第2話 『化け物の正体』
夕食を終え、暖炉にあたりながらヴォルフがうつらうつらと船を漕いでいる。
エレノアは彼にはばかることもなく、昼間のように元気な様子を見せていた。
「でね、勇者様! そのお店の人がりんごをひとつおまけしてくれたんだ!」
「うん、それはよかったね。今度一緒にお礼を言いに行こうか」
「大丈夫! 一人で言いに行けるから!」
「そっか。偉いね」
アルフレッドは彼女の言ったであろうりんごに目を向けるが、やはり灰色のままだ。赤だから見ることができた、とそう単純な理由ではないらしい。
なら、あの赤目の魔族は何なのだろうかとの疑問が脳内を逡巡する。
それに、この街に現れてアルフレッドに接触した理由もわからない。宣戦布告、という割には彼女はあまりにも敵意がなかった。
その時、ボロの扉から乱暴なノックの音がする。
その音に飛び上がる様子のエレノア。そして、半分寝かけていたヴォルフの意識も覚醒する。
「勇者様、いらっしゃいますか?」
苛立ちの入ったような、事務的な声。
恐らく衛兵の一人だろうが、その視線は値踏みするかのようにアルフレッドを見つめていた。
「えっと、何かありましたか?」
「陛下がお呼びです。あなたのその、体質について」
体質。
恐らく、不死についてのことだろうとアルフレッドは想像するが、今までそのことについて国王に呼び出されたことはないため、身構えてしまう。
最悪の場合、追放の二文字を渡されてしまうかもしれない。
しかし、国王の名前を出されて呼び出しに応じないとなると、今後ろにいる彼らの身が安全である保障などない。
「わかりました」
「勇者様? どこか行くの?」
「大丈夫。すぐ戻ってくるからね」
彼女は自身の質問の答えが返ってこないことを不思議そうに首をかしげるが、奥の老人はうつむき、申し訳なさそうに眉を八の字にする。
気に病まないでください、と声を出そうとするがうまく声が出せない。
結局、彼に何を言うでもなく城へと連行されてしまった。
城に通され、まず案内されたのは岩づくりの薄暗い地下牢だった。
鉄格子に入れられ、両腕両足を拘束される。そのことだけでも十分に唐突なのだが、さらに不可思議なことはこの場所に国王がいないことだ。
目の前にいる白衣の男性を睨み、出来る限り声を低くして尋ねる。
「……なんのつもりですか?」
「単刀直入に言おう。キミの不老不死について研究がしたい」
「何故?」
「この国は近々戦争を控えている。だが、今の国力では到底かなわないだろう。しかし、兵士一人一人が不老不死ならば、我々の栄光は未来永劫と約束される」
「不老不死が、そんなに魅力的に見えますか? あなた方は、私の何を見ていたんですかっ!?」
声高に叫ぶが、彼はそれを意にも介さず机の上の医療器具に着手する。
返事といえば、兵士の嘲笑と牢獄で反響した自身の声だけだ。
不老不死になってよかったことなど、ない。
彼の故郷の村は彼を残して滅んだ。理由は、若者の不足だ。
まだ彼が未来を夢見る少年で、それを応援してくれた人たちも皆死に絶え、結局自分だけが生き残り続けて。
何度思っただろうか。化け物と同じく意識も消えればよかったと。
「お願いですっ! 不老不死になんてなろうとしないでください! あんなものは、人間が憧れるべきものじゃない!」
「やかましい!」
アルフレッドの言葉が終わるか終わらないかの時に、唐突に白衣の男が一喝する。
その時、灰の勇者はようやく悟ったのだ。彼らを止めることはできない、と。そして深く絶望した。結局自身が出来ることなど力をふるう事しかないのだと。
力なくうなだれる彼の体に、複数のメスが入る。
しかし、そのどれも傷つけることはかなわない。どんな刃物を用いても、どんなに重いものに押しつぶされても、傷一つ入らない。それが、彼の呪いだった。
「……素晴らしい。この力があれば、我々の永遠は約束されたも同然だ」
まるでおもちゃを手に入れたかのように目を輝かせる彼を見て、すべてを諦め目をつむる。
その時のことだった。
階段を駆け下りる音とともに、隠しきれないほどの焦りの混じった声が響いた。
「敵襲! 今動けるものは、武器を持ち配置に着け!」
「まさか、不意打ちか!?」
「違う! 不死の化け物たちだ!」
その言葉を聞いて、アルフレッドは目を見開く。
というのも、今まで化け物たちは道行く人を襲いこそすれ、街を攻撃することなどなかった。
だが、彼らの焦り具合からするにそれは事実らしい。
「……っ、くそっ!」
白衣の男は心底悔しそうに勇者の拘束を解く。
そんな彼をしり目に、アルフレッドは制止も振り切り人離れした速度で駆け出す。
エレノアと、ヴォルフの身に危険が及んでいないか。
人離れした自身の速度でさえ、遅すぎると感じるほどには焦っていた。
そして、白から出た彼が目にしたのは、火に包まれた街と無残にも転がっている町の人々。
惨憺たる光景を目にした彼が最初に思い出したのは、昼間の魔族だった。
「……っ、あの時倒しておけば」
後悔の念をつぶやきながら、左右に転がっている彼らの顔を確認し、見覚えのない顔に安堵するたびに自分への失望が重なっていく。
そして、家にたどり着くとそこには——、
「誰もいない……?」
逃げたのだろうか。それとも……。
いやな考えを振り払うかのように自身の武器である大剣を探すが、それさえもない。火で焼け落ちたとも考えたが、あの大きさの鉄塊がそう簡単に露と消える訳がない。
誰かが逃げる時に武器として使ったというのならそれでもいいが、そう簡単に振り回せるような重さではない。
アルフレッドが思考していると、突然絹を裂くような悲鳴が上がった。
「きゃああああっ!」
「……っ、あっちか!」
声の先に駆け付けると、そこには複数体の化け物に囲まれている女性の姿と……肩から脇腹まで切り裂かれたヴォルフの姿があった。
「ヴォルフさん!?」
彼は近くに転がっている兵士の手から剣を奪い取ると、そのまま彼らを囲んでいる化け物の首を落とす。
そして、血で赤く染まった剣を放り投げ、地面に倒れこんでいる老人のそばでひざを折った。
彼はぜえぜえと消えかけの呼吸だったが、勇者を一目見ると安心しきったかのような視線へと変わる。
「勇者様、ご無事でしたか……」
「ゆ、勇者様! この人は、私をかばって……」
「わかってます! ヴォルフさん、喋らないでください! 今……」
「……いいんです。それより、エレノアを……」
弾かれたかのように首をもたげ周囲を見渡すが、少女の姿はどこにもいなかった。
尋常でない彼の様子におずおずと隣にいた女性が震えた声で話し始める。
「女の子のことなら、さっきお城に……」
「城!? なんでっ! 出口と逆方向じゃないか!」
「ひいっ!」
「怒らないでください。あの子は……あの子は、勇者様に剣を届けるために走ったのです」
血交じりの咳をするヴォルフが、天を仰ぎながら弱弱しい声でこぼす。
あの鉄塊をあんな小さな子が持って走れるわけがない。すぐに探さないといけないことくらいはすぐに分かった。わかったが、勇者は動けなかった。
「ヴォルフさん、僕は……」
「行ってください、アルフレッド。私は、十分すぎるほど生きましたから……」
「……っ、僕があの夜なんとしても拒否していれば!」
「自分を責めないでください、アルフレッド。あなたは、私たちの家族で……我々にとっての、誇りなのですから」
次第に彼の目が弱弱しくなっていく。
もはや、彼の視界には女性も、ましてや勇者は写っていない。
橙色の炎に照らされた空と、空へと舞い上がっていく灰。
「……ありがとうございました、ヴォルフさん」
勇者はそれだけ言うと、友の遺体に背を向け火の上り始めた城へと駆けていく。
その場に残ったのは、呆然と地面に座りこむ女性と、満足げに微笑む友の姿だった。
「エレノア! どこにいるんだ!? 返事をしてくれ!」
燃え盛るカーペットを踏みしめながら、アルフレッドは炎で乾燥しきった喉を震わせ、エレノアの名前を呼び続ける。
自身の体の異常を感じ取ったのか、異常なまでの量の汗がうっとおしくなり片腕で乱暴に頭をふき取りながら城を突き進んでいくと。
「……勇者様か」
そこには、魔族の少女と……彼女に体重を預け、抱きかかえられながら気絶しているエレノアの姿があった。
「お前は……っ! エレノアを離せ!」
「勘違いしないでくれよ。今回の事態は私のせいじゃない。言うなれば、お前のせいだ」
「僕のせい……?」
彼女の言葉の意図がわからず困惑していると、突然彼女がこちらに何かを蹴る。
そこには、勇者の持つ大剣があった。
「簡単に言えば、不死の怪物たちはお前を助けようとこの街に押し掛けたんだ」
「なにを、言って……?」
「ここまで言ってわからないのなら、正直お手上げだが……まあいい、はっきり言ってあげよう」
「怪物たちの正体は、あの日お前と共に魔王を倒すために立ち上がった勇士たちだ」