかろうと、手を伸ばす。
「やめてっ!」
ヘスティアはとっさに避けようとしたが、足がもつれてしまう。
「どうせ私はもう破滅よ! だったら、あんたも死ねばいいのよ……!」
ポーラは体勢を崩したヘスティアを突き飛ばす。
ヘスティアは地面に倒れ込み、そのまま火口に向かって転がり落ちていく。
「ヘスティアっ!」
レイモンドは叫ぶと、慌ててヘスティアに向かって駆け出した。
しかし、間に合わないことは互いにわかっていた。
「レイモンドさま……っ!」
それでもヘスティアは必死に手を伸ばし、助けを求めて叫ぶ。
「くそっ……!」
レイモンドも手を伸ばしたが、届くはずもない。
そのままヘスティアの姿は火口へと吸い込まれていった。