第1話 『灰の勇者』
魔王は、勇者に倒された。
物語なら、それで終わりだろう。何故なら、魔王を倒した時点で勇者の旅路は終わりなのだから。
だけど、彼は違った。
冷たい鈍色をした鉄の塊が振り下ろされ、錆びた鎧を身にまとった人型の怪物の顔を潰す。
数匹残った人型の怪物をまとめて薙ぎ払い、一匹一匹丁寧に顔を潰す。
剣の形をした身長ほどの鉄の塊についた血を布で拭い、同じく鉛色の空を睨んだ。
不死となったこの身と、突如現れた人型の不死の怪物を呪いながら。
灰色のカーペットを踏み締め、この国の王の元へと向かう。
方々で鎧を着た者たちがこちらを一瞥し、小馬鹿にしたような表情を彼に向けるが、そんなことは日常茶飯事で、今更驚くに値しない。
階段を上り、周りの扉よりも一際大きな扉の前に立つと、待ちかねてきたとばかりに扉の両隣に立つ衛兵たちが、扉を開ける。
その先には、頬杖をつき、冷めた目をこちらに向ける様子を隠そうともしない、痩せこけた国王の姿があった。
「終わったのか?」
「……はい」
「そうか。ご苦労だったな、灰の勇者アルフレッドよ」
灰の勇者。
それが、アルフレッドに名付けられたあだ名だった。
かつて、彼は魔族という異形のものと戦い、魔族の王たる魔王を打ち破った勇者だった。
しかし、打ち破った途端に彼の身体は傷付くことはなくなり、また老いることも死ぬことも出来ない体へと変貌を遂げてしまう。
そのことを、人は……勇者自身も、呪いと呼んだ。
そして、魔族がいなくなると今度は見たことも無い人型の怪物が現れ、人々を攻撃しはじめた。
そして、その人型の怪物は灰の勇者と同じく不死であった。
だが、彼らにはアルフレッドとの大きな違いがあった。それは──、
「いいんです。彼らは、僕じゃないと殺せませんから」
勇者だけが殺すことができるということだ。
彼の言葉に低く「そうか」とだけ答えると、国王は片手を挙げる。
それは、下がっても良いという合図ということは、すでに何十年もこの国で生き続けてきた勇者にとっては当たり前のことだった。
国王に背中を向け、扉をくぐり階段に足をかけると、衛兵の一人が堪えきれなくなったかのように噴き出す。
「ぷっ、あいつ皮肉に気付いてないのか?」
「おい、本人がいる前でよせよ」
分かっている、という言葉を必死で抑える。
いさめる方も、こちらをチラチラと見ながら笑いを堪えている表情を見せていた。
髪色も、瞳も、まるで冬場の早朝の暖炉のような灰色に染まった彼だが、おそらくそれらをさし示しているものではない。
燃え尽きた後に残ったカスのような存在。それこそが、灰の意味なのだろう。
彼らの言葉に背中で肯定し階段を降り始めると、不意に背中に硬い衝撃が走り、じゃらんと綺麗な音が鳴る。
そこには、くたびれた灰色の布袋と隙間からこちらを睨む灰色の金貨が、力無く地面に落ちていた。
「ほら、報酬。自分で拾いな」
先程、堪えていた方が地面を指差す。
アルフレッドはそんな態度にも反応を示さず、袋を拾い上げると会釈し、そのまま去っていった。
魔王を倒した勇者に待ち受けていた現実は、疎隔だった。
アルフレッドの呪いが関係して今の怪物が生まれたというものもいた。
それに、不死の化け物に良く似た人間が近くにいるのだ。恐怖を感じても仕方がない。
そう言い聞かせて、彼は灰の汚名を被り続けていた。
石畳で舗装された道を、力無く歩き続ける。
視界の端には、商品を宣伝する商人。談笑する男性や女性に、追いかけっこなのか楽しそうに走り続ける少年たち。
アルフレッドには、彼らが灰色に見えていた。
違う、世界全てが灰色にしか見えなかったのだ。
それがいつからだったかはわからない。
魔王を倒したあの日から、だっただろうか。
だとしたら、もう数十年は色を見ていない。
灰色と、血の色を除いて。
人混みを避けつつ、たどり着いた場所は陽の光も届かないような路地裏。
その角にあるボロの一軒家の扉を開けると、小さな塊が腹に飛び込んでくる。
「おかえり、なっさーい!」
竹を割ったような元気な声。
下を見ると、そこには自分の肩ほどしか身長のない少女が、こちらを見上げている。
「ねえねえ勇者様っ! 今日はお外で遊ぼうよ! それでそれで、勇者様のお話が聞きたいな!」
「いいけど、飽きないの? エレノア」
「飽きないよ! だって、本物の勇者様から本物の冒険のお話が聞けるんだもんっ!」
食事を見つけた小動物のような勢いに圧倒され、苦笑する。
今となってはアルフレッドを勇者と慕ってくれるのはこの少女と──、
「こらこら、勇者様はお疲れなんだから、明日にしなさい」
「いいんですよ、ヴォルフさん。それより、目の調子はどうですか?」
「もう良くなりませんよ。それに、この老体では治ったところで働き口もありませんから」
「ご謙遜をなさらないでください。ヴォルフさんなら大丈夫ですよ」
目を閉じたままの老人はアルフレッドの言葉に力無く微笑む。
彼とは、魔王退治前からの知り合いであり、母親からも拒絶されるような不死の存在となった勇者に住まいを提供してくれた、アルフレッドにとっては恩人そのものだった。
若い頃の彼は腕利の煙管職人で、世界有数と言われるほどだったが、煙草の普及により煙管とともに彼の名は影へと消えていった。
その後を継ぐために修行を続けていた彼の息子……つまり、エレノアの父も、未来に絶望し自ら命を断ち、母親も後を追ってしまう。
残されたのは心労により視力がほとんどなくなってしまったヴォルフに、まだ幼いエレノアだけだった。
「本当にすみませぬな。私たちが恩返しするはずが、また勇者様に守られてしまうとは」
「もう十分守っていただいてますよ。あなたがいなければ、どうなっていたか……」
「ねえ、勇者様! 早く外行って遊ぼう?」
「ああ、ごめんね。それではヴォルフさん、夕飯の時にまたお声がけしますね」
「ええ。エレノアも、気を付けてな」
「うん!」
犬のような元気な返事を返すエレノアに、ヴォルフの目線が緩む。
仲の良い家族であることを微笑ましく感じると同時に、アルフレッドは引け目も感じてしまっていた。
二人の時間を自分なんかが邪魔して良いのだろうか。
それに、勇者を住まわしていることに周囲の人から何か言われたりしていないだろうか。ましてや、エレノアはいじめられたりしてないだろうか。
「ね、勇者さま! 今日ね、美味しそうなお店見つけたんだ! 一緒に行こうよ!」
「ああ、勿論。……と、ちょっと待ってて」
えー、と声をあげるエレノアに対し、彼は苦笑しつつ背中にある剣に手をかけ、そのまま壁に立てかける。
そして、剣身に血が付着してないことを確認し、早く早くと攻め立てる子犬へと向き直った。
「剣を持ってたら邪魔だからね」
「いつも思うんだけど、なんでそんなに大きな剣を持ってるの? 重くないの?」
「重いよ。なんであの剣なのかは……うん、まあ、カッコいいからって事にしとこうかな」
勿論、嘘だ。
板のような剣であれば、化け物の顔を潰すことができる。
彼らの口から聞こえてくる言葉も同様に。
無論、言葉があって話すことができるわけではない。
彼らと戦っている時に聞こえてくる幻聴が原因だ。
「勇者様をお助けしろ」
「我々が踏み応えれば、勇者様が必ず魔王を討ってくれる」
そんな内容の幻聴が、彼らと戦っている時に脳内で反芻する。
見られたくなかった。
言われたくなかった。
灰の勇者は、今はただの灰なのだと。
今は亡き戦士たちである彼らに悟られたくなくて、関係ない怪物たちの顔を潰し続けていた。
「……しゃさま? 勇者様ー?」
「あ、ごめん。ボーッとしてた。はは、疲れたのかな」
「お疲れなの? じゃあ今日は……」
「いやいや、大丈夫だよ。それじゃあ、今日も色んなところを見て回ろうか」
「うん!」
数歩走っては振り返る少女に先導されながら、街を見て感慨深いようなため息をこぼす。
街道は電気にて照らされ、煉瓦造りの家々の隣には灰色の花が咲き誇る。
今の人達はいいな、と少しばかり老人のような嫉妬を抱いていると、
「ここ! ここのね、このパンケーキが食べたい!」
「へえ、こんなお店があったんだね」
モダン、というのだろうか。
ガラスによって装飾された扉に、その隙間から見えるシャンデリアのような電灯。
少し狭いながらも薄暗いその店は、周囲と比べても一段と落ち着いた印象を受けた。
扉に手をかけると、氷と氷がぶつかるような清涼な音がした。
女性の店員が首をもたげこちらを見やると、固まったかのような表情を見せる。
「いらっしゃいま……あ……」
「言いたい事はわかるよ。お金は払うし、この子が食べたらすぐに出ていく」
「いえ、その……わかりました」
渋々といった様子で目線を下げ、中断していた食器洗いを再開する。
彼女の様子にひとまず胸を撫で下ろしていると、メニューを開いて指をトントンしているエレノアが目に入った。
「このね、このふわふわクリームのいちご乗せパンケーキって言うの食べたい!」
「美味しそうだね。店員さん、ふわふわ……いちご? いや違う、クリームのパンケーキ……だったかな?」
「いちごのパンケーキですね。かしこまりました」
「えっと……うん」
どうしてメニューの商品名は長いのだろう、とアルフレッドを嘆息する。
そんな彼の内心を尻目に、目の前のエレノアは嬉しそうに鼻歌を歌っていた。
「楽しそうだね」
「うん、楽しいよ! だって、勇者様と一緒にいられるんだから!」
「あ、えと……ごめん、エレノア。あまり外では勇者様って呼ばないでくれるかな?」
「え? なんで?」
「うーんとね、なんで言えばいいかな」
勇者は嫌われているから、と本当の理由を言えばきっと優しすぎる彼女は「そんなことないよ!」と吠えてくれるに違いない。
だから、彼女に納得できる理由を脳内で探していると、
「お待たせしました」
ナイスタイミング、とアルフレッドは心の底でサムズアップをする。
コト、と音のなる先には綺麗に飾り付けられたパンケーキ。それが二つ。
「あの、僕は頼んでないですよ?」
「いえ、あちらのお客様から」
店員の女性は顔色ひとつ変えずに、手のひらで奥の席を指し示す。
そこには、エレノア程の身長の赤い目をした少女がこちらを値踏みするかのような視線を向けていた。
そう、世界が灰色と血の色しか見えない彼にとって赤目であると判別できることは、異常だった。
「……どちら様ですか?」
「いやいや、あの勇者様が随分と寂しそうに見えたからね。景気付けというやつだよ」
「質問にこた……」
「いただきまーす!」
一瞬流れた剣呑な雰囲気が、少女の明るいひと声に吹き飛ばされる。
目を向けると、小動物のように忙しく頬張るエレノアの姿があった。
それより、今のアルフレッドにとっては赤目の少女の方が気がかりだ。
「……」
「睨まないでくれよ。私は君とことを構える気はない。忠告しに来ただけだ」
「忠告?」
「君の見えている世界が、本当に真実なのかな?」
含むように笑いながら言うと、彼女は席を立って出口へと向かっていく。
その時、微かだがアルフレッドは感じとった。忘れもしない、宿敵の匂い。
滅びたはずの魔族の匂いが、彼女から漂ってきた。