3. ミリー
辺境伯領地が魔の森と接しているため、ソーラス辺境伯の主な任務は魔獣討伐である。
魔獣が城下町に現れる可能性があるので、辺境伯家ではどんな職務であっても魔力が使える人を雇っている。そして、使用人達の武術鍛錬も定期的に行っている。
魔獣退治のためではなく、退路を確保し生き延びるために必要な力を身につけるためだ。
ミリーは人よりも魔力量が多く、戦闘能力も高い。その腕を買われてアデリンの侍女兼護衛となっている。
ミリーはソーラス家騎士団の騎士の娘だった。
魔獣討伐中に父が傷を負い、それが元で死んでしまった。母が魔力持ちだったため、城内の仕事を得て、ミリーは他の子供達と一緒に“学びの園”で学び始めた。
ソーラス辺境伯家では、従事中に亡くなったり怪我をして働けなくなった騎士団員の妻や子供達へ厚い保護をしている。妻には、給金や環境の良い仕事の斡旋はもちろん、子供達には城の敷地内に作った学びの園で読み書きや剣術などを教えている。
魔獣退治は厳しく辛い業務であるからこそ、騎士や家族の憂慮を取り除きたいとするソーラス辺境伯の考えがあった。
それが、騎士団員達や城内の使用人からの絶大な信頼と忠誠心となり、領民たちからも慕われる良き領主として名高い。
アデリンには家庭教師がついていたが、よく騎士団の子供達の学びの園にも顔を出していた。読み書きを教えてあげたり、本を読んだり。時には一緒に遊んだり。
ミリーが初めてアデリンに会ったのは、ミリーが13歳、アデリンが9歳の時だった。その頃のミリーは亡き父を想い涙し、城内で働いている母と離れていることが寂しくて辛い時期だった。当たり前に過ごしていた家族3人の穏やかな日々が突然崩れたことが信じられなくて、頭の中がぐちゃぐちゃで叫びたい衝動にいつも耐えていた。
母がミリーのために働いている。
泣き言は言ってはいけない。
泣いてはいけない。
ひとりにしないでって母にすがってはいけない。
(しっかりしなきゃいけない、心配をかけちゃいけない……)
母に言われて学びの園に渋々参加したが、なかなか勉強に身が入らなかった。
アデリンは領民の娘と同じような質素なドレス姿でも、飛び抜けた容姿、美しい所作からすぐに貴族の子供とわかった。
「アデリン・ソーラスと申します。ミリーさん、ミリーさんのお父様のことを聞きました。勇敢で素晴らしい剣術の達人だったと聞いています。とても残念です。ミリーさんもミリーさんのお母様もお辛いと思います。私でよければいつでもお話を伺いますので、お困りごとがあったらなんでもおっしゃってください。」
(綺麗なドレスを着て、日々余裕のある生活をして、両親が揃っていて、絵に描いたような幸せを持っている“領主のお嬢様”に何ができるんだ!)
心の中で悪態をつきながら、9歳とは思えないしっかりとした口調でお悔やみを伝えてきたアデリンを一瞥してから下を向き、何も言い返せなかった。
お嬢様は仕方なく、哀れみで私に声をかけているんだ……と卑屈な薄暗い思いをミリーは抱いていた。
護衛騎士のコナーが不敬なミリーの態度に眉をひそめ、何か言おうと一歩踏み出したのが見える。
アデリンは目でコナーを制し、ペコリとミリーにお辞儀をして戻っていった。
その後ミリーと目が合う度に、柔らかな微笑みを浮かべるアデリンを見ると惨めな思いが溢れてしまう。
(偽善の慰めや優しさなんていらない!)
あの頃のアデリンへの態度を思い出すと、ミリーは偏狭だった自分を張り倒したくなる。
新しい生活を立て直すのに必死な母。
そんな母に何も気持ちをぶつけられない自分。
ただただ、アデリンに八つ当たりをしていただけだった。
アデリンだけがミリーの辛い気持ちを認めてくれていたのに。
アデリンだけがミリーに微笑んでくれていたのに。
学びの園には剣術、魔術を習うための訓練場がある。
──お嬢様だ。
たまたま訓練場のそばを通りかかったミリーが、弓を構え、的に向かっているアデリンを見かけた。
見惚れるほどの美しい所作だった。
のびた背筋、的を見据える視線、弓を引き手を離すまでの一連の動作。
アデリンの周りだけ、空気がピンと張り詰めていた。持ち矢が終わると的まで矢を拾いにいき、また一人で射る練習を始めた。
「なんであんなに鍛錬をしているの……」
食い入るように見つめていたミリーの呟きに、近くで控えていたコナーが声をかけた。
「お嬢様はノブレスオブリージュを既に自覚しておいでなんだ。ご自分のことは、誰かを守るための存在としか考えていないんだろうな。むしろ護られる存在であるはずなのに……」
その日から、ミリーはアデリンをこっそり観察し始めた。
アデリンは午前中は城内で家庭教師との勉強、午後は馬術や訓練場で魔術、武術の特訓を騎士団員達と行う日々だった。
しかし、たまに2、3日姿が見えない日があることに気がついた。
「体調を崩されていらっしゃると聞いているぞ。しっかり大事を取れば体調も回復されるだろうとコナーから聞いているが……。でも、お前がお嬢様のことを気にするなんてどうしたんだ?」
「いつも学びの園にいらっしゃるから、今日はどうされたのかな?と思っただけよ!」
学びの園に持ち回りで教えにきてくれる騎士達に聞くと、アデリンへいつも不遜な態度から疑問を持ちつつ教えてくれた。
(やっぱりお嬢様だから、体が弱いのかな)
ある日、城内で働いている母が迎えにくるまでの時間潰しに、グレン湖へ母の好きな花を摘むために向かった。
グレン湖は柔らかい青みがかった緑色の水をたたえ、夕陽が湖面に幾つもの光の筋を作っていて幻想的であった。あまりの美しさに思わず立ち止まって湖を眺めていると、水際の浅瀬で銀光が光ったように見え目を凝らした。
(銀色に光っている? なんだろ……? 人が倒れてる!?)
「ひゃっっっ!! ……お嬢様!?」
アデリンが、水際で湖に背を向けた状態で横向きに倒れていた。
目を閉じ、血の気がなく青ざめた顔色がまず目に入り、思わず息をのむ。
アデリンの半身が湖に浸かっていた。
「お嬢様!大丈夫ですか?」
思わず肩を掴むと、体のあまりの冷たさに心が騒ぐ。
ゆっくりとアデリンの目が開き、弱々しい光の翠色の瞳がミリーを捉えた。
「よかった…… 生きてたぁ……」
安心のあまり、思わず心の呟きが声に出てしまう。
「ミリーさん、申し訳ないですが、騎士団のコナーを呼んできてもらえますか。ちょっと一人では動けなくて……」
「はいっっっ!! 待っていてくださいっっ!!」
アデリンの弱々しい声に不安に駆られながらも、ミリーは弾けるように駆け出した。
「コナーさん!! コナーさんはいますか!?」
騎士団の詰所へ転がり込んだミリーは大声で叫んだ。
「ミリー、お嬢様を見つけてくれてありがとう。詳しい話をまた明日聞かせてもらうことになると思う」
冷えきったアデリンを抱え城へ走っていくコナーを見送っていたミリーに付き添った騎士が言う。
コナーに抱えられているアデリンがうっすらと目を開け、柔らかくミリーに微笑んだ……ような気がした。
(お嬢様の瞳は、グレン湖の色だ……)
今まで何度も話しかけられ、微笑みかけられていたのに。
(ちゃんと目を合わせて、お嬢様に向き合っていなかったんだ、私)
翌日、コナーにアデリンを発見した状況を伝えた時に、倒れた理由が魔力切れだったことを聞いた。
「魔力切れ……?」
「ああ、聞いたことはあるかな。自分が持っている魔力以上の力を使うと、欠乏して倒れてしまうんだ。今回は一人で湖に来た際に魔力切れを起こしてしまったらしい」
「お嬢様は大丈夫なんですか?」
「ああ……お嬢様には……よくあるんだ。2、3日安静にしていれば魔力は元に戻るだろう。今回は抜け出したお咎めもあるだろうし、城内でしばらく大人しくしてもらわないとな」
「よく……ある……?!」
コナーは苦笑いをして、「お転婆姫だからな。見つけてくれてありがとな」と再度礼を言い、戻っていった。
その3日後、コナーと一緒にアデリンが学びの園へミリーに会いにきた。
「ミリーさん、先日はコナーを呼びに行ってくれてありがとうございました」
ペコリと頭を下げてくるアデリンに、ミリーは慌てて返答する。
「っ頭をあげてください!! ……お身体はだいじょうぶですか?」
「はい、すっかり元気になりました。ミリーさんが見つけてくださったおかげです!」
初めてアデリンに言葉をかけたミリーはドギマギしてしまう。
今日は血色もよく、ふっくらした頬はふんわりと桃色になってニコニコと微笑んでいる。
「…………よかったです」
ようやく一言を絞り出したミリーは、アデリンの花の蕾が綻んだような柔らかい表情に、なんて綺麗なお顔なんだろう……と思わず見惚れてしまったのだった。
すっかりアデリンへの反発心が薄れてしまい、それからは少しずつ言葉を交わすようになった。
そして、今まで身が入らなかった勉強や武術鍛錬に真面目に取り組むようになった。
いつの間にか、それぞれの訓練が終わった後に、訓練場近くの木陰でミリーとアデリンが腰を降ろしておしゃべりをすることが自然の流れとなった。
その日はなんの気なしにアデリンの魔力切れで倒れてしまった日のことを口にしてしまった。
「お嬢様、湖で魔力切れを起こして倒れた時、どんな魔術の練習をしていたのですか?」
聞いてはいけない話題だったのか、こちらを見た翠色の瞳が瞬いた。
「聞いてしまってすみません!!」
ミリーが思わず謝ると、アデリンは気まずそうに微笑みながら言った。
「湖を浄化していたの」
「浄化?? ……え? お嬢様は浄化ができるのですか?」
浄化は誰にでもできるものではなく、光属性の魔力を持っていないとできない。
属性には「風水火地光闇」があり、ミリーは火属性だ。
どの属性持ちでも風水火地の魔術を発動できるが、光と闇は属性がないと操れないと聞いている。
「お嬢様は風属性では?」
アデリンの訓練場での様子から、風属性の魔術が他と比べて威力が強いとミリーはみていた。
「……風と光の属性を持っているの…… お父様もお母様も光の属性を合わせ持っているわ。魔の森がある辺境伯領地を守るには浄化ができないといけないから……。私にも遺伝したみたい」
「まだ9歳のお嬢様が浄化しているんですか?」
ポツポツとアデリンが話し始めた。
「浄化自体は幼い頃からやっていたのよ。私、この領地が好きなの。お父様とお母様と一緒に守りたいのよ。私の魔力量は多い方なのだけれど、でも守るにはまだまだ足りないから、魔力が増えるようにギリギリまで使うようにしているの」
「魔力を増やす?」
「持っている魔力を限界近くまで使うことで、少しずつ魔力が増えていくの。だからいつも倒れるギリギリまで使うようにしているのだけど。この前は倒れてしまったからお父様やコナーからもひどく怒られてしまったわ」
弱々しく笑うアデリンは貴族令嬢だ。お城の奥深くで外の世界を見ないように暮らすことだってできるのに……
「何故そこまで……」
魔力切れは命に関わることもあるのに……
「1つは……ミリーのように魔獣との戦いで辛い思いをする子をこれ以上増やしたくないの」
「私のように……」
「魔の森がある以上魔獣討伐は避けられないかもしれない。でも、浄化をすることで結界になり、共存を選ぶ戦い方もできると思っているの」
「共存?」
「人間も魔獣もお互いの場所で生きていくことはダメなのかしら」
「…………」
「ミリーのお父様のように、他の騎士の方々が命をかけて守っているこの地を、私も使える力で同じように守っていきたいの」
「…………」
「……お父様のことを思い出させてごめんなさい。ミリーさんを辛い気持ちにさせてごめんなさいね」
悲しそうな顔をされて、心が痛む。
ああ、お嬢様はまだほんの子供なのに人の機微になんて敏感なんだろう
目を閉じてミリーは魔獣討伐に出かけた時の父の姿を思い出す。
ミリーの頭をぐしゃぐしゃに撫でながら、いつも通り軽い口調で『母さんを頼んだよ、いってくるよ』と微笑んでいた父。髪の毛をぐしゃぐしゃにされて、ちょっとふくれっつらをしたミリーを父は笑っていた。討伐に出かける父が誇らしくもあり『ちょっと父さん!!ボサボサにしないでよ!!たくさん魔物倒してきてね、がんばってきてね!』と送り出した自分。大きな口を開けて朗らかに笑いながら『任せておけ!』と抱きしめてくれた。
命の危険に晒される討伐なんてちっとも想像していなかった。
ずっと頭の中がぐちゃぐちゃになっていて、アデリンに八つ当たりをしてしまっていたのは、父に『気をつけて』ではなく『がんばって』といってしまった自分に腹が立っていたからだ。
いなくなると解っていたら何がなんでもいかせなかったのに。
「命かけちゃダメですよ」
9歳の女の子の小さな肩に乗っているのは、“光属性をもつ領主の娘”という途方もなく大きな責任感と使命感。
「私、決めました!」
首を傾げたアデリンの翠色の瞳に目を合わせて言葉を続ける。
「私はあの日、父に『気をつけて』『逃げていいから帰ってきて』と言って送り出せなかった。そんな自分に腹を立ててお嬢様に八つ当たりをしてたんです。今までひどい態度を取ってしまい申し訳ありませんでした」
頭を下げ、再び翠色の瞳を見つめる。
「私も父の遺志を継ぎます父はいつも私の未来のためにこの地を守ると言って討伐に出かけていきました。
私も自分の未来のためにこの地を守ります。そして、そのためにあなたを護ります」
「……謝罪は受け入れます。……が、ミリーさんが私を守る?!」
「だって、勝手に抜け出したり、倒れるまで無理をするじゃないですか。無理を止めて欲しいっていっても聞き入れてもらえなさそうなので、私がこの地を守ろうとするお嬢様を側でお護りしますね。だから、私をお嬢様の侍女にしてください!」
「侍女……?!」
翠色の瞳が瞬く。
「護衛でコナーさんはいますが、女性の護衛もそろそろ必要でしょう?武術に関しては騎士団長さんにも認めてもらっているし、魔力量も結構あります。侍女の仕事に関してはこれからですけど…… 護衛と侍女、二役できるのでなかなかお買い得ですよ」
「……うふふ、本当にミリーさんが私の侍女になってくれるの? 嬉しい……心強いわ……ありがとう……」
「ミリーとお呼びください。お嬢様。これから誠心誠意尽くさせていただきます」
「ええ、ミリー、よろしくね」
頬を桃色に染めて、目元を緩ませにっこりと柔らかく微笑むアデリンが余りにも美しくて、目をはなすことができなかった