第10話 『夜の下で』
冷たくなった外気に触れ、アルフレッドは目を覚ます。
まだはっきりとしない頭で周囲を見渡し、自身の状況を思い出し慌てて起き上がる。
だが、幸いこの国に人の気配はなく、月明かりだけが街を照らしていた。
「リーシャ、僕が寝ている間に何かあった?」
壁に立てかけているアルフレッド愛用の鉄の塊を手に取り、この家のどこかにいるであろうリーシャに聞く。
しかしその漠然とした問いに答える声はなく、家の中の暗闇の中に彼女の気配はない。
寝る前に彼女はどこかへ行くと言っていただろうか、と自身の記憶を探ろうとしたが、そういった会話は記憶にない。
忘れて置いて行かれた、なんて馬鹿な予想にアルフレッド自身で笑いそうになってしまうが、その考えは唐突に目に入り込んんだ現実に妨害されてしまう。
「……白風教?」
窓から見えるランタンに照らされた十数人ほどいる白色の鎧の兵士に見つからないように、かがんで息を殺す。
彼らがリーシャを拘束したのではないか、と疑問が浮かぶが荒れた様子のない部屋がその疑問への反証となる。
それに、起きているリーシャと寝ているアルフレッド。どちらが狙われやすいかなど自明の理だ。
だが、非常にまずい状況なのは間違いなかった。
入り口は昼間におろした橋だけで、周囲は二階建ての家ほどの大きさの壁で囲まれている。
彼の焦る心境に呼応するかのように、鉄塊が月明かりに照らされ、鈍く光った。
「壁を壊して逃げるのは、本当に最終手段にしようか」
「同感だ。捕まってしまった時の余罪を大きくされてしまっては困るからね」
答えの帰ってこないはずの独り言に返事があったことに驚き、声を出そうとするが寸前に彼女の手によって阻止される。
どこに行っていたのか、という疑問を口に出そうとする前に彼女は人差し指を口元に当て、微笑んだ。
「橋は跳ね上げられてなかったよ」
「リーシャ、もしかして一人で行ってきたの?」
「ああ。とはいえ隣の家の屋根から確認しただけだけどね。どうも私たちを探しているみたいだった」
「抜けられそうだった?」
「いや、正直手詰まりかな。あの勇者はいないから、無理やり押しとおることもできるとは思うけど、どうする?」
「いや、止めよう。フレア以外の勇者がいるかもしれない。何か別の方法があればいいんだけど……」
「フレア?」
「時間が戻される前に僕が戦った勇者の女の子のことだよ」
彼女は「ああ」とだけ答えると、また白風教徒のほうを向き、彼らの手に持たれているランタンを睨む。
「強風が起きてあいつらのランタンが消えたりしないかな」
「……気持ちはわかるけど」
突拍子のない言葉に苦笑した、その瞬間だった。
今まで静けさを保っていた町の中心に、何かが爆発したような轟音が響く。
突き当りが照らしていたリーシャの横顔も、その炎によって一瞬だけ一気に明るく照らされた。
「何事だ!」
白風教徒にいる一人が叫ぶと、彼らの叫びと共にランタンの火が一つ、また一つと消えていく。
何が起こっているのか把握できずに彼らの動向を見つめていると、先程とは違う白風教徒の一人が叫んだ。
「夜空共だ!」
その言葉を合図にしたかのように、白風教徒が咆哮し、各々武器を構えて走り出す。
しかし、彼らの歩みはすぐに止まり、じりじりと後ずさりし始める。遠くから見ているアルフレッドさえも、目の前の光景が信じられずにいた。
月明かりに照らされた、屋根の上にいる黒装束の人々。
その数は、百を優に超えていた。
そんな彼らの中心に立つ細身の男性が、一歩歩み出て言い放った。
「ようこそ捨て駒諸君。我々夜空の地へ」
「捨て駒だと!? ふざけるな、我々白風教において——」
「では何だ? 予言に従い行動している貴様たちにとって、この状況は望んだものだとでも言いたいのか?」
先程吠えた白風教徒を筆頭に、彼らは黙り込んでしまう。
反対に、リーダー格らしき男性は言葉をつづけた。
「しかし我ら夜空も血を流したいわけではない。一点だけ条件を飲むのなら、逃がしてやってもいい」
「条件だと……!」
「貴様たちが敗北しおめおめと逃げ帰ってきたことを予言者に伝えろ。我々夜空は、予言などという虚偽には屈しないと」
彼の言葉に対し、白風教徒は罵詈雑言を捨て台詞に街の外へと走っていく。
そして、彼らの背中が見えなくなったことを安堵していると、
「さて、お客人。挨拶くらいはしたらどうだ?」
窓から見える彼の顔は、間違いなくこちらを向いている。
リーシャを見て判断を仰ごうとするが、先程まで彼女がいた場所にはだれもおらず、窓を見るとすでに片手をあげて大きく手を振る彼女の姿があった。
「ブライト、久しぶりだね!」
「……リーシャ、君だったか。相変わらずのようでなによりだ」
ブライトと呼ばれた男性が肩をすくめて応えた。
先程の剣呑とした雰囲気が消え失せ、今にも談笑しそうな穏やかなものへと切り替わる。彼女たちの様子に一人取り残されたアルフレッドは呆然と彼らを見つめていると、
「で、リーシャ。そこの男性は?」
「前に話した灰の勇者だよ。アル、彼らは私の知り合いだ。隠れなくてもいいよ」
「へえ、あなたがあの灰の勇者なのですか」
感心したような明るい声を上げるブライトだが、その表情は月明かりの逆光によってよくは見えない。
どう答えていいかわからず愛想笑いを浮かべていると、
「リーシャ!」
突然暗闇から、リーシャめがけて駆け寄る人の影があった。
反射的に握りに触れるが、アルフレッドが抜刀するよりも早く少女に近付き、抱きしめた。
「久しぶり、リーシャ! 元気してた?」
「ガーネット、元気そうだね。どうかな、勉強の進み具合は」
月光に照らされたガーネットと呼ばれた少女は、髪が腰ほどまである黒髪の少女で、身長はリーシャより頭一つ分ほど大きかった。
それよりも気になることは、彼女の腰に刺さっている二本の剣。そのどちらも大きさは揃えられていて、傷だらけの鍔がその剣の歴史を物語っている。
「う……それはおいといて、リーシャが元気そうでよかったー! ちゃんと野菜食べてる?」
「いやあ、本当に元気でよかったよかった。それより助かったよ、二人とも」
「あはは! リーシャ、誤魔化すところが下手なのは変わらないんだね」
ガーネットと話すリーシャの表情は穏やかなもので、彼女たちの様子を見ているうちにアルフレッドの手は剣から離れていった。
「アルフレッド様、よろしければこちらへ」
警戒をすっかり解いた彼の背中から話しかけてくるのは、先程夜空を率いていたブライトだ。
先程は良く見えなかった彼の表情は、柔らかな茶色の髪とかけている眼鏡の印象も相まってか非常に穏やかなもので、敵意がないと判断するには十分だった。
特に断る理由もないアルフレッドは頷いて、その場を後にした。
「さて、初めまして。私は夜空を率いる副リーダーの一人、ブライトと言います。以後お見知りおきを」
通されたのは、民家の一室だった。
壁に立てかけられたランタンが部屋を照らし、椅子に座っているブライトとアルフレッドを隔てるテーブルにはそれぞれ暖かいコーヒーが置かれている。
「ご存じかもしれませんが……こちらこそ初めまして、灰の勇者アルフレッドです。先ほどは助けていただきありがとうございました」
「いえいえ、我々夜空は元々白風教とは敵対していますので、お気になさらず」
「どうして敵対されているんですか?」
「まあ、平たく言うと彼らの掲げる希望や未来が気に入らないのですよ。それに、予言予言と自身で考えることを放棄した者どもが私の眼鏡には醜く映るのです」
先程白風教徒に言い放った言葉の中にも予言についての言及はあった。それに、予言と口を吐いた彼の表情は憎しみに染まっていて、嘘をついているとは思えない。
だが、彼にとってその表情は恥ずべきものだったようで、咳ばらいを一つした後に先程の柔和な表情へと戻る。
「次はこちらが質問させていただきますね。失礼ながらリーシャとはどういった理由で旅をされているのですか?」
ブライトの質問に、アルフレッドは表情を崩さないようにしながらも冷や汗が頬を伝う感触がする。
魔王を蘇らせようとしている、というのは伝えても良い状況になるわけがない。しかし、嘘は苦手だ。
だが、彼の脳内に浮かんでは消える答えに歯止めをかけたのは、他ならないブライトだった。
「リーシャが父である魔王を蘇らせようとしているのは知っていますよ。アルフレッド様自身がそれに協力しようとした理由を教えてください」
「不死について知りたいんです。魔王を倒した日から、不死者という存在が生まれましたから、何か関係があるかな、と」
そして不死者をこの世から消し去る、と言いかけたところでブライトが満面の笑顔で拍手をしていた。
拍手の意図を問いただせずに固まっていると、ブライトは片手を差し出し、握手を求めてくる。
「素晴らしい。どうやら我々の目指す方向は似ているようですね」
「ブライトさん、いえ夜空の目標も僕と同じなのですか?」
「ええ。アルフレッド様が話の分かる方でよかった。不肖ブライト、恐悦至極でございます」
あまりの喜びように若干引きつつも、アルフレッドにとっても嬉しい話だった。
夜空は白風教のように利用しようともせず、不死を滅そうとしている。その事実に、少しだけ心が救われる。
だが、同時に彼にとある疑問が生まれてくる。
「ところで、リーシャは夜空の一員なのですか? 先程の様子だと、随分と仲が良かったように見えたのですが」
「厳密には違います。偶然出会ったガーネットと仲良くしているうちに、夜空と親密になっていったのです」
「誘わなかったのですか?」
「ええ。我々夜空の一員として生きるよりも、彼女は自由に生きているほうがらしいですから」
「なるほど、合点がいきました」
それは良かった、と言い切ると彼は手元にあるコーヒーに口をつけ、ゆっくりと嚥下する。
アルフレッドもそれに倣ってコーヒーカップに触れると、ほぼ同時に扉が開かれ、大柄な男性が入ってくる。
「ブライト、医薬品の数があってるか確認に来てくれ」
「わかった、今行こう。それではアルフレッド様、また今度ゆっくりお話ししましょう」
あわただしく消えていった彼らが扉を閉めると、部屋は途端に静かになる。
アルフレッドは揺らめくランプの炎を見つめながら、ずずとコーヒーを飲みほした。
一向に眠くならない脳を冷ますために、アルフレッドは一人街を歩いていた。
そして、街にある階段付近に先ほど見た人物が座り込んでいるのを発見する。
「ガーネットさん、だったかな?」
「ん……ああ、リーシャの友達のアルフレッドさん、だよね?」
「うん。どうしたの、こんな時間に」
「えっと、実はね……その……」
理由を尋ねると、彼女は寂し気に俯いて黙り込む。
もしやまずいことを聞いてしまったのでは、とアルフレッドが必死に鉄塊の言葉を考えこんでいると、彼女は突然歯を見せて笑った。
「見張り中だよ! 今は私の番ってだけ」
「あはは、なるほど。少し焦ったよ、不味いこと聞いたのかと思って」
「んーん、別にいいよ。今ここにいる夜空で戦えるのって、あの眼鏡と私だけだもん」
あの眼鏡、というのはブライトのことだろうか。
それはさておき戦えるのはガーネットとブライトだけ、というのはどういうことなのだろうか。先ほど白風教を追い払ったときにはアルフレッドの目には百を超える人たちが目に映っていた。
「さっき眼鏡の近くに立っていた人たちはほとんどが戦ったことのない普通の人たちだよ。身寄りのない人や孤児。理由があって国を追われた人とか、いろんな人。でも、交渉するために顔を隠して立ってもらったんだ」
「……そうなんだ」
「そんな顔しないでよ、アルフレッドさん。さっきの戦闘だって問題なく勝てたんだから。主に私の活躍によって、ね!」
腕を組んで胸を張る少女に苦笑を返すしかないアルフレッド。
だが、ガーネットは彼の様子に気付く様子もなく屈託のない笑顔を浮かべていた。
そんな毒気のない彼女だったからこそ、聞きたくなったことがあった。
「ガーネットさんは、白風教は嫌い?」
「嫌いっていうより、ひどい存在だと思う。私たち夜空はね、世間的に良い声をあまり聞かないの。そんな私たち夜空の力を借りないと生きていけない人がいる世界に変えてしまったから」
「えっと、どういうこと?」
「私たち夜空はね、宗教じゃないの。でも、白風教は宗教で、もともと信奉していた宗教の関係で入れない人もいる。でも、白風教の人たちからしたら異端にしか見えないし、それが原因で排除されることもある」
「ああ、そっか」
「他にも、白風教の人によっては信者の人たちからお金を巻き上げたり、お金を払えない人を破門にしたりする人もいる。夜空にそういう理由で入った人も少なくないよ」
「ガーネットさんも、そういった理由で?」
「ううん。私は気が付いたらあの眼鏡の下で剣を振り回してたから、なんでここにいるのかは知らないんだ。だから私にとって夜空は私の家みたいなものなの」
目を輝かせて語る彼女の瞳に映るのは、星々が照らす夜空。
その時の彼女の表情は年頃の少女そのもので、対照的に鈍く光る剣の柄がアルフレッドには鮮明に映っていた。
「さ、もう寝なよアルフレッドさん。リーシャは機嫌悪くなったら面倒くさいんだぞ」
「あはは、忠告ありがとう。それじゃあおやすみ、ガーネットさん」
ひらひらと手を振るガーネットに、手を振り返してもと来た道を歩いていく。
アリシアから伝えられた予言者は敵ではないという言葉を反芻し、正しさという言葉の居場所を考えながら。