5. 空の色
これから家庭教師の先生とのお勉強だと、ハリーがオスカーを迎えに来た。
オスカーはノアが気になるようで私達と一緒に行きたがっていたが、ハリーに引きずられるように部屋へ戻っていった。
ノアと二人きりになると沈黙が重く感じる。
そうだ、お父様からお城の案内を頼まれてたわね……
「ノア様、よろしければお城の中にある図書室をご案内させていただきます。いかがでしょうか」
「……ああ……お願いします」
素っ気ない返答だった。
きっと人見知りしているんだわ、とノアの無愛想な態度に理由をつけてみる。
初めて訪れた場所で知らない人達と一緒に生活していくのは不安があるわよね。
怖がらせないように、優しい表情を意識してにっこりと笑いかけて案内を始める。
魔の森が近いこともあり、ソーラス辺境伯家の図書室には魔術書や薬草学についての蔵書量が多い。
ノアは本が好きなのか、本棚を見上げ、熱心に蔵書の背表紙を眺めている。
(端正な顔だとは思っていたけれど、横顔がきれい……)
長い前髪の向こうに透けて見える、大きいけれど少し釣り上がっている目元、琥珀色の瞳、鼻筋が通った高い鼻。
王立学院に入る時期が一緒ということは、同い年なのだろう。ノアは、女の子にしては身長が高めのアデリンよりもさらに頭一つ分背が高く、ほっそりとした体型だった。
思わず見入ってしまったせいか、視線を感じたのだろう。
ノアが棚からこちらに視線をうつした。
一瞬ノアの澄んだ琥珀色の瞳と目があった気がして、胸が高なる。
「……なに?」
「あっ!! あの、もし読みたい本があったら、お部屋に持っていっていいですよ。どんな本が好きなのですか?」
「……」
「私は、冒険譚や異国のお話の本が好きなんです。よかったらお読みになりますか?」
不躾な視線を咎められた気がして、慌てて話を続ける。
「……異国の本?」
カスラーン王国が勢力を拡大した時に消えた、今は亡き国に伝わるお話が好きだ。
「ええ、カスラーン王国が統治する前にあった国のお話の本があるんです。特に、旧イングルス帝国のお話が好きです」
「……イングルス帝国……なぜ?」
「水竜が出てくるお話が多いから……」
ノアが息を呑んだようだった。
「……水竜が好きなの?」
前髪に隠れた琥珀色の目が光った気がする。
「ええ、大好きなんです! 水竜は世界で一番格好良くて素敵な生き物だと思いませんか?水竜は空も飛べるし、水の中を泳ぐこともできてすごいのです!黒く輝く鱗も、夕陽のような琥珀色の瞳をもつ姿も美しくて素敵です。一番大好きなお話は『水竜と翠色の少女』という物語なんです」
大好きな水竜の話をしているとついつい顔が緩んでしまう。
棚から私の一番お気に入りの本を出し、挿絵があるページを開いてノアに見せる。
「この本の美しい水竜の絵がお気に入りなのです。この挿絵の絵よりももっと本物の水竜は美しいと思っているのですが。一度でいいから、私も水竜に会ってみたいなぁっていつも考えているんです。王国中の湖に水竜を探しに行きたいって。なかでも、旧イングルス帝国のシャノン湖に一番行ってみたいです。もしかしたら、外国にいるかもしれないから、いろんな国の湖へも探しにいけたらなって……」
「……水竜を探しているの?……」
ノアの戸惑った声が聞こえた。
つい興奮して水竜の話ばかりをしてしまったことにアデリンは気がついた。
「うっっ・・私の話ばかりでしたね。ごめんなさい」
恥ずかしくなって、俯いてしまう。
アデリンが持っている本のページを、ノアがかがみ込んで覗き込む。ノアの無造作に伸びた肩まである漆黒の髪がアデリンの視界に飛び込んでくる。その艶やかな黒髪は、水竜の黒く輝いている鱗の色のように見えた。
(綺麗な黒色)
「ノア様がお持ちの色は、水竜と同じですね」
思わず呟いてしまった。
驚かせてしまったのだろうか、ノアははっと飛び上がるように体を起こし、一歩後ろに下がった。
アデリンは気にする様子なく、さらにノアをじっと見つめる。
「ほら! やっぱり!! ノア様の琥珀色の瞳も漆黒の髪色も水竜の色です!素敵です。羨ましいです!!
なんて綺麗な瞳なんでしょう……」
前髪からわずかに覗く琥珀色に、吸い込まれるような感覚を覚えて目が離せなかった。
放心していたノアが我にかえり、顔を背けてから、ようやくアデリンも淑女らしからぬ態度を取っていたことに気がついて恥ずかしくなる。
「失礼なことを言ってごめんなさい!」
頬と耳に熱さをじんじんと感じる・・両手で頬を抑え、こっそりとノアを下から見上げると、横を向いたノアの耳も赤くなっているのがわかった。
「変なやつ……」
ノアの呟きが聞こえる。
そうだよね……女の子が冒険譚や水竜が好きなんて変わっているよね。
言いようのない気持ちがじわじわとアデリンの心を覆っていく。
さっきまであんなに熱を持っていた頬も、今は冷たく感じる。
「……」
「いや!違う!!あんたが変なこというから……いや、あんたが変じゃなくて、びっくりしたっていうか……。……ごめん、俺の色を綺麗って言われたのが初めてで驚いたんだ……」
顔色を変えたアデリンに気づいたノアは、口籠もりながら必死に謝る。
慌てふためいている姿が可愛らしくも感じて、頬が今度は緩んできてしまった。
「うふふ、謝らせてごめんなさい。でも本当にノア様の瞳は綺麗です。ほら、ちょうど今時分の空の色ですよ」
棚の奥に進み、図書室の窓辺のウィンドウベンチへノアを案内する。
図書室はグレン湖に面していて、窓からグレン湖と奥にあるアンスバイン山脈の美しい景色が眺められるアデリンのお気に入りの場所でもある。
夕陽がグレン湖にいくつもの光筋を作り、荘厳な景色が目の前に広がっていた。ちょうど夕陽が沈む前の美しい琥珀色の夕焼けを眺めることができた。
──やっぱりノア様の瞳と同じ色だなぁ。
二人で言葉なく暫く夕陽を眺めていた時間は、なんだかとても心地よいものだった。