第3話 『青空』
昔、勇者がいた。
それは、魔族を倒すために現れた人間の戦士だった。
魔族と対抗してた理由は、今はわからない。
支配されていたとか、土地を奪われたとか……様々な憶測はあるが、記録という記録全てが、その理由を書くことを忌避していた。
そして、勇者でさえそれを知らなかった。
ただ、望まれたから。
昔、勇者がいた。
否、勇者"たち"がいた。
薬を用いて強制的に人外染みた強さを持たせられた彼らは、凄まじい力を持って魔族を追い詰めていった。
……最も、肉体的な強さだけで精神的なものはチーズのように穴だらけなものだったが。
実のところ、アルフレッドは彼らの……勇者たちの一員ではなかった。
ただひたすらに剣を振り続け、それがようやく魔王に届いただけの凡人でしかない。
凡人でしか、なかったのだ。
魔王を倒し振り返った時、そこには誰もいなかった。
外は見たことのないような人形の怪物だらけで、アルフレッドはようやく悟る。
僕は何も救えなかったんだ、と。
そうして、逃げ続けた先で彼は……燃え盛る炎の中で魔族の少女と出会った。
「彼らが不死の力を得ているのは、君と大いに関係している。これ以上の質問が聞きたいのなら、手を貸してもらおうかな」
「僕と……? それに、手を貸すって?」
「ああ。私の野望のために」
赤い双眸は怪しく、また試すかのような視線を持って目の前のアルフレッドと対峙する。
燃え盛る炎によるものか、そうでないかは定かではないが、片目を閉じて額からの汗を通らせると、乾く喉でなんとか答える。
「……今はそれよりエレノアを避難させよう。僕と魔族である君は平気かもしれないが、その子はただの人間だ」
「おっと、そうだったね」
ますます勢いを増していく火を彼女は軽快に飛び越え、出口へと向かっていく。
そして、一歩出た途端立ち止まり、背中で彼女は言った。
「あと1人、君を待つ人がその城にいる。そっちは君が何とかしてくれ。私ではテコでも動かなかったからね」
それだけ言うと、彼女は燃え盛る街へと駆け出し、気が付けば豆粒ほどの背中へと変わっていた。
彼女の言うあと1人。それが誰だかは鈍いアルフレッドといえど、何となく予想はついている。
剣を拾って階段を駆け上がり、扉を開け放つとそこにはぐったりと玉座に座り込む国王の姿があった。
「陛下!」
「……アルフレッドか。すまんな、こんな姿で」
覇気が消え失せた声。
彼は、先程友の口から似たような声が出たことを覚えていた。
すぐさま肩を組み、出口へと駆け出す。
国王はそれに力無く寄りかかると、絞り出すような声で話し始めた。
「早く逃げましょう! このままだと、城が!」
「もうよい。もう、この国は終わりだ。化け物の退治をお前1人に押し付けた罰なのかもしれんな」
「そんなこと……」
「あるとも。それより……お前にずっと言いたかったことがある、灰の勇者よ」
もはや炎が身長ほどまで上がり、煙と炎で両腕の範囲さえ視界が定まらない。
それは不死であるアルフレッドには何ともないが、人間である国王は違った。
煙を吸い込み、今までの低くしゃがれた声が嘘のように大きな咳をし、前に倒れそうになる。
だが、彼はそれをも振り切り話を続けた。
「私がお前に灰の勇者という名を与えたのは、げほっ、見た目や……ましてや皮肉などが理由ではない」
「陛下、喋らないでください! もうすぐ出口で……」
「灰は……土には帰らん。奴らは、作物を豊かにし、自由な青空へと舞う事が出来る」
「……陛下」
「私は愚か者だ。お前をこの国に縛りつけ、けほっ、ましてや不自由な生活を強いてしまった。本当に……すまなかったな」
視界が灰色に染まる。
もはや煙で自分の肩に体重を預けている国王の表情さえもわからない。わかるのは、頬に流れる熱い何かだけだ。
「お前はいつも自分が何者なのか、自分の価値は何なのか、悩んでいたな」
「陛下……」
「決める時だ。お前が不死の力を得た理由を、自分の存在価値を。勇者の旅路を、終わらせてこい」
彼の目から、生気が消える。
勇者はその瞼をそっと閉じると、彼の遺体を置いて燃え盛る城を歩いていく。
そして、目に映る光景は惨憺たるものだった。
鎧を着た化け物が、泣き叫ぶ民を切り殺し。
誰かの死体の傍で泣き叫ぶ人がいて。
叫び声がこだまして。
化け物たちの声が聞こえた。
今度こそ、はっきりと。
「勇者様を守らなければ!」
「魔族どもめ、覚悟しろ!」
ようやく、分かった。
彼らが戦い続けるのは魔族を倒すため。
まだ、彼らはあの日の戦いから帰れていないのだと。
目を瞑って息を吐く。
瞼の裏に刻まれていたのは、英雄たちの言葉で。
「あなたは我々にとっての、誇りなのですから」
「勇者の旅路を終わらせてこい」
助けを求める声がする。
数時間前までは、平和な日々を過ごしていて、明日も明後日もそのまた次も続いていくはずだった日常を壊された人達の声。
勇者は、剣の握りを深く握った。
瓦礫の山で、少女は泣いていた。
親愛なる祖父が殺され、兄のような存在である勇者が近くにいなかったから。
ただただ、悲しくて泣いていた。
そんな時、彼女の肩を叩く存在があった。
「……エレノアちゃん、だよね?」
振り向くと、そこには見知らぬ女性がいた。
エレノアは彼女に対し戸惑いから何も言えずにいると、女性はその隣に座ってはにかんだ。
「勇者様からお願いされたんだ。君のそばにいてあげて欲しいって」
「勇者様から……? そうだ、勇者様は!?」
「あの人は……もう旅立ったんだ。やる事があるって、言ってた」
女性の言葉で、少女の無垢な瞳に絶望が宿る。
女性はそんな彼女の手をそっと撫でた後、抱き寄せた。
「……私は、ヴォルフさんに命を救われたの。だから、この命はあなたのために使わせて?」
「お爺ちゃんが……?」
「うん。私を庇って……嫌だったら、嫌って言ってくれていいよ」
女性はうつむき、彼女の沙汰を待つ。
恐らく、恨まれるだろう。もしくは、ここで殺されてもおかしくはない。
覚悟を決めたとはいえ、恐怖が脳裏を埋め尽くしていた。
だが、
「ううん、嫌なんて言わないよ」
「え……? どうして……? だって、私は……」
「だって、お姉ちゃんの目腫れてるから。ずっと、泣いててくれたんだよね、お爺ちゃんのために」
少女に指摘され、ゴシゴシと目を擦る女性。
途端に、涙が袖を濡らす。ぽろぽろと、際限なく溢れる涙にエレノアは首を傾げた。
「大丈夫!? どこか、痛むの?」
「ううん……ううん、違うよ。ごめんね、ごめんね、エレノアちゃん……」
泣き出す女性の近くでどうするべきかと動揺し始めるエレノア。
そんな2人を、遠くで見つめている存在があった。
「……」
「良かったね、勇者様。どうやら彼女たちは上手くやれそうだ」
「ああ」
「それにしても、凄かったなあ。君が勇者と呼ばれている理由がわかったよ。迫り来る敵をちぎっては投げ、ちぎっては……」
「……」
「なあ、君は彼らと戦うことを選んだということでいいのか?」
瓦礫の上で座り込んでいる勇者の背後から声をかけるのは、赤い目の少女。
勇者は膝に頬杖をつき、目を逸らさず2人を見つめ続けながら答えた。
「……礼を言ってなかったね。エレノアを助けてくれてありがとう」
「どうって事ないさ。君の信頼を勝ち取れるなら」
おどけて答える少女に、アルフレッドは背中で答える。
そして、懐から生前のヴォルフから貰ったものを取り出した。
「煙管?」
少女が彼の持っているものの名を呼ぶが、それに反応を示さないまま彼は一緒にもらっていた葉を詰め、未だ燃えている木々を使って火をつける。
そして、小さく吸い込んだ。
「へえ、勇者様が喫煙なんてするんだね」
「……別に、そういう気分になっただけだ。これが初めてで、最後の喫煙だよ」
二回ほど吸い込むと、葉は全て灰へと変わってしまう。
そして、空を見上げると、
「もう少し、早く知りたかったな」
苦笑しながらこぼす彼の瞳は、どこか涙が溢れそうに少女は見えた。
だが、その表情はとても安らかで。
「ずっと……ずっと、青空だったんじゃないか」
勇者の目の前には、青空が広がっていた。
焼け残った荷物を持ち、木目の目立つ立て看板の前に立つ。
空は晴れ、道ゆく並木道も青々しく輝いている。
そして、看板に手をつきこちらをじろじろと見つめる短い金髪が特徴的な魔族の少女がにやりと笑っていた。
「さて、手を貸すかどうかの話に戻ろうか」
「ああ、そういえば。結局手を貸すって、何をする予定なんだ?」
「魔王を……私の父を復活させる事だ。そうしたら、君の呪いも解く方法が見つかるかもしれない」
「へえ、方法は?」
「さあ。父が死んだ場所であれば、何かあるかもしれん」
昔のアルフレッドが聞いたら死んだ人が蘇るものか、と笑い飛ばすかもしれない。
だが、ありえないことを旅の目的と据えるのも悪くはないなと思い直すが、それよりも、彼は気になっていたことがあった。
「それより、君は僕のことが憎くないのか? 僕は……」
「なあ、君は人間が魔族と戦っていた理由を知っているか?」
「……それは」
「私もだ、私にもわからん。戦っていた理由も、父が討たれなければならなかった理由も。今も昔も戦争の理由を記した本はどこにもなかったからね」
魔族と戦争をすることになった理由に関する書物は、勇者が魔王と対峙した時でさえ見つかってはいなかった。
「だから、それが判明した時に改めて判断するよ。君を見ていて、改めてそう思った」
「僕を?」
「ああ。君は決めたんだろ、自分の生き方を。私もそうしたくなっただけさ」
彼が不死の力を得た理由。
そして、そんな自分の存在価値で、生き方。
「……そういえば、さっきの質問に答えてなかったね」
「質問?」
「僕が戦う事を選んだかどうかって質問」
少女は、ああと小さく納得したような声を出す。
アルフレッドは苦笑しつつも、まるで読み聞かせをする母親のようなおだやかな表情で続けた。
「彼らは、まだ数十年前の戦いの中にいるんだ。だから、彼らの戦いを終わらせなくちゃいけない。そのためなら、戦う事を選ぶよ」
「……へえ」
彼女は興味深そうに笑みを浮かべると、数歩前に出て振り返り、手を差し出す。
「リーシャ」
「え?」
「リーシャ。それが私の名前だ、共に終わりを目指すとしようか」
少女……リーシャは期待するかのような眼差しを勇者へと向ける。
しばらく間を置いた後、彼は一歩踏み出してその手を取り、名乗った。
「アルフレッド。灰の勇者、アルフレッドだ」