第8話 『予言者は』
「……ユーリ、ソフィー、ルード、リズ。全員そいつから離れてください」
杖を構え、フレアが低くうなるように告げる。
子供たちもその声の尋常ではない様子に反論もせずゆっくりと後ずさり、人によっては泣き出しそうな表情さえ見せていた。
「フレア、何故君がここに?」
「ここは私の家です。モニカは私の妹。あなたこそ、何故ここにいるんですか?」
「理由はないよ。強いて言うなら、成り行き……なのかな」
「……理由もなく、ここに?」
その言葉が琴線に触れたのか、眉間のしわが深くなる。
アルフレッドが追及しようとすると、その言葉を封じ込ませるかのように少女は叫んだ。
「私は……私たちは、お前たち不死者がいたから——」
「姉さん!」
背後から息を切らしたモニカの声が、部屋中に響き渡る。
その尋常でない雰囲気にあてられ、何とか涙を我慢していた子も、泣き出してしまっていた。
「アルさん……アルフレッドさんは、不死者かもしれない。でも、その人は悪い人じゃ……」
「悪い人じゃない? そんな訳ない。そんな訳あるはずない!」
「姉さん?」
「……こいつが逃げていたせいで、不死者の被害が何人出たと思う? 何人の明日を救えていたと思うの?」
フレアの言葉に、アルフレッドの心臓が高鳴った。
今まで理解していなかったというよりは、無意識に避けていたのかもしれない。不死者による被害は、アルフレッドの周りの話だけではないのだと。
「でも、アルフレッドさんだけで不死者を殺しきるなんてことは……」
「そんなことはわかってる。でも違うの、私が許せないのはこいつが不死者に向き合おうともしなかったこと、そして自分の罪を理解せず、平気な顔をしているところ」
「姉さん……」
「モニカさん、ありがとう。でも、もういいよ」
味方してくれる少女に対する申し訳ないという気持ちに負け、アルフレッドは立ち上がりフレアの横を通り抜ける。
それは、言葉にはしなかったが少女の指摘に対して間違っていないと伝えているようなもので。
「……殺されなかっただけ、ありがたいと思ってください」
だからこそ、背中に突き刺さるその一言が的確に彼の心の傷を抉り取った。
空はすでに薄暗くなり、白色の街を賑やかにしていた声も静まり出している。
奏でられるのは切れかけの電灯の音とアルフレッドの足音くらいで、酒場のような騒がしさがないのは健全であると言えばそうだが、寂寥感と言い換えることもできた。
だがアルフレッドの心はそこにはなく、彼は少女の言葉を反芻し続けていた。
不死者から逃げ続けていたせいで、現実から目を逸らし続けたせいで多くの人の命がなくなった。
それはきっと、白風教という存在が生まれ市民に熱望されているという事から真実であると認めざるを得なかった。
エレノアのような少女さえ、不死者によってヴォルフという祖父と引き裂かれてしまった。
だが、そのような辛い思いをしているのはエレノアだけでないと知り、アルフレッドは心の奥底が冷え切るような錯覚を覚える。
そして、不死者にも……かつて魔王と対峙した戦友にも、怒りのようなものが浮かんできてしまっていた。
「……灰の勇者、アルフレッド」
突如名を呼ばれ、弾かれるように振り返るアルフレッド。
その先には、自身を牢獄から解放してくれたフードの青年が立っていた。
「君は、あの時の……」
「主人が呼んでいる、行くぞ」
アルフレッドは思わず「待ってくれ」と口をつこうとしたが、彼は有無を言わせずといった様子で真っ暗な道のりを歩いて行った。
そしてしばらく闇の中を漂っていると、周囲の家よりも一回りほど大きな屋敷……いわゆる、豪邸の前に立ち止まる。
「着いたぞ」
「待ってくれ、どうして僕を助けてくれたんだ? それに、主人って……」
「その問いは俺ではなく主人に聞け」
彼はその言葉で会話をシャットダウンすると、片手をあげる。
それに呼応するかのように扉が開く様にアルフレッドは心の底で感嘆していたが、こちらを振り向きもせずに進んでいく彼の姿を見て、慌てて追いかける。
開かれた扉をくぐるとまず目に飛び込んできたのは、眩しいほどの光だった。
そして、自分の姿が映るほどに磨き上げられた白色の床に、値打ち物のような壺。
いかにも、お金持ちの屋敷といった様子だった。
案内をしてくれた彼は屋敷の周りをじろじろと眺めるアルフレッドに対し、扉を指差す。
それは、言葉を聞かずともわかる「入れ」という合図で、彼はそれ以上何も話すつもりはないといった様子だった。
固唾を飲んでノックをすると、「入れ」という凛々しい女性のような声がする。
その言葉に従い扉を開けると、机を挟んだ正面に長い黒髪の女性が腕を組んで座っていた。
「あ、えっと……初めまして、アルフレッドです。あの、この度は助けていただき……」
「ああ、それはいいんだ。いいんだが……初めまして、それは間違いないんだな?」
「えっと、仰る意味が……」
「……いや、すまない。これ以上は危ないか」
危ない、という彼女の言葉にアルフレッドは首を傾げるが、傾げたところで答えが出てくるわけもない。
アルフレッドは思考を取りやめ、彼女に聞きたいことを聞くことにした。
「あの、どうして僕を助けてくれたんですか?」
「ああ、そのことか。それを話すにはまず自己紹介から始めないといけない」
女性は片手で椅子に座るよう促し、アルフレッドは近くのソファに腰掛ける。
彼が座るのを見計らい、女性は咳払いをして続けた。
「私の名はアリシア。君を助けたのは、予言者……しいては白風教は君の敵じゃないということを伝えるためだ」
「それを、信用しろと?」
「フレアの一件もあるし、強制はしないが……お前をここに連れてきたのは、こうして話す必要があった。それに、殺されていないという点でもおかしな話ではないと思うが」
「それなら、オルトスで話せば……!」
「ここに連れてきた理由については、私には言えない。お前自身で考えろ」
「……っ」
考えろ、と突き放すような言い方がアルフレッドの神経を逆撫でする。
だが、食ってかかっても教えてはもらえないだろう。それに、情報が手に入らない可能性がある。
「第一、あなたは一体何者なんですか?」
「勇者の一人。君と話しているのは、予言者からの言伝をもらったからだ」
「勇者の……一人?」
「俄然、言葉に信頼性が湧いただろ?」
勇者の一人が敵ではないというのなら、確かに信憑性は高くなる。
だが、あの時のフレアの表情からその言葉が丸ごと真実であるとは信じがたかった。
「私は敵ではない。少女の夢の終わりを見届けるものだ。もし会うことがあれば、協力してほしい」
「……それは?」
「これが、予言者の言伝だ。私は意味を考えることさえ禁止されているが、お前には何か感じるものがあるのだろう」
「少女の夢の終わりを見届けるもの……」
最悪な予想が脳裏をよぎる。
少女とは、リーシャのことであり夢の終わりとは即ち、彼女の夢を終わらせること。
もし言葉の通りなら、やはり予言者は……。
「……予言者に会わせてくれ」
「それは無理だ。今はここにはいない」
「っ、なら!」
「アルフレッド。一つお願い……いや、命令がある」
「命令……?」
「私たちの会話を、くれぐれも忘れてくれるなよ」
月に照らされた木々が鬱蒼とした森の中、魔族と呼ばれた少女は一人焚き火を眺めていた。
今後どうするべきか、など思案を巡らせながら煙を見送っていると。
「……こんばんは、まさかこんなところで会えるとは思わなかったよ」
リーシャが皮肉めいた笑みを浮かべ、焚き火を挟んだ向かい側に立つ、フードを被った存在に話しかける。
その存在は彼女に目もくれず、焚き火の近くに座り込んだ。
「もうあなたには用はない。そう伝えたと思っていたが?」
「……」
「だんまりか。でももう、あなたが出てきても無駄だよ。今のあなたに力なんてない」
リーシャは枝を折って火に放り込む。
「私とアルフレッドの物語はあなた如きではもう介入できない。諦めて隠居でもしてなよ」
ぱちぱちと、音が鳴った。
「予言者様」
予言者と呼ばれた彼は立ち上がると、低くしゃがれたような声で唸るように言い放った。
「君の好きにはさせない、リーシャ」
突如アルフレッドの後頭部に鈍痛のようなものが走る。
そして、目を開けるとそこには──、
「リーシャ?」
「……え? どうして、アルフレッドが?」
リーシャも目を丸くしてアルフレッドを見る。
彼らは間違いなく離れ離れになっていた。だが、周囲を見渡すとオルトスのホテルの一室で、フレアにつけられた傷が治っていた。
「アルフレッド、君は勇者に捉えられて教会まで運ばれた。これは間違いないよね?」
「あ、ああ」
「……そうか、もしかしたら」
リーシャの顔が青くなっていく。
そして、彼女がついた言葉もまたアルフレッドの顔を青くさせるには十分だった。
「予言者は、時を戻す力を持っているのかもしれない」