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お酒を飲めない事は人生の『損』なのか

作者: 琉慧

「酒が飲めないなんて、お前は人生を損しているな」


 それは私が今務めている会社に入社してから数年後、会社主催の食事会の途中で上司に言われた言葉です。 その言葉は十数年経った今もなお私の心に残り続けています。


 結論を言うと私はお酒が飲めません。 苦手だとかの問題ではなく、お酒を摂取するとアルコールアレルギーが出て、全身に蕁麻疹じんましんが出てしまうのです。 この体質は二十歳はたちを過ぎてから興味本位でお酒を飲んだ時に判明しました。


 種類にもよりますが、アレルギーは一歩間違えれば命をも落としかねない危険な免疫反応なので、それ以来私は一切お酒を飲まないようにしていました。


 ただ、お酒が飲めないからといって絶望に打ちひしがれてはおらず、そもそも成人前からお酒独特のにおいが苦手で、あの臭いを嗅ぐだけで気分が悪くなったりもしたので、私はきっと生まれつきアルコールが合わない体質だったのだと思います。


 もちろんお酒というものを嫌悪している訳ではありません。 グラスを鼻元に近づけなければ臭いは気になりませんし、気の置けない友人たちと宅飲みなどをしている時に友人たちがお酒を飲んで普段より気分が良くなっている姿を見たら何だか私の方もその気分を味わっているような気がして楽しいです。 いわゆる雰囲気に酔う、と言うものですね。


 お酒を飲んで楽しめる人、お酒を飲まなくでも楽しめる人。

 それぞれの楽しみ方が出来ているのなら、それに越した事はありませんよね。


 以上の点を踏まえ、果たして私は人生を『損』しているのでしょうか。


 酒は百薬の長という言葉があるよう、お酒は古来より人類に愛されてきた嗜好しこう品です。 私はアルコールによって酔うという気分を味わった事が無く、けれども友人たちや同僚がお酒を飲んで気分が高揚し、普段は見る事の無い陽気な様子を覗かせているところを見るに、きっとそれはある程度の辛苦しんくならば軽く吹き飛ばしてしまうほどの力を持ち合わせているのでしょう。


 その効能だけをつまんでみれば、なるほど私はお酒をたしなめる人より辛苦をまぎらわせる嗜好の引き出しが一つ少ない事になりますから、お酒を嗜む人から見た私は『損』をしているととらえられても仕方ないのかもしれません。


 しかしながら、いくらお酒が百薬の長であろうとも、それを嗜む事にデメリットが無い訳ではないのも事実です。



 自身に一生付き纏うアルコール依存症。


 短時間に多量のお酒を摂取する事で引き起こる急性アルコール中毒。


 過度なアルコール摂取を長期間継続する事による様々な健康障害発症の恐れ。


 飲酒により判断能力が低下し、第三者との不要なトラブルを起こす可能性。


 未だに違反する者が後を絶たない酒気帯び及び飲酒運転のリスク。


 

 ざっと挙げただけでも、ことによればデメリットの方が多いのではと思ってしまうほどに、お酒はこれだけの危険性をはらんでいます。


 無論、ほとんどの人が節度を守ってお酒と付き合っているであろう事は私なりに理解しているつもりです。 先のデメリットの数々は、あくまで一目で分かりやすいようお酒の危険性を極論的に抽出しただけであって、お酒という嗜好品の世評を下げる為に羅列したものではありません。 それだけはご理解ください。


 その上で私は自身の体質によってこうした危険性をはからずとも回避出来ている事を『得』だと捉えていますし、逆を言えばお酒を嗜む人はそうした危険性を少なからず纏っていて『損』をしているとも言えるでしょう。


 しかし、お酒をけなすという目的でない事をかかげているとはいえ、私がこうした論判ろんばんを繰り広げてしまうと、お互いの損得の押し付けが始まってしまい、収拾が付かなくなってしまいます。

 何より私までもが本心からお酒を嗜む人を否定してしまったら、私の人生を損だと言い切った上司と同じ穴のむじなになってしまうので、そんな馬鹿げたイタチごっこは私としてもしたくありません。


 だから、こうしましょう。


 お酒を嗜む人はお酒を飲む事により高揚感をて『得』をしている。

 私はお酒に付き纏う様々な危険性を回避している事で『得』をしている。


 これで良いじゃないですか。 


 何事にもメリットデメリット、損得は付き纏うものです。 更に言えば趣味嗜好は人それぞれ。 己の価値観を他人に押し付ける事ほど愚かな事はないでしょう。


 お酒を飲めないのは人生の損だと言われ、当時は向かっ腹が立ちました。 私がアルコールアレルギーだという事を伝えた上でそうした私の人生を否定するかのような事を言われ、私の事もろくに知らない他人が私の人生を知った風な口で語るなと怒りさえ覚えました。


 しかし当時の私は立場も弱く見識も浅く、その場に流されるまま愛想笑いでその怒りを誤魔化していました。

 この意見を上司に真っ向から言えなかった当時の私の意気地いくじの無さと浅薄せんぱくさは今でも後悔の種で、時折私の心の中に鬱屈な花を咲かせます。


 けれどもあれから歳を重ね、その言葉に対する自分なりの答えを出せるようになった事は嬉しく思っています。 歳を取るのは嫌だと言う人は大勢いる筈です。 私も出来ればいつまでも若々しいままでいたいという我儘わがままを心にこしらえている一人です。 それでも歳を取る事で若輩じゃくはいの頃には考えられない怜悧れいりな思考力が不思議と身に付いてくるもので、歳を取る事もまんざら悪い事では無いのかも知れません。


 たとえお酒が飲めなくても、楽しい事はたくさんあります。


 私は文章を書く事が大好きです。

 昔の小説を読むのも好きです。

 漫画もアニメも映画もゲームも好きです。

 運動をする事も好きです。

 歌を歌う事も好きです。


 今の時代、自身の嗜好になり得るものは世にあふれかえっています。 そこに目を向けないで一つの価値観にとらわれ続けて視野を狭くしてしまうのは、それこそ『損』をしているのではないでしょうか。


 もう、その上司とお酒の席でご一緒する事は無いとは思いますが、もしその人がもう一度あの言葉を私に向けてきたら、私はこう言ってやるつもりです。


「いえいえ、私の人生は他にもたくさん楽しい事がありますから」ってね。

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― 新着の感想 ―
[一言] その狭量さは確かに損かもしれませんねぇ。 他人の情報を一つ知っただけで嫌な人と決めていればさぞや生きづらい世の中でしょう。しかも自分は口に出せないとなればストレスもひとおしですね。
[一言] 先天的に歩けない人を見て損をしてるなと思うのと同じですかねぇ。ダメだと言われてもそう感じてしまいますし、それが酒の席で酔っ払いから本音が出ても不思議はない気もします。 まぁ作者様の言う通り…
[一言] 知識を得られないのは損と言えるかも知れません。 誰かの言葉を借りるなら「海外へ一度は行ったほうが良い」と同質のものだと考えます。 何かを知らない場合、それだけで小さな世界に閉じこもってしまう…
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