第5話 『魔法』
「……ル、アル?」
少女の声がする。
怪訝そうな表情を浮かべるリーシャにようやく気付いたのか、アルフレッドはああ、とぼんやりした声を上げた。
「寝坊かい? 随分とぼーっとしていたが」
「ごめん、何でもない」
彼の目の前には、朝食が並べられていた。
内訳としてはパンと魚が二匹。そして、妙に量の多いサラダ。
「リーシャ、魚と野菜は食べなきゃだめだよ」
「嫌いなものを無理やり食べるなんて、食物に対して失礼だと思わないかい?」
「……はあ」
ため息を零し、朝食の更に並べられたものに手を付ける。
新鮮なサラダと焼き魚の味が口のほとんどを占めながら、彼の頭は別のことを考えていた。
「ねえ、リーシャ」
「食べないよ」
「そうじゃなくて。えっと……」
聞けない。聞けるわけがない。
代わりに使命を果たしてくれる人がいるのなら、どうしていたかなどと。
結局彼は口をつぐんだまま食事を終え、荷物をまとめて外に出ようとすると。
「勇者様!」
声の方向を見ると、大勢の人たちに囲まれたフレアが困ったように笑っている。
リーシャはそんな彼らの様子を見て、意地悪そうに笑みを浮かべてアルフレッドを肘で小突いた。
「新しいものばかり追うのは人間の性だから仕方ないとはいえ、少しばかり気分が悪いねえ、アル?」
「……」
「アル?」
「え? ああ、そうだね。今日も元気に頑張ろうか」
「ああ、なるほど。もしかして……嫉妬してるんだね?」
的外れな彼女の言葉を無視して、アルフレッドは街から出ようとする。
その時、叫び声が町中に響いた。
「勇者様! 不死者が! 不死者が街に!」
アルフレッドは水をかけられたかのように反応し剣を握るが、それだけで立ち止まってしまう。
そして、ゆっくりと手を離して声とは別の方向へと歩き始めた。
「行かなくていいのかい?」
「僕が行かなくても、勇者がいる。それなら……」
「そうかなあ? 私は君ほど彼女たちを信頼できないんだけど」
「信頼できない?」
アルフレッドの疑問に彼女は肩をすくめて答える。
少しばかり逡巡したのち、彼はフレアを追う人々の背中を目印に、彼女を追うことにした。
彼らがたどり着いたのは、街の真ん中だった。
フレアを中心に、白い鎧を着た人たちが束になって並んでいる。そして、相対するは柱に縛り付けられた一人の不死者だった。
その光景を見たアルフレッドの感想は、
「……公開処刑でもする気か?」
隣にいたリーシャは周りにいる人々に聞こえないように小さな声で耳打ちし、ああと肯定する。
「そうすれば、教会が力を持った正しい存在であることがアピールできる。不死者の存在なんて見世物くらいにしか考えていないんだろうね」
「それに、何の意味が……」
「さあ? でも、きな臭い連中であることは確かだ」
きな臭い、その言葉に頷いて同意するアルフレッド。
だが、取り立てて邪魔をする理由もないため二の足を踏み様子を見ていると、杖を持ったフレアの頭上に、宙に浮いた氷の槍のようなものが出来上がる。
それは、魔王を倒したその日から急速に失われていった力、魔法だった。
「……っ、魔法!?」
「随分と勉強熱心だよね、彼女たちも。弓や火薬が台頭する時代に、わざわざ資料の少ない魔法を勉強するなんて」
リーシャは嫌味たっぷりといった口ぶりでフレアの動向を凝視する。アルフレッドはというと、苦虫を噛み潰したような表情をするほかなかった。
魔法は魔王を倒すための技術。それを彼らに向けるということが意味すること。
剣に伸びる腕を必死に我慢していると、魔法が不死者へと飛翔する。
しかし、当たったのは急所などではなく足だった。
「まずは、その足を遮断しましょう。四肢がなくなったのであれば、不死者といえど悪さは出来ない」
不死者の言葉にならない声が空へと響く。
彼らの言葉が不思議とわかるアルフレッドにとっては思わず耳をふさぎたくなるような人間の悲鳴だった。
「助けて」
それは、まごうことなき純粋な言葉だった。
だが、化け物の声としか判断できない街の人々からは歓声が上がる。
アルフレッドの隣にいるそのうちの一人が、フレアの隣にいる兵士に尋ねた。
「あの、そんなことをしても不死者は死なないんじゃ……」
「安心しろ。あれは我々教会が持ち帰り処理する」
処理。
ドクンドクンと周りに聞こえてしまうのではないかと心配になるほどの心音が響き、額からは汗が噴き出る。
そして、二回目の氷の槍が射出された。
——だが、それが縛り付けられた不死者に当たることはなかった。
「……やはり、来ましたか」
落ち着き払った様子で、低くつぶやくフレア。
彼女の瞳には、粉砕した氷の粒が付着した本のように分厚く、人間の身長ほどの大きさの鉄の剣と、灰色の髪型の青年。
灰の勇者、アルフレッドが映っていた。
「誰だ貴様は! 民間人は……」
「下がってください。彼がアルフレッド。灰の勇者です」
「では、あいつが予言の……わかりました。フレア様、どうかお気を付けて」
予言という言葉が引っかかるが、それよりもアルフレッドにはやるべきことがあった。
背後にいる不死者の顔を粉砕した後、そのままフレアへと振り返る。
「ごめんなさい、フレアさん。だけど、あなたのやり方には賛成できない」
「……予言で聞いてはいましたが、本当に敵対することになるとは。残念です、灰の勇者アルフレッド」
彼女は冷たく言い放った後にいいえ、と小さくつぶやく。
そして、憎しみをむき出しにしたまなざしで吠えるように叫んだ。
「不死者、アルフレッド……!」
言葉の真意を確かめる間もなく、一本の氷槍がアルフレッドの頬を通過する。
その跡をたどるかのように噴き出たものは、数十年間見ることのかなわなかったアルフレッド自身の血だった。
「……っ!」
「驚くことはありませんよ。不死を殺すことが出来る存在、それが勇者なのですから」
余裕たっぷりといった様子で微笑むフレア。
そして、ようやく状況が呑み込めたとばかりに周囲の人々がざわつき始めた。
「おい、あいつも不死者だったのかよ……」
「もしかして、不死者にもあいつみたいなのがほかにもいるのか?」
リーシャはそんな彼らから見つからないようにこっそりと離れていく。そして、ある程度離れた場所でアルフレッドを一瞥すると、彼は目で逃げろと訴えていた。
彼女はそんな彼に頷いたのち、駆け出していく。
だが、フレアは周囲にいる兵士に言い放った。
「奴の仲間が逃げました。追ってください」
「待ちなよ。彼女は不死者じゃない。殺すなら僕だけだろ?」
「もちろん、知っていますよ。彼女が不死者じゃないことも、人間じゃないことも」
氷槍が言葉と共に放たれるが、そのすべてが大剣によって粉砕される。彼女は舌打ちをすると、今度は五本ほど同時に氷槍を宙に浮かべる。
だが、その際に生じた隙を見逃すほど、アルフレッドは戦いなれていないわけではなかった。
「——僕は君みたいに魔法は使えないんだ」
すさまじい速さと、人間の体重ほどの重さから繰り出されるすさまじい威力の一撃を、フレアは氷壁で受け止める。
しかし、ダメージがないわけではないらしく先程の余裕そうな表情とは打って変わって、苦痛にゆがんだものになっていた。
「魔法を使うよりも、石でも砂でも投げて切りつけたほうが効果的だ。そうは思わないかな?」
「……随分と短絡的な思考ですね、不死者とはいえ勇者と呼ばれたのを疑ってしまいそうです」
まっ平らな縦のような氷壁から、何十本もの針が浮かび上がり押し出されるように後ろへと飛びのく。
着地したとき、アルフレッドはとあることに気が付いた。
「なるほど、流石は慎重な勇者様だね」
剣を退け、足首まで凍り付いたところを見せるアルフレッドと、湧き上がる周囲の人々。
そして嬉しそうに口元をゆがめ、杖をこちらへと向けるフレアが彼らの瞳には映っていた。
「力だけは認めて差し上げますが、少々ばかり足りませんでしたね」
数えきれないほどの氷槍が宙に浮かぶ。
神々しいような光景を目の当たりにした人々は、高揚のあまりに吠え出すものもいた。
「やっちまえ、勇者様!」
「殺せ!」
「殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ!」
彼らから口々に吐き出されるのは、殺せのコール。
そんなコールを止めたのはフレア……ではなく、アルフレッドだった。
フレアの顔に向けて彼の手から放たれたのは、子供の体重でさえかけてしまいそうなボロボロの石。
咄嗟のところで氷壁で受け止めたとき。
すさまじい轟音と共に空に浮いている氷槍がすべて砕けた。
そして、ぱらぱらと落ちてくる氷の破片の下にいるのは、大剣を肩に乗せたアルフレッド。
あり得ない光景に対しフレアが出来たことは、目を向いて吠えることだけだった。
「なんで、貴方がここにいる!?」
「短絡的なほうが、勝利に直結する。考える時間なんて隙そのものだからね」
「そうじゃない、完全に動きを封じたはずなのに……」
「この剣をたたきつけて、衝撃で砕いた。伊達にでかいわけじゃないんだよ、こいつは」
「無茶苦茶な……!」
苦い顔でつぶやくフレア。
周囲の人々の反応も同様に曇り始め、先程とは違ったざわつきが周囲を支配し始めた。
「おい、やばいんじゃねえのか?」
「お前、フレア様が負けるわけねえだろ」
「でもよ……」
周囲の兵士たちも各々剣を抜き、こちらへとにじり寄る。
だが、その動向をフレアが片手で制し、杖をこちらへと向け怒りをあらわにしたまなざしで彼を睨んだ。
「だったら、あなたの言う通り単純な力押しをするまでです!」
その言葉と共に打ち放たれたのは、今までのとは比べ物にならないほどに小さな氷槍。
それが数十、数百と正面から襲い掛かってくる。しかし、そんなものではアルフレッドはおろか、合間に立ちふさがる大剣さえびくともしない。
だが、彼女の狙いはそこではなかった。
「……っ、ここまでやるとはね」
全方位を囲む氷槍が、数百本以上。
文字通り、アリの子一匹さえ逃さないといった層の厚さを見て、思わずアルフレッドは一歩後ずさる。
先端のそれが全て彼の体に突き刺さった日には、根性や気合だけではどうにもならなくなる。
だったら、取る行動は一つだ。
「——死ね」
彼女の無情な言葉と共に、空高く掲げられていた杖が振り下ろされ、氷槍が降り注ぐ。
だが、彼は正面に向けて大剣を放り投げた。それは、フレアの正面に向けて飛んでいく。
「あいつ、フレア様を道連れに!」
「そうはさせるか!」
だんまりだった兵士たちが、彼女たちの前に立ちふさがり、剣をもってその大剣を受け止めようとする。
放り投げられたとはいえ凄まじい重圧が彼らの剣にかかってしまい、ミシミシと音を立てて割れそうなほどだった。
だが、急にその重圧はなくなった。
「……え?」
フレアが素っ頓狂な声を上げる。
彼女の瞳には、足を怪我しつつも大剣に飛びつき、背後から襲い掛かる氷槍を手にした鉄塊で叩き潰すアルフレッドの姿があった。
「なんで、生きて……」
「正面の魔法を大剣に砕かせて、出来た道筋を無理やり辿った。流石に足はケガしたけど、死ぬよりかは安い」
「……っ」
兵士たちの誰もが目の前の不死者に恐怖していた。
いや、兵士たちだけではない。周囲の人々も、ましてやフレアも彼への畏怖を抱かざるを得なかった。
だが、その時。
「はーい、そこまで」
間の抜けた中年の男性の声が、その場に響いた。
アルフレッドの瞳には、黒い服に身をまとった隈が特徴的な男性が立っていた。だが、それよりも特徴的なのは、深紅色の瞳に、同じ瞳の色をした少女が隣でうつむいていたことだ。
「リーシャ!」
「フレアちゃん、正面から言っちゃダメだって。というかその様子だと、随分派手にやったみたいじゃん」
「……申し訳ありません、マーヴィンさん」
「ん。でさ、灰の勇者さん。こういう訳だからさ、大人しくお縄にかかってよ。一応仲間なんだろ、この子」
マーヴィンと呼ばれた男性は瞳だけでリーシャを指す。
彼の立ち振る舞いは自然体を装ってはいるのだが、アルフレッドをもってしても隙が無い。
だが、それよりもリーシャが一言もしゃべらないことが気になった。
その疑問を口にしようとした途端、後頭部に鈍い一撃が入る。
薄れゆく意識で最後に見たのは、マーヴィンただ一人だった。