第12話 『賭け』
クラリスに連れられてたどり着いた場所は、路地裏の隅にあるぼろぼろの家の一室だった。
扉を開けると、ランプの光の身の薄暗い部屋から我先にとほこりとインクのにおいがアルフレッドの鼻腔に入り、思わずせき込みをする。
一方、クラリスもそれは同じらしくアルフレッドと同じくせき込むと、奥のほうから低い男性の声が聞こえた。
「……アルフレッドを連れてきたか、クラリス」
「けほっ、いい加減掃除してください。病気になりますよ、賢者さん」
「本に囲まれた場所で病気になるのなら、それも受け入れよう」
「……病気以前に正気じゃなかったですね、あなたは」
クラリスは悪態をつきながら玄関のすぐ近くにある椅子に座り、手でアルフレッドに隣にある椅子を促す。
示された席に座ってしばらく待っていると、のろのろと目に隈を浮かべた枯れ木のような男性が近付き、反対側の椅子に座った。
そして、一冊の本をアルフレッドの鼻先に突きつける。
「読め」
「え? あ、はい」
端的な指示に動揺しながら差し出された本を読むと、その内容は本というよりもメモのようなものだった。
とある日は晴れではなく曇りだった。今度出産する子供の性別が間違っていた。
そんな、意味の分からないような内容。
「どう思った?」
「……えと、どう思うといわれても」
「賢者さん、まずこのきったない本が何か教えないと意味が分からないですよ」
「面倒だ。お前が話せ」
賢者と呼ばれた青年はそれ以上は会話をする気がないとばかりに、どこからか取り出した本を読みだす。
クラリスはそんな彼にため息をついて、あのですねと口火を切った。
「これは白風教の予言者が間違っていた予言の内容を書き記したメモ……なんだそうです。まあ、全部どうでもいいミスなんですけど」
「間違っていた予言、ですか?」
「そうだ」
「予言を伝え間違えたってことですかね?」
「そんなミスをするような奴なら、とっくに失脚している。重要なのは間違えた内容なのではなく、何故間違えたのかだ」
青年は本を閉じて、アルフレッドの目を見つめる。
まるで彼の答えを期待しているかのようなきらきらと輝く視線に、おずおずと言葉に詰まりながらアルフレッドは答えた。
「そこまで重大なことじゃないからです、かね?」
「そうだ。事実、その本に致命的な間違いは何一つ書かれていない。そこで私は一つ、仮説を作り出した」
「仮説?」
「彼は予言ではなく、あらかじめ起こることを前もって知っているのではないか、と。その際に起こるミスは、彼の記憶違いによるものなのだと」
言葉にはしなかったが、アルフレッドは内心では彼の推察に驚嘆していた。
恐らく、時が戻っていることを知っているのはリーシャとアルフレッド。そして、予言者本人だけだと考えていたからだ。
「予言者が時をさかのぼっている、ということですよね」
「確かに、そうとらえるのが普通だ。だが、もしそうでないとしたら?」
予想だにしていない言葉が出て、アルフレッドは思わず黙り込む。
だが、彼の様子に気付く様子もなく賢者は言葉をつづけた。
「もし私が時を戻せる白風教の予言者だとしたら、まず大昔にさかのぼり不死者の発生を防ぐために尽くす」
「……もし、白風教が何らかの理由で人気目的のために不死者を倒しているから、不死者の発生をそのままにしてるという線もありませんか?」
「くだらないな。それなら天災や疫病を予言するだけでも信者は出来る。それに、彼が過去に戻れるなら白風教が最近できた宗教な訳がない」
「それじゃあ、時を戻している人は誰だっていうんですか?」
「そこだ、私が君を呼んだ理由。君が今まで生きてきた中で、そういった力を持つ存在はいたかを教えてほしい」
「いえ、聞いたこともないです」
アルフレッドの答えに対し考え込むかのように黙り込む青年に対し、頬杖をついてランプの灯を見つめていたクラリスがつまらなそうに零した。
「それより、どうして魔族と元勇者様が旅してるか聞きたいんですけど」
「あ、えっと……それは……」
「魔族と不死者が手を組む理由など知れている。不死者という存在の究明だろう」
さも当然といった風に答える賢者に対し、さらにつまらなそうに口をとがらせるクラリス。
心なしか、今にでも知っているなら呼ばせるなと愚痴をこぼしそうな彼女だったが、賢者の言葉がそれをさせなかった。
「一つ聞きたい。魔族に寿命はあるのか?」
「いえ、何千年も前から存在している個体もいました。おそらく寿命では死なないかと」
「そうか。ではもう一つ質問だ」
青年は顎の下で両手を組み、冷めた目線をアルフレッドに向ける。
その視線はどこかうろんで、思わず唾を飲みこんだ。
「魔族と不死者、どこが違う?」
「……え?」
「魔族も不死者も殺さなければ死なないのだろう? ならば、それ以上の相違点はないのか?」
「すみません、質問の意図がわからないのですが。それに彼らが魔族であると言いたいのですか?」
言葉だけは冷静だが、正直アルフレッドのはらわたはぐつぐつと煮えくりわたっていた。
かつて魔族から世界を取り戻そうとした勇者たちを、あろうことか魔族とひとくくりにするなど、と。
しかし、激情するアルフレッドをよそに彼は冷めた目線を送り続けた。
「君が何に激情しているかはわからないが、私はただ相違点について聞いているだけだ。違うと声を大にして言いたいのなら、それを証明すると良い」
「魔族と不死者は、見た目が違います。不死者は人型で、魔族は羽が生えた化け物や、腕が何本もあるような——」
「それは間違いないんだな?」
声を遮るかのような彼らしくない大きな声に、アルフレッドは思わず息をのむ。
間違いない。間違いはないはずなのに。
なぜ、これだけ動揺しているのだろうか。
アルフレッドの視線が定まらなくなり、心臓の鼓動が大きくなる。
だが、正しいと証明しようとするためにたどった記憶の先に映っていた魔族の姿は、人とそっくりの形をしたリーシャただ一人だった。
「そんな……だけど、違う……彼らが、魔族、いや……不死者で……」
「クラリス、勇者様がお帰りだ。送ってやると良い」
「いいんですか?」
「この状態で話し合っても時間の無駄だ。落ち着いたらまたここに来ると良い。太陽が空にない時間なら相手が出来るだろう」
「もっと早く起きてください」
クラリスの言葉に鼻を鳴らすことで返事をする賢者に、彼女はため息でその返事に返答する。
自身の仲間が魔族かもしれないという事実を受け入れられないままぶつぶつと否定の言葉をつぶやき続けるアルフレッドを肩でささえると、二人はその場を後にした。
「そろそろ降りてくれませんかね、重いんですけど」
クラリスが皮肉げに呟くが、アルフレッドの反応はない。
彼の心中では、今まで後悔していたかつての仲間との記憶が不確かなものであったという自身の不信感。
そしてその中心にあるのは、自身も魔族と変わりがないという事実。
だから、彼の反応は一寸遅れた。
「……っ!」
足元に投げられたナイフを寸前で止まることでかわし、肩を支えてくれていたクラリスを隠すように背後に追いやる。
そして、投げたナイフの主を探すべく見上げると、そこには屋根の上でたたずむ仮面をかぶった数人の姿があった。
「クラリス、逃げて」
「甘く見ないでください、私だって戦えます」
「いいから!」
突き放すように押すと、背中にかけられた剣に触れる。
だが、その瞬間だった。彼の体が何かに縛られたかのように動かなくなってしまう。
そんな隙だらけの彼を敵が見過ごすはずもなく。
彼の背中から胸にかけて、鋭く熱い何かが突き刺さった。
「え……?」
胸からこぼれだす真っ赤な液体。それは、彼が数十年見ることがかなわなかったもの。
痛みが胸の奥から響く。叫んでも叫んでもなくならないそれに、少しでもあらがうために声を上げた。
意識が薄れゆく中、仮面の男性の話し声が聞こえた。
「あの女は……ますか?」
「無視……それより……」
受け答えに答えた仮面が、アルフレッドの髪を引っ張り持ち上げると、話しかける。
今度は先程のような断裂的なものではなく、やけにはっきりと聞こえた。
「我々を知ろうとするな。これは忠告だ、その痛みと共に覚えておくといい」
「だ、ぇ……だ……」
「今回ばかりは主も貴様に恩赦を与えると言っていた。自身の幸運に感謝しつつ、役割を果たせ」
髪の毛が痛みから解放されると、右頬に鈍痛な痛みが走る。
しかし、それに反応する余力はアルフレッドには残されていなかった。目を閉じ、自身の意識を暗闇へと落とすと、
「……ル? アル?」
リーシャの声が聞こえた。
胸の痛みはなくなっていて、夜だというのに瞼の裏から光が感じられる。
目を開けると、顔をのぞかせるリーシャと日光に照らされた噴水が映っていた。
「いやあ、驚いたよ。寝て起きたら、前日まで戻されてるんだから」
「……ああ」
噴水の近くにあるベンチに座り、リーシャもその隣に座る。
自身の胸に穴が開いていないか確認するアルフレッドに対し、リーシャの表情はいつもと変わらないものだった。
「予言者側の都合で時を戻されたと思ったらたまんないね。戻された記憶があるというのも考えもんだ」
「リーシャは、聞かないの? 前の夜に何かあったのかとか」
「聞きたいのはやまやまなんだけど、そんなこの世の終わりのような表情してたら聞けないだろ? 落ち着いたら聞かせてくれよ」
いつものようにはにかむリーシャから、目を背けるアルフレッド。
どうしても魔族と不死者の違いを彼女に求めてしまう。そんな自分に対し嫌気がさしていたころ、不意にリーシャは声を上げた。
「おっと、こんなところで会うなんて思わなかったよ。調子はどうかな?」
自分の足を見つめていた目線を上にあげると、そこに立っていたのは今一番会いたくない相手で、思わず自身の不運を呪った。
「……フレア」
「あなた方とはつくづく縁がありますね。同行願えないでしょうか?」
「まさか、この往来で事を構える気かな? 我々は悪党だ、そこら辺の人を人質にすることくらい考えるよ」
「ならば、その前に——」
「リーシャ、大人しく捕まろう」
アルフレッドの言葉に、二人が声をなくす。
今現在、この街は危険だ。誰が敵なのか誰が味方なのかさえ分からない状況で、リーシャを守り切る自信がアルフレッドにはない。
もちろん、あの夜に現れた仮面の正体が勇者である可能性はあるが、それよりアルフレッドはとある言葉に賭けたくなった。
予言者は敵ではない、という言葉に。
「……見損なったよ、アルフレッド。不死者を開放したいって気持ちは、そんなものだったのか」
「ごめん、リーシャ」
「後で、聞かせてくれよ。君の考え」
恨みのこもった声に、顔を背けることでしか答えられない。
気が付くと白風教徒が数えきれないほどに集まり、アルフレッドとリーシャの手首に重厚な手枷がつけられた。