第14話 『またね』
「私の目的は、全ての不死者の開放。そのために、力を貸してほしいんだ」
アルフレッドは予言者のこの言葉を、案内された部屋にあるベッドで寝ころびながら脳内で反芻していた。
恐らく彼の言葉に嘘偽りはない。しかし、白風教によって生活が苦しめられている人もいることを知っている。
だから、彼はあの時手を取ることが出来なかった。
「リーシャなら、なんて言うかな」
部屋に備え付けられた窓から移る月明かりに問いかける。
だが、当然返事はない。
「なら、聞いてみればいいんじゃないの?」
ということもなく、扉から男性の声が聞こえてきた。
驚いて扉を開けると、そこには片手をあげたマーヴィンがニヤついた顔で立っている。
「はあ、盗み聞きなんて趣味が悪いね」
「聞こえちゃったんだからしょうがないだろ? そんで、どうすんの?」
「……いいの? リーシャを助けて逃げるかもしれないのに」
「まあ、いいんじゃない。予言者様もそのくらいの行動は予測してるだろうさ」
「適当だね」
「はは」
ちょいちょいと手招きをして廊下の奥へと歩いていくマーヴィンの背中を追っていると、窓から漏れた月明かりに照らされた廊下にたどり着く。
そこには人の気配もなく、ただ足音だけが冷たい石レンガの壁に響いていた。
「そんで、予言者様の言葉にどう返事するつもりなの?」
「わからない。正直、迷ってる」
「どこで?」
「ここに来る前に白風教に苦しめられた人を見たんだ。だから、手放しで君たちを信頼できないというか……」
「夜空の子たちかな?」
ぴたりと言い当てられ驚いているアルフレッドに対し、マーヴィンはため息をついて壁に寄り掛かる。
その視線はアルフレッドには向けられてはいなかったが、真剣な様子をひしひしと感じていた。
「白風教の下衆に苦しめられた夜空の子に対しては、俺もかわいそうだと思うよ」
「意外だね、白風教に下衆がいることを認めるんだ」
「ここまで大きくなればそりゃね。俺らでも取り締まろうとはしてるんだけど、勇者は俺たち三人しかいないから」
「じゃあ、夜空については同情的だと?」
「いやいや、そりゃ傷つけられたケガだけを見りゃ可哀想だろうけどさ。こっちにも傷はあるのよ。白風教ってだけで殺された子たちもいる。その子たちの怒りを無視するわけにもいかないでしょ」
傷つけられたケガだけを見りゃ可哀想。
彼の言葉に、アルフレッドは押し黙ってしまう。しかし、マーヴィンは彼を一瞥したのちに言葉をつづける。
「白風に恨みを持つ夜空。そんな奴に恨みを持つ白風。そんな奴に……まあ、そういういたちごっこが続いているんだ。だから、どっちが可哀想かを判断の尺度にするのはやめたほうがいいよ」
「じゃあ、あなたはどうして白風に?」
彼はその問いに答えることなく月に顔を向け、嘲笑するかのように吹き出し廊下の奥へと歩いていく。
そして、その最奥。何の変哲もない扉の前で彼は立ち止まった。
「んじゃ、俺の案内はここまでってことで。どちらの味方になるか、それともならずに彼女の理想に寄り添うか。よく考えなよ」
「うん、わかってる。あと、これは伝えるべきじゃないかもしれないけど」
「なんだい?」
「出来れば、あなたとは戦いたくないと思った」
「どうも」
片手を上げて、彼は元来た道を戻っていく。
アルフレッドが扉に手をかけると、その中からかすかに声が聞こえた。
リーシャのものではない、昼間聞いた老人の声──つまり、予言者の声だった。
アルフレッドはそっと扉を開けると、そこにはベッドで横になっているリーシャと、その頭を優しく撫でる予言者の姿があった。
その姿は孫と祖父のように見えさえするが、その二人を包んでいる雰囲気は悲しみに染まっていた。
「リーシャ。きっと君は私のことを恨み続けるんだろう。だから……」
予言者の声が、月明かりで満ちた部屋に響く。
声をかけようか迷っていたアルフレッドも、そんな彼の様子に戸惑いただ呆然と立ち尽くす。
「ちゃんと、野菜は食べてるかな? 魚も好き嫌いせずにちゃんと食べないとダメだよ」
彼女の好き嫌いについても知っていて、そのことを心配する姿はまるで彼の父そのものに見えた。
しかし、魔王は死んだ。アルフレッドの手で撃ち倒されたのだ。
だけど、この雰囲気のせいだろうか。
その事実がアルフレッドの胸をどうしようもなく締め付ける。
「本当はね、もう少し君と一緒にいたかった。だけど、そんなものはワガママだ。私は君に、恨まれるようなことばかりしてきたのだから」
一秒たりとも、ここにいたくない。
そんな感覚に陥るが、どうしてもアルフレッドにはここを離れることができない。
今逃げたらリーシャに向き合うことができない、自身でもわからないがそう思ったからだ。
「だから、君の手で私の贖罪を終わらせてほしい」
予言者の言葉を言い終えた瞬間。
先程まで寝ていた少女の両腕が、予言者の胸ぐらに飛びついた。
「……ふざけるな、ふざけるなよ。私の人生を壊したのはお前だろう?」
「リーシャ!」
思わず叫んでしまった声に反応し、リーシャ目を見開いてこちらを見る。
慌てて手を引いた彼女の膝下に崩れ落ちた予言者が咳をして立ち上がると、よろよろと部屋の外へと向かっていく。
「リーシャの側にいてあげて」、という言葉を残して。
「リーシャ」
「……悪かったね、嫌なところを見せた」
「ううん、えっとあの人が君の人生を壊したってのは?」
「ま、色々とあったんだよ」
リーシャは座り込んでいたベッドに倒れると、片腕を頭の上に乗せる。
その近くにある椅子に座り、アルフレッドは彼女を見てバツの悪さを感じながら切り出した。
「……ごめん、今朝の事。あらかじめ相談するべきだった」
「本当だよ。で、理由は?」
「巻き戻される前、恥ずかしい話だけど僕は仮面の奴らに負けて死にかけた。巻き戻ったおかげで助かったけど、奴らが何者かわからないうちは少数で行動をするべきじゃないと思ったんだ」
「白風教に殺されるかもしれなかったのに?」
「えっと、それは……」
判断を踏み出す材料、予言者の敵ではないという言葉を聞いたという事実は、リーシャには隠していた。
しかし、それを隠していたということを傷付けずに彼女に伝える方法を考えあぐねていると、
「まあ、何でもいいか。結局私も君も死ななかったんだから」
「そういえば、リーシャは拘束されてたって話だったはずだけど」
「魔力を空にされた状態でね。おかげさまで今は何にもできやしない」
両手を天井に掲げ、ため息をこぼすリーシャ。
「あれ、魔法とか使えたの?」
「戦闘用じゃないけど多少は。言ってなかったっけ?」
「うん。ちなみに、どういう魔法?」
「秘密」
「秘密かあ」
クスクスと口に手を当てて笑うリーシャを見て、少しだけ安心感を覚える。
彼女の様子は普段と変わらない、穏やかなものだった。おそらく、切り出すなら今だろう。
「リーシャ、聞いて。実は予言者から手を貸して欲しいって話があったんだ」
「……あいつから」
「うん。僕は、しばらく白風にいて今の情勢を理解したいと思ってる。リーシャはどうしたい?」
「君を説得するのは骨が折れそうだ。気が変わるまで待つとするよ」
目をつむり、微笑むリーシャ。
彼女の無言の許容に重荷が落ちるような感覚を感じ、アルフレッドは自然と出た息を隠すように椅子から立ち上がる。
「それじゃあ、また明日。リーシャ」
「ああ、またね」
片手だけ挙げて返事をするリーシャに思わず微笑してしまう。
そうして、長い一日が終わった。
朝、部屋にいつの間にか置かれていた食事のにおいで目が覚める。
「朝食って、わざわざ配膳してくれるんだ……」
ぼやけた頭で違和感に言及しつつ、ベッドから降りて椅子に座る。
トレイに置かれていたのは、焼き立てなのかふわふわの暖かいパンに、色とりどりの野菜。
リーシャがいたら文句を零しそうだ、と苦笑してパンに手を付けようとした途端、アルフレッドの手は空中で停止した。
「……手紙?」
トレイに挟まった一枚の手紙。
何気なくそれを手に取った途端。
「——え?」
力なく発せられる疑問の声。
心臓の鼓動が速くなり、息も上がっていく。
その手紙に書かれた文章は端的だったが、それでも彼の心の内側をえぐり取るには十分すぎる鋭さで。
リーシャが殺された、と。