16.殻を破る時
その後、ヘスティアはアマーリアに呼ばれ、彼女の部屋にやってきた。
「座ってちょうだい」
アマーリアは優しく微笑むと、ソファを勧めてくれる。
ヘスティアはおそるおそる腰掛けた。
「さて……まずはごめんなさいね」
アマーリアは申し訳なさそうに頭を下げる。
突然の謝罪にヘスティアは慌ててしまった。
「え? ど、どうしてですか?」
「あなたにつらい思いをさせてしまったからよ。理由があってのことだったけれど……あなたの心の傷を抉ってしまったわ。本当にごめんなさいね」
アマーリアは悲しげな表情を浮かべる。
それを見たヘスティアは思わず泣きそうになったが、ぐっと堪えた。
「いえ……いいんです。もう過ぎたことですし……」
ヘスティアは小さく首を振ると、微笑む。
その表情を見て、アマーリアも安心したように微笑んだ。
「ありがとう。そう言ってもらえると助かるわ」
アマーリアはそう言うと、お茶を淹れてくれる。そして、カップを差し出しながら言葉を続けた。
「でもね……あなたに、もう一歩踏み出してほしいと願うのは、私のわがままかしら?」
「え……?」
ヘスティアは困惑の表情を浮かべる。アマーリアの意図が理解できなかった。
「あなたはこれまで、つらい境遇で生きてきたわ。ここでは、そんな思いをしないようにと、守ってあげているつもりだったけれど……」
アマーリアはそこで言葉を区切ると、じっとヘスティアの目を見つめる。
「レイモンドと共に歩みたいのなら、もっと強くならないといけないわ。あなたはまだ、殻の中だけで生きているのよ」
「殻の……中だけ……?」
ヘスティアはアマーリアの言葉を復唱する。それはどういう意味なのだろうか。
「ええ、そうよ。あなたは自分の力で、自分の未来を切り開こうとしているのかしら?」
アマーリアの言葉には不思議な力があるようだ。ヘスティアの心の奥深くに響いてくるような気がした。
「私は……」
ヘスティアはぽつりと呟く。
思い起こせば、ヘスティアはじっと閉じこもっているだけだった。
自分の殻に閉じこもり、外の世界を見ようとせず、ただ耐え忍ぶだけの毎日を送っていたように思う。
実家にいた頃は、仕方がなかった。
だが、ここに来てからも、自分は何も変わっていないのではないか。
ただ助けを待つだけの、子供のような人生を送っていたのではないか。
いや、それどころか、レイモンドは困ったことがあれば言ってくれと、何回も声をかけてくれていたではないか。それなのに、差し伸べられた手を取ろうともしていなかった。
「私は……変わりたいです」
ヘスティアは絞り出すように、言葉を紡ぐ。
それを耳にしたアマーリアは満足そうに微笑むと、優しく語りかけた。
「それなら、あなたの殻を破る時が来たのよ」
アマーリアの言葉に、ヘスティアは大きく息を吸う。そして、ゆっくりと頷いた。
「はい……!」
ヘスティアの目には強い決意が宿っていた。
それを見て取ったアマーリアは満足そうに微笑む。
「ふふっ、じゃあこれから女主人としての心得を教えてあげなくちゃね」
「あ、あの、大旦那さまの後添えというのは、本当は……」
「ええ、わかっているわよ。本当は違うのでしょう? だって、広間でお父さまが言った内容、あなたを娶ると明言はしていなかったものね」
アマーリアは悪戯っぽく笑う。
ヘスティアは驚いた表情を浮かべ、固まってしまった。
「どうせレイモンドを焚きつけようとしたのでしょう? あの意気地なしには、これくらいしないとね。ヘスティアが頑張るだけじゃ不公平だもの」
アマーリアはクスクスと笑う。
その表情から、全てを見透かされているような気がした。
「きっとヘスティアのことだから、火傷の痕や身分を気にしているのでしょうけど、そんなものはどうだって良いのよ。前にも言ったけれど、火傷の痕はここでは勲章のようなもの。それに身分だって、どこかの養女になる手があるわ」
アマーリアは優しい眼差しでヘスティアを見つめながら、諭すように言った。
「あなたは素晴らしい素質を持っているわ。もっと自信を持ちなさい。それがあれば、きっとどんな障害でも乗り越えられるはずよ」
アマーリアの言葉は、まるで魔法のようだった。ヘスティアの中にあった不安や恐れが消え去っていき、勇気が湧いてくる。
「はい……ありがとうございます……!」
ヘスティアは深く頭を下げる。
その様子を見て、アマーリアは満足そうに微笑んだ。
「よろしい……それじゃあ、レイモンドのどこが気に入ったのか教えてもらおうかしら?」
「え……!?」
アマーリアの言葉に、ヘスティアは顔を真っ赤にする。
「それは……あの……」
ヘスティアはもじもじとしながら口籠もってしまう。
だが、アマーリアは優しい笑みを浮かべつつ、じっと見つめて待っていた。
「あ、あの……優しくしてくれるところです……」
ヘスティアは消え入りそうな声で答える。
それを聞いたアマーリアはニヤリと笑った。
「あらあら、それだけ?」
「えっ!?」
予想外の反応に驚くヘスティアだったが、アマーリアはさらに追い打ちをかけるように言葉を重ねた。
「ふふっ、ごめんなさいね。でも、たったそれだけの理由でレイモンドを選ぶのはどうかしら?」
アマーリアは挑発的な笑みを浮かべると、ヘスティアの反応を楽しむかのように見つめている。その態度は、まるで獲物を弄ぶ捕食者のようだった。
「そ、それは……その……」
ヘスティアはしどろもどろになりながら必死に言葉を探すが、うまく言葉が出てこない。
アマーリアはさらに追い打ちをかけた。
「ほら、もっと他にもあるでしょ? 例えば……顔とか」
アマーリアはからかうように笑う。
ヘスティアの顔はますます赤くなった。
「た、確かに、とても整った素敵なお顔ですけれど……でも、それだけではなくて……その……」
ヘスティアはもじもじとしながら言葉を紡いでいく。
アマーリアはその様子を眺めながら、楽しそうに微笑んでいた。
「なんというか……一緒にいると自然と心が安らぐんです。それに、いつも優しくて……私のことを気遣ってくれるし……」
ヘスティアは顔を真っ赤にしたまま、上目遣いでアマーリアを見つめる。その瞳には確かな決意が宿っていた。
「だから……私は、あの方と一緒にいたいです」
ヘスティアの告白を聞いたアマーリアは満足そうに微笑むと、優しく彼女の頭を撫でた。そして、ゆっくりと語りかける。
「よく言えたわ……それで良いのよ」
アマーリアは慈しむような視線をヘスティアに向ける。その瞳からは愛情が溢れていた。
「あなたは、もっと自分に自信を持ちなさい。ポーラに負けたくないでしょう?」
「は、はい!」
ヘスティアは大きく頷きながら答える。
一瞬、もしレイモンドがポーラを好きだったらどうしようという考えが頭をよぎったが、今は考えないことにした。
たとえ受け入れてもらえなくても、自分の気持ちだけは伝えたい。
結果がどうあれ、彼のことを好きになれたことは、きっと自分にとっての財産になるだろう。
「ふふっ、なら頑張りなさい。応援しているわ」
アマーリアはそう言うと、優しく微笑んだのだった。