第15話 『鐘の音』
昨日、リーシャと話した部屋。
血が飛び散り、時が止まっているかのように無音の部屋の中心に。
リーシャの動かなくなった身体が、そこにあった。
自然と、剣を握る手に力が入る。
聞こえてくるのは、アルフレッド自身の息遣いと、心音。
じっとりと汗ばんだ額から零れ落ちる汗さえも拭きとれずにいると、
「聞いてはもらえないとは思うが……私たちではないよ」
しわがれた声が、アルフレッドの背後から聞こえる。
だが、彼の手に握られた剣先はその声が聞こえないかのように振り下ろされ、寸前で止まる。
それは彼の目に入った予言者の目から、確かな意思を感じ取ったからだった。
「私は言ったはずだ。彼女のそばにいてあげてほしいって」
「それはっ……!」
「どちらにせよ、先手は打たれた。聞こえるかね?」
彼の口が閉じると、かすかに聞こえる騒々しい足音。
その正体を探っていると、予言者が口を開いた。
「今、この街は大勢の不死者に囲まれている。このままでは、罪のない人たちが大勢死ぬだろう。——さて、もう一度問おうか。『君は私に協力してくれるね?』」
「関係ない人たちを人質に取るつもりか、リーシャを見捨てた罪人が……!」
「なら、君はこのまま感情に任せて暴れるといい。私と同じく、救える命を見捨てると良い」
剣を支える右腕が震え、手元が狂いそうになる。
しかし、カタカタと震える刃先を見下した予言者の表情は、冷静そのものだった。
その時、アルフレッドは初めて気が付いた。格が違う、と。
「……いつか、話せ」
「話す?」
「あの夜、何故僕に理由を教えなかったのか。誰が彼女を殺したのか。そして、お前がいったい何者なのか、話せ。それが協力条件だ」
「ああ、いいよ」
あっさりと快諾する様子を見て、アルフレッドは自身の中の煮えくり返るほどにあふれた感情を抑え、吐き捨てた。
「今外にいる人たちを全員撤退させろ。僕一人で十分だ」
「だろうね」
当然という風に言い切った予言者を一瞥することもなく、アルフレッドはその場を後にする。
そして、誰もいなくなった部屋で、予言者はひとりため息を吐いて刃を抜き、倒れている少女に一閃。
だが、その傷口からは血ではなく砂が零れ落ちた。
「舐められたもんだよね。キミも、私たちもさ」
その戦場は、地獄だった。
とある兵士の心は壊れそうで、いつ逃げ出してもおかしくはない。
だが、その兵士が特別というわけではない。ほかにも、逃げだしそうな者たちがいた。
当然だ。目の前の人によく似た化け物には剣を振り下ろしても傷一つつかないのだから。
唯一不死者にあらがえる勇者も、この軍勢を前にしては力不足だった。
この、数百もの偶然の前では。
実質、数百もの軍勢対勇者三人と足手まといが数十人という状況で勝てる確率などない。
だが、兵士たちは退かなかった。いや、退けなかったのだ。背後にいる子供たちのため。親のため。そして、未来を導く予言者のため。
だが、とある兵士の剣は折れた。
「あ、はは——」
乾いた笑いが漏れる。
となりには、不死者に食われている仲間。その仲間入りをすることになると思うと、恐怖を超えた笑いしかでてこなかった。
逃げたい。怖い。死にたくない。
いくつもの恐怖を必死に我慢していた彼の前に現れたのは、雷鳴だった。
いや、実際に雷が落ちたわけではない。まるで雷鳴のような音を立て、何者かが空から落ちてきたのだ。
砂煙が周囲を舞うその者は灰色の髪で、背丈はその兵士と同じくらい。だが、特徴的なのはその背中に背負った身長ほどの大剣。
兵士には、理解が出来なかった。
まばたきでもしていたのだろうか。彼の奥にいる数十人はいるであろう不死者が、全て地に伏している。
その青年は、振り返らずに行った。
「負傷者を抱えて城壁内に戻って。ここは僕一人で抑える」
「馬鹿なことを言うな! 相手は数百の、それも不死者だ。それを一人で抑えられるわけがない!」
その兵士は、まっとうなことを言ったつもりだった。
だが、その青年は鼻で笑うと。
「大丈夫」
と言い切った。
事実、その言葉が終わるか否かのときにはすでに不死者は視界のはるか後方へと吹き飛ばされ、周囲には天へと立ち上るほどの砂煙が待っていた。
強すぎる。
その言葉を彼は飲み込み、負傷した仲間を抑えて場内へと戻っていった。
「……どうして、こんなに不死者がいるんだ?」
仲間を支えながら撤退する兵士を見守ると、アルフレッドは一人考え込んでいた。
不死者はあの日魔王を倒した勇者たちのはず。だが、数百人もいるのは多すぎる。
それに、先程倒した不死者の顔も、見覚えのない少年や少女のものに見えた。そして、不死者が人肉を食べるなどという話も聞いたことがないし、見たこともない。
その思考を遮るかのように爆発音がすると、空には赤い煙のようなものが上がる。
すると、白風教徒たちが一斉に空を仰ぎ見たかと思いきや、一斉に撤退していく。おそらく、あれが撤退の合図だろう。
そうなると、今この広い平野にはアルフレッドが一人ということになった。
「あの日、僕と共に魔王に立ち向かってくれたあなた方のことは、今でも尊敬しています」
百人はいるであろう軍勢に向けて横なぎに剣を薙ぎ払う。
ただの素振り。しかし、その剣から巻き起こされる衝撃波は数十人もの不死者を吹き飛ばした。
ただそれだけで、その場の支配権は彼のものになってしまっていた。
「ですが、罪もない人を襲おうというのなら容赦はしません」
城壁内では、小走りで誰もいなくなった街並みを走る少女がいた。
「……ったく、何の因果でこんなことになったんですか!?」
誰のとも知れない独り言をつぶやき、路地裏へと入っていく。
外は不死者で溢れかえり、物流が完全に止まってしまっていた。当然、それに乗って帰るはずだった馬車もなくなり、完全に少女は途方に暮れていた。
それに、そんな状況だというのに人の気配が町中にかけらもない。これで嫌な予感を覚えるなという方が無理だ。
「入りますよ!」
少女は路地裏に入り、一室のドアを乱暴に開け放つ。
そこは、ウルガルムの賢者と呼ばれる男の部屋。少女にとっては教師だった男が、その部屋にいるはずだった。
しかし、そこにいたのは──、
「……誰だ、お前は」
血濡れで倒れている賢者と、仮面を被った男。
仮面の男の手には、赤く染まったナイフ。
少女はそのナイフを見て、ひっと小さな悲鳴を漏らすとその場に尻餅をついてしまう。
仮面の男は持っていたナイフを捨てると、今度は鉄の筒のようなものを取り出し、先端を彼女に向ける。
あれはやばい、そんな獣めいた予感に弾かれるように彼女は横に倒れると、一瞬前まで彼女がそこにいた場所から爆音と共に凄まじい衝撃が放たれた。
「あまり避けるな。弾が勿体無い」
先ほどの衝撃から確実にその弾とやらにあたったら致命傷は避けられない。
しかし、少女は完全に腰が抜けて立てなくなってしまっていて、唯一の抵抗は力無く首を振ることだけ。
その抵抗も虚しく一歩、また一歩と男が近付いてくる。
「ぃ、や……」
震える唇で拒絶の意思を示し、後退する。
だが、すぐに壁が少女の背中にあたってしまう。
目を瞑って少しでも恐怖を和らげようとしていると、
「当たらないさ。だってあの銃、ロクな整備されてないんだもの」
飄々とした男性の声が耳に入ると、今度は先ほどの爆音が耳に入る。
だが、その声の言うとおりいつになっても少女の身体に怪我一つ出来ないままで、恐る恐る目を開けると、そこには白髪混じりの男性が少女を庇うように立っていた。
「な? 言ったとおりだろう?」
「勇者、マーヴィン……!」
「お、知ってるの? そりゃ嬉しいね」
二発、三発と彼に向けられて弾が発射されるが、そのどれもが明後日の方向へと放たれる。
マーヴィンはそれがわかっていたかのようにポケットに手を突っ込んだまま皮肉に笑うと、片手を取り出し指差した。
「おたくの仕業なんだろ? 外の騒ぎに、リーシャの件」
聞いたことのある名前に、少女がぴくりと反応する。
しかし、反対に仮面の男は無反応を貫き、また数発発砲するがそれらも全て壁を傷つけるだけと言う結果だった。
「俺たちが外で頑張ってるうちに、中でアルフレッドを暴れさせて白風を壊滅。よくできた算段だよ。まあ、うちの予言者様がおたくの軍師様より優秀なおかげで助かったけど」
「よく喋る口だな」
「もっと喋るよ? そりゃ話したい奴が目の前にいるんだもん、饒舌にもなるさ」
マーヴィンと呼ばれた男は後ろ手にちょいちょいと人差し指を折り曲げる。
それが側にいろという合図であることに少し遅れて気付いた彼女は、慌てて彼の背後へと駆け寄った。
それを待っていたかのように、彼は笑みを浮かべた。
「なあ、夜空の諸君」
「……ふん」
「あんたにゃ聞きたいことが山ほどあるんだ。同行願える?」
「断ると言ったら?」
彼は言葉よりも先に銃口を向けるが、マーヴィンはやれやれとばかりに首を振る。
「弾切れだよ。数えときな、自分の銃くらい」
その言葉の通り、いくら立っても弾は撃たれなかった。
ナイフを拾おうとするが、すでに立ち上がっていた少女の指先から放たれた炎弾によって弾かれ、背を向けなくては届かない場所まで飛んでいく。
「お、ナイス。魔法使えんだね、お嬢さん」
「クラリスです、名前」
「じゃ、クラリスちゃんには後で正式にお礼するとして。改めて同行願おうか、夜空さん」
扉を潜り、仮面の男へと近付いていく。
あと一歩で部屋の中に入る、と言ったその瞬間マーヴィンの足が止まった。
「……いや、やめておこうか。キミはまだ切ってない手札がある。そうだろ?」
「さてな。試してみてはどうだ?」
「俺以外の勇者なら試したかもね。ま、今回はこの子守らないといけないし、両者痛み分けってことで」
彼はその言葉と共に扉を閉める。
唖然とするクラリスに対してマーヴィンは両肩を上げると、そのままその場を後にするべく歩き出すと。
ゴーン、ゴーン、と。
突然、鐘の音が鳴った。
「……鐘? ですよね、これ」
「そうだね。おそらくうちの教会のやつだろうけど……まだ音鳴るんだね、あれ」
感心したように顎を触るマーヴィンに対し、鐘の音は鳴り続ける。
そして、一通り鳴った後に聞こえてきたのは、轟音とも言えるほどの人の声。
「聞こえているか! ウルガルムの人民ども!」
耳をつんざくような大声に、マーヴィンもクラリスも思わず耳を塞ぐ。
しかし、その手さえも抑えきれないほどの声量が、彼らの鼓膜を振るわせた。
「今現在、このウルガルムは不死者に襲われている! 予言者がいるのにも関わらず、だ!」
「おいおい、まさか……」
「そうだ! 予言者は、いや白風教は……!」
「この街を滅ぼそうと企てている!」