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友達以上恋人未満=親友?  作者: 長谷川るり
9/20

第9話 午前0時

 土曜日、翔平と晴美が予定通り映画を観る。エンドロールまで見終わって、少し薄暗く明かりが灯り始めた頃、二人は席を立った。それまで真っ暗だった映画館から外に出て、翔平が晴美の顔を見て笑った。

「晴美ちゃん、目真っ赤」

「だって~。最後のクライマックスやばかった」

「まぁね、確かに」

「確かにって、翔平君は全然泣かなかった?」

「ちょっと うるっとはきたよ」

「本当~? 嘘だぁ! 全然泣いた目じゃないも~ん」

「男だもん。そんな女の子みたいには泣かないよ」

「嘘だ、嘘だ。絶対非情な人間なんだ、翔平君」

「え~?! 映画で泣かなかった位で、そんな言われ方しなきゃいけないの? 俺」

ワイワイ言いながら映画館を後にすると、翔平が時間を見た。

「昼、食う時間あるよね?」


 天丼の店に入って席に落ち着くと、水を一口飲んで晴美が言った。

「天丼って言うから、もっとほらチェーン店の早く食べられるお店かと思った」

「いや、いや。せっかくだから、普段行かない様な店行ってみたいなと思ってさ」

その台詞に、ふと晃を思い出す晴美だ。以前、映画の帰りに高級な海鮮丼に誘った晃だった。結局あの日は、100円の回転寿司に入った事を思い出す。そしてその後だ。晃の想いを初めて聞いたのは。

「どうかした?」

翔平の声に、ふと我に返る晴美だ。

「ううん」

一応笑顔で首を横に振ってはみたものの、晃が用意した今日の映画の前売り券の行方が気になる晴美だ。

出てきた天丼は想像以上で、タワーの様に高く盛られている。すかさず写真に収める翔平が、もう一枚目を自撮りモードにして、晴美の方へ顔を並べた。

「ほら、撮ろう」

反射的に笑顔を作るが、カシャッというシャッター音を聞いた途端、晴美の笑顔はすっと消えた。

「翔平君・・・自撮りとかするんだね」

「友達同士で撮ったりするよ、たまに」

「そうなんだ、友達とね・・・」

「なんで? おかしい?」

「ううん。別にそういう訳じゃない」

箸を取り出す翔平に、晴美はもう一つ質問した。

「さっき撮った写真、インスタとか・・・何かに載せる?」

「別に。何も考えてないけど」

「そっか」

翔平は晴美の表情を窺った。

「出しちゃまずい? まずいなら、天丼だけの方にするし」

「・・・うん」

翔平がメインの大きい海老の天ぷらにかぶりつく。

「ぷりっぷり。めちゃ旨い、この海老」

「衣もさっくさくで美味しいね」

美味しそうに頬張る翔平を見つめながら、晴美がぼそっと言った。

「なんか・・・いいのかな・・・」

「何が?」

箸にご飯が乗ったまま、翔平は晴美の顔をじっと見つめた。

「映画観て・・・ご飯食べに行って・・・。ま、気にし過ぎだよね?」

「・・・・・・」

翔平が無言なのは、残りの丼をさらっているからかどうか、分からない。少し湿っぽい雰囲気になった事を反省した晴美が、今度は話題を変えた。

「ねぇねぇ。運転免許の合宿って、大変だった?」


 店を出て 駅まで歩きながら、翔平が言った。

「自転車、買い替えんのやめたんだ」

「・・・どうして?」

「・・・その分金貯めて、車買いたいなぁと思って」

「あ~、なるほどね。でもさ、車なんて高いでしょ?」

「ま、最初は中古の安いやつでも」

晴美は、ここ最近秋めいてきた空を見上げながら返事をした。

「そっかぁ。免許取ったら、やっぱ車欲しくなるもんね。そうやって、色々と夢が広がってくんだね」

「晴美ちゃんにさ、『自転車で二人乗り出来なくなるね』って言われて気が付いたんだ」

「あ~、ははは・・・」

苦笑いを浮かべる晴美だ。

「車なら、好きな子助手席に乗せてデート出来るし」

「ほんとだ。ははは・・・」

最後に無理矢理くっ付けた空笑いが、宙に浮いた。

「車なら、雨でも気にならないし」

「うんうん」

当然沢山ある車のメリットを聞けば聞く程、晃の自転車の後ろに乗った 晴美の中の青春みたいな淡い思い出が薄れていく様に感じるのだった。

 駅に近くなると、翔平がまた時計を見た。

「何時まで平気?」

晴美も時計を確認した。

「もうそろそろ・・・。バイト五時からだから」

「そっか。・・・了解」

『好きな人以外とのデートは、誘われても行かない』と答えていた翔平と、またこうして出掛ける事は もう無いのかもしれないと思った晴美は、少し改まってお礼を言った。

「今日、誘ってくれてありがとう。凄く楽しかった。特に・・・映画館で一緒に観たの初めてだったから。翔平君家では一回あるけど・・・」

「また、観たいDVDあったら、うちで一緒に観ようよ」

晴美は『うん』と明るく即答しそうになる自分を、土壇場で制した。

「・・・悪いよ・・・。やっぱ、そういうの」

言いにくそうな晴美を見て、急に翔平が別の質問をした。

「今日のバイトって、そのまま行くの? それとも・・・一回家帰ってから?」

「このまま行くけど・・・?」

不思議そうな顔の晴美を無視して、翔平は勢いよく歩き始めた。

「一緒に途中まで行く」

「え?」

「小学校卒業して以来、あっちの方行ってないし」


 晴美が帰る電車に翔平も共に揺られる。そんな中、晴美が素朴な疑問をぶつけた。

「花火大会の時、来てたし。こっち」

「あそこは、近いけど地元じゃない」

妙に納得してしまった晴美が黙ると、今度は翔平の番だ。

「あの日、土手でワイワイやってたのって・・・友達の誕生祝い?」

「そう。友達の誕生日で、サプライズしようって あっき・・・」

“あっきー”と言い掛けて、引っ込める晴美だ。しかし、翔平にそれは届いてしまっていた。

「毎年、皆で皆の誕生日祝うんだ?」

「卒業しちゃうとなかなかそうもいかない。あの時は丁度花火大会もあったし、せっかく集まるからって」

「晴美ちゃんは・・・いつなの?誕生日」

晴美はハハハと少し照れた様に笑った。

「明日」

「明日?!」

当然のリアクションに、晴美は更に笑った。

「明日なんだ・・・」

「そう。翔平君は?」

「俺は2月」

 

 駅を降り、晴美のバイト先のファミレスの前で翔平が別れ際に言った。

「明日・・・何か予定ある?」

晴美はニコニコしながら言った。

「バイト」

「何時から?」

「明日は午前中から」

「そっかぁ・・・」

少し残念そうな翔平の顔を見ながら、晴美はハハハと笑った。

「いいから、いいから。気にしないで」

そして、続けて聞いた。

「それよりさ、翔平君、この後どうするの? こんな所まで来ちゃって」

「懐かしいから、少しブラブラして帰る」

「時間があれば、本当は一緒に小学校とか回りたかったんだけど・・・ごめんね」


 その夜十時半頃、晴美の働くファミレスが見えるバス停のベンチの端に腰を下ろしていた。その脇には、小さな手提げ袋がある。そこで翔平は、単行本を読みながら 晴美のバイトの上がる時間を待つ。バスを乗り降りする人達を見送りながら、翔平はこの街の持つ雰囲気の懐かしさと、これから見るであろう晴美の驚いた笑顔を胸に、ほんのりとした温かな気持ちで過ごすのだった。


 晴美の上がる少し前になってファミレスに一人の客が入ってくる。

「いらっしゃいませ~」

お客様を案内する為出てきた晴美が、思わず目を丸くする。

「・・・どうしたの? あっきー・・・」

「もうすぐ終わりでしょ?」

「そうだけど・・・」

「終わったらさ、ちょっとお客さん出来る?」

「・・・うん・・・いいけど・・・」

晴美は晃を禁煙席に案内した。

 それから間もなくして、私服に着替えた晴美が晃のテーブルに座った。

「お疲れ」

「うん」

少し気まずさを感じて頬を強張らせている晴美に、晃はにっこり笑った。

「今日、俺も映画観てきた。梅ちゃんは? 観た?」

「・・・うん」

すると、晃は更に笑顔を大きくした。

「泣いたでしょ?」

「え? まだ目、腫れてる?」

晃ははははと声を上げた。

「何? そんなに泣いたの?」

「目、真っ赤で・・・」

翔平に『目、真っ赤』と言われたエピソードがつい口から出そうになって、晴美は慌ててそれを止めた。

「クライマックスがもうヤバくて・・・」

晃は又はははと笑った。

「だろうと思った。観ながら、絶対梅ちゃん、ここきちゃってるだろうなぁと思ってた」

晴美もついつられて笑う。

「正解。さすがだわ。伊達に何十回も一緒に映画観てないよね~」

晃が嬉しそうに微笑む。

「で? あっきーも泣いた?」

「ん~、まぁまぁ」

「え~?! まぁまぁ?」

それまで椅子に寄り掛かっていた背を離す晴美だ。

「あ! ギャーギャー泣いたら恥ずかしいとか思って、我慢したんでしょ?」

晃があっはっはっはと大きな口を開けた。それから二人はいつもの様に映画の感想を言い合って、あっという間に時間が過ぎる。時計の針が11時半をとっくに回った頃、晴美の携帯がメッセージを受信して震えた。

『もう、バイト終わった?』

翔平からだ。晴美は短い返信をする。

『うん』

すると、向かい側の晃が聞いた。

「大丈夫?」

「あ・・・うん。お母さん。バイト終わったの?って。あっきーと一緒って言ってなかったから」

「大丈夫? 早く帰って来いって?」

「多分・・・大丈夫だと思う・・・」

そう言い終わらない内に、晴美の携帯がもう一度震えた。

『もしかして、もう家帰っちゃった?』

晴美は少し躊躇する。

『まだお店にいる』

『ちょっと出て来られる? 俺、今店の前にいるんだけど』

その文章に、晴美は目を丸くする。するとその様子を見て、晃が言った。

「大丈夫? 何かあったの?」

「あ・・・ううん。別に・・・。だけど・・・もう帰らなくちゃ」

晃はがっかりした顔で、時計を見た。

「もう少しだけ・・・ダメ?」

すると、またメッセージが入る。

『0:14の終電に乗りたいから』

晴美は再び時計を見た。針は11:45になろうとしていた。

「ごめん! あっきー。今日は・・・もう帰らなきゃ」

晴美は慌てて、ドリンクバーで入れてきたカフェラテを一気に飲み干した。それを見て、晃が包みをテーブルの上に差し出した。

「本当は12時回って言いたかったんだけど・・・15分早いけど、お誕生日おめでとう」

「え・・・ありがとう」

固まっている晴美に、晃が笑った。

「早く、開けてみてよ」

「あ・・・うん」

包みを開けると、そこからは以前映画を観に行った帰りに鞄屋で見掛けたトートバッグが姿を現した。

「あ・・・これ」

「そう。梅ちゃん、気に入ってたから」

「ありがとう。大事に使うね」

「これなら学校にも持っていけるでしょ?」

「うん」

「色がさ・・・梅ちゃん あの時黒が良いって言ってたんだけど、黒いバッグ確か持ってたし、だから白なんかいいんじゃないかなって思って」

「うん。凄く可愛い」

「気に入ってくれた?」

「うん。とっても」

「良かったぁ。じゃあ、今から早速使ってよ」

「あっ、そうだね」

バッグの包んであったラッピングと今日持っていたバッグを、晴美は晃に貰った白いトートバッグの中にしまった。そして財布だけ取り出して、立ち上がった。

「急がせちゃって、ごめんね」

「車で来てるから、送ってくよ」

「・・・・・・」

晴美が再び硬直する。その時、手に持った携帯がブーンブーンと震えた。

『もし無理そうなら、今度でいいや。ごめんね』

『待って。今出る。けど』

そこまで打って、途中のまま送信してしまう。

 会計を済ませた晃が財布をしまって車のキーを出している頃、店のガラス窓から外を必死でキョロキョロする晴美だ。

「本当は少しドライブしたいところだけど、おばさん心配するといけないからね」

「・・・・・・」

上の空の晴美に気付く晃だ。

「どうした? 大丈夫?」

「あ・・・うん。あっ! お金!」

晴美が財布から小銭を出そうとしていると、晃がそれを手で抑えた。

「今日はいいよ。安いけど、誕生日だから」

「え・・・あ・・・ごめん。ありがと」

ドアを出ながら、晃がニコニコの顔で言う。

「親父の車なんだけどさ・・・梅ちゃん乗った事あったっけ?」

そう話す晃の背中に、晴美は思い切って声を掛けた。

「あっきー、ごめん! 今日は・・・送ってくれなくて大丈夫」

「え?」

振り返った視界の端に、そっと立っている翔平を見つける晃。

「・・・・・・」

翔平も、店から晃と出てきた晴美に近付いては来なかった。影を薄くして立ち、とっさに何かを後ろ手に隠した事だけが晃の目に留まった。さっきとは打って変わって、晃の顔から笑顔が消えていく。

「あ~・・・待ち合わせ?」

晃の視線が、端っこにいる翔平と晴美の間を交互に泳ぐ。そして、晴美は腰を90度曲げて頭を下げた。

「あっきー、ほんと、ごめん! 翔平君が来てくれてて・・・終電、もうすぐで・・・だから・・・」

みるみる晃の瞳の奥が悲しい色に染まっていくから、晴美が口ごもると、晃は明るい声を出した。

「な~んだ。それならそうと早く言えば良かったのにぃ。ごめんな、知らないからゆっくりしちゃって」

遠巻きにしている翔平に、晃が片手を挙げた。すると、翔平が近付いてくる。

「ごめん。俺、あっきーと一緒だって知らなかったから・・・。本当、ごめん」

「ううん、私も・・・」

晴美が言い掛けたところで、晃がそれをかっさらって行った。

「早く行けって。終電までろくに時間無いんだろ?」

その後、『じゃあな』と手を掲げて翔平と晴美に挨拶をすると、晃はあっという間に車で消えていった。

 そこに残った晴美が、改めて翔平に聞いた。

「夕方から、ずっと居たの?」

「あぁ・・・色々懐かしい所見てたら、あっという間だった」

晴美は『それにしたって』・・・と言いそうになって、時計を見てハッとする。

「12時何分の電車だっけ? 歩きながら話そうか」

駅の方に足を一歩踏み出した晴美の腕を、翔平が掴んだ。

「ちょっと待って。その前にこれ・・・」

後ろに持っていた小さな手提げの紙袋を、晴美の前に差し出した。

「お誕生日・・・」

そこまで言って、翔平も時計を見る。辛うじて12時を回っている。

「おめでとう」

「え・・・もしかして、これ選んでこの時間まで待っててくれたの?」

翔平は照れ笑いをした。

「俺、明日バイトで渡しに来らんないし」

「わざわざ・・・ありがとう。見て、いい?」

「あ・・・時間無いから、帰ってから見て」

「あっ、そっか。早く行かないと・・・」

再び駅の方に急ごうとする晴美の腕を、もう一度掴んで引き止めた。

「あと・・・もう一つ」

「もう一つ・・・?」

翔平は、静かにすうっとたっぷり息を吸い込んだ。

「さっきの『明日バイト』っていうのは建前で・・・本当は、日付変わって一番におめでとう言いたくて・・・待ってた」

「・・・・・・」

晴美は全身硬直状態だ。すると、それを見て翔平が慌てて付け足した。

「あっきーといるって知らなかったから・・・ごめん、邪魔して。分かってたら こんな割り込みしなかったんだけど」

晴美は翔平の話の途中から、小さく何度も顔を横に振った。

「あっきーとは別に約束してた訳じゃないの。終わる頃お店に来て・・・ちょっと話しただけ」

すると翔平は、晴美の肩から掛けている白いトートバッグを指差した。

「それ・・・あっきーからのプレゼント?」

「あ・・・うん・・・」

晴美は少しそれを腕で隠す様にして後ずさりした。

「可愛いね。さすがあっきー。晴美ちゃんに似合ってる」

「・・・たまたま前に『これいいなぁ』って言ったの覚えててくれて・・・」

「そういうとこ、あっきーっぽいね。マメっていうか、優しいっていうかさ。そういうの、女の子は嬉しいよね」

「・・・・・・」

「ほんと、俺の・・・大した事ないから、あんま期待しないで。晴美ちゃんの好みじゃないかもしれないし」

急いでいる筈なのに、何かまだ言い足りなさそうな様子の翔平が その場から動かない。そして暫くして、ようやく翔平が口を開いた。

「今日、本当は待ってる間に心に決めてた事があったんだけど・・・ちょっと調子が狂っちゃって・・・」

そこで翔平は、もう一度時計を確認した。

「もう行くわ、俺」

「あ、じゃ・・・駅まで」

ようやく駅の方へ歩き出した翔平の足は速い。だから晴美も、それに必死でついて歩く。

「間に合うかな・・・」

晴美が時計を見て言った。

「走る?」

小走りになる二人の前に、横断歩道の赤信号が立ちはだかる。

「こういう時って・・・青になるまでの時間、凄く長く感じるよね」

晴美が話すその言葉を上の空に聞いて、翔平が隣で深呼吸をした。

「月曜から・・・気まずくなる?」

「気まずく? どうして?」

翔平は隣の晴美の顔を見て、はははと笑った。

「そっか・・・。はっきりとは言ってないからね」

「・・・ん?」

キョトンとしている晴美だ。だから、翔平はもう一回自分の気持ちを奮い立たせた。

「俺さ・・・」

その途端、目の前の横断歩道が青に変わる。周りに居た人達も、せきを切った様に駅に向かって渡り始める。そんな中で翔平は、晴美の手首を掴んだ。

「晴美ちゃんの事が好き。でも・・・」

当然晴美は、鳩が豆鉄砲を食らった様な目をしている。

「あっきーの事好きだって分かってて今告白してる訳だから・・・気にしないで。ただ・・・区切りっていうか・・・まぁ、自己満・・・っていうか。だから、気まずいとか、そういうの気にしないでもらいたい。今まで通り、サークルにも来て欲しいし。俺が今日こんな事言ったせいで晴美ちゃんがサークルに来にくくなったら、俺・・・凄く後悔すると思うから。なんか勝手な事言ってるよね? 俺」

「・・・・・・」

信号がいつの間にか点滅に変わり、慌てて渡る人の影がちらつくのをぼんやり眺めながら、晴美が戸惑い気味に話し出す。

「ちょ・・・待って・・・」

「・・・・・・」

いつの間にか晴美の手首から離れた翔平の手が、今度は自分の頭を掻いている。

「・・・また・・・赤になっちゃった・・・」

晴美がそうボソッと言うと、翔平は遅れて笑った。

「・・・だね」

「終電・・・」

「渋谷か新宿までなら、次の電車でもまだ間に合うから」

「そこから、どうするの?」

「ネットカフェでも漫喫でも、どこだって幾らでもあるから」

再び信号が青に変わり、渡ろうとする翔平の手首を、今度は晴美がぎゅっと掴んだ。

「私・・・まだ言ってなかった」

「・・・え?」

「だから・・・翔平君の気持ち今聞いて・・・」

そこまで聞いて、翔平が待ったを掛けた。

「おぉっと! だから・・・返事とかそういうんじゃなくてさ・・・」

「嬉しかった!」

翔平の言葉が途切れるより先に、自分の話す番が来る前に、ただ勢いに任せて晴美はフライングする。

「ありがと。もう、それで・・・」

強引に話題を終わりにしようと試みる翔平だったが、晴美のフライングは尚も続いた。

「私も好き。翔平君の事・・・前から好き。だから・・・凄く嬉しい。多分脈無しだって思って諦めてたから・・・尚更嬉しい」

「・・・痛い・・・」

気付くと、力んだままの力に任せて、晴美は翔平の手首をきつく握りしめていた。

「あっ・・・ごめん!」

慌ててぱっと手を離すと、翔平は笑って手首を外灯の明かりに照らして見つめた。

「あざになってるかも」

「な訳~!」

晴美がケラケラッと笑った。目の前では信号の点滅が『早く渡れ』と二人をせっつく。それを無視して、翔平が言った。

「今日、もう帰んのやめよっかなぁ」

「え? で・・・どうするの?」

「晴美ちゃんと朝まで一緒にいる」

「・・・え・・・?」

固まる晴美の顔を、翔平は面白がる様に笑った。

「今、変な事想像したでしょ~?」

「いやいやいやいや」

必死の抵抗も、翔平のからかう様な笑いに吹き飛ばされる。

「ね。小学校行ってみた?」

「・・・行ってない」

「え~っ?! だって、何時間もあったでしょう?」

翔平はバツが悪そうに頭を掻いた。

「プレゼント選びが意外に難航しましてですね・・・」

途端に晴美の瞳がきらっとする。

「ねぇねぇ、通学路通って小学校行ってみよ」

懐かしい道を歩きながら、晴美は現在の景色に幼い頃の記憶を重ねる。

「ねぇ、覚えてる? ここに生えてたたんぽぽの綿毛で 良く遊んだの」

「ここだっけ?」

「うん。あとはね・・・もう少し行った所の空き地に咲いてたサルビアの蜜、よく吸って帰った」

「あ~、あの赤い花? サルビアっていうんだ?」

「懐かしいなぁ~」

昔話に花を咲かせながら角を曲がると、当時サルビアの咲いていた空き地には高層のマンションが建っていた。

「ここ・・・。空き地だった所」

「え~?!」

一旦最上階まで見上げてから、辺りをゆっくりと見回す翔平だ。

「言われなきゃ、ここが空き地だった事、思い出さなかった」

ふふふと笑って、晴美はそれを相槌にした。そして、翔平は歩調をゆっくりにして、晴美の方を向いた。

「じゃ、これ覚えてる?」

そう言って、地面に書いてある“止まれ”の白線に、翔平は自分の隣に晴美を並ばせた。しかしキョトンとしている晴美に、翔平はじゃんけんの素振りをしてにこっと笑った。

「グ~リ~コ!」

その掛け声に反射的にグーを出す晴美に対し、翔平はパーを出した。

「パイナツプル」

そう言いながら大股で六歩進む翔平の後ろ姿に、晴美はパチンと手を叩いた。

「あ~! 懐かしい!」

「思い出した?」

「うん。退屈になると、階段じゃない所でもよくグリコやって帰ったぁ!」

「そう。で、晴美ちゃん、最初に必ずグー出すから、いつ気が付くんだろうって可笑しくって可笑しくって・・・」

腹を抱えてくっくっくっと笑う翔平を見て、晴美は自分が出したグーの手をじっと見つめた。

「全然気が付かなかったぁ」

話しながら翔平に追いつくと、晴美は挑戦を挑んだ。

「じゃ、改めて、勝負! グ―リ―コ!」

翔平がグーを出したのに対し、晴美がパーを出している。

「やったぁー!」

跳び上がって喜ぶ晴美が小さくガッツポーズをしてから、ぴょんぴょんと六歩進んだ。

「次は絶対勝つから」

宣戦布告をした翔平だったが、チョキを出したのに対し晴美がグーで、これまた晴美の勝ちとなる。

「よっしゃー!」

少し離れた二人の距離を、弱々しい外灯の明かりが照らす。

「見えるかな・・・。もうやめる?」

「いや、ラスト一回!次は絶対勝つから」

宣言通り、晴美のパーに対し翔平がチョキで勝利を勝ち取った。

「有言実行!」

翔平は自画自賛してから、大股で晴美の所を目指す。

「チーヨーコーレーイート」

“イ”で晴美の前に辿り着き、最後の“ト”で一歩リードし、翔平は満足そうにピースしてみせた。

「イェイ! 一発逆転!」

懐かしい遊びにいざなわれ、二人は童心に返り、いつしかそこは夜中の12時を過ぎた深夜の町ではなく、小学校の帰り道と化していた。

「ねぇ、ここの畑のトマトもらって食べたの、覚えてる?」

「あ~、それは覚えてる。冷えてなくても、すっごい美味しかった」

翔平も共感して、二人の笑顔の温度が同じになる。

「あのお爺ちゃん、今でも元気かなぁ・・・」

 学校の裏門に辿り着き、目の前の体育館を見上げて翔平が言った。

「こんな小さかったっけ? 小学校の体育館」

そこから渡り廊下で繋がっているプールが見える。

「プールって・・・こんな感じだったっけ?」

学校をフェンス越しに眺めながら、ぐるっとゆっくり一周する。

「懐かしい。焼却炉。掃除当番の時、ゴミ箱二人で持って来たよね」

翔平が引っ張り出したエピソードで、一気に二人は七年前にタイムスリップしていく。

「なんか・・・変な感じ。あの時の翔平君と、今こうしてここに居るなんて」

「ほ~んと」

校庭の端に植えられた桜の木に沿って歩きながら、敷地内をぼんやり眺めて翔平が言った。

「平和だったなぁ、小学校」

卒業後、翔平に次々に訪れた環境の変化を思うと、晴美はその言葉に簡単な相槌が打てない。

 正門まで来て、両脇の花壇の縁に翔平が腰を下ろす。

「晴美ちゃん、中学では何の部活入ったの?」

「吹奏楽」

「楽器は?」

「クラリネット吹いてた。・・・翔平君は?」

そう聞いてから、晴美は付け足して喋る。

「小学校の時、サッカークラブ入ってたよね? 中学でもやったの?」

「静岡では最初ちょっと入ったけど、そのうち不登校になって行かなくなったから、殆どやってない。仙台に引っ越してからは陸上部。陸上は個人技のスポーツだからいいかなって」

晴美は、少し明るい話題に軌道修正する。

「ねぇ、覚えてる? 翔平君、図書委員だったの」

「あぁ。五、六年ね」

「やっぱ、本好きだったんでしょ?」

「・・・違うよ」

「え~?! 好きじゃなかったの?」

「他の委員立候補したけど、じゃんけんで負けて。それで余ってた図書委員になった」

「え~、そうだったの? でも、六年生の時も図書委員だったでしょ? それも、じゃんけん負けたから・・・だっけ?」

翔平ははははと笑った。

「五年の時に図書委員になったら、クラスが別々になった晴美ちゃんと一緒になれて。六年の時も晴美ちゃん図書委員に手挙げてたから、一緒にやりたいなぁ~なんて思って。不純な動機だよ」

「そうだったの~?」

晴美の心は七年前に遡ってふわっと浮足立つ。そして、翔平が少し聞きにくそうに、隣の晴美から目を逸らして言った。

「・・・彼氏とか・・・いた?」

晴美は隣の翔平の横顔をじっと見てから、首を一回だけ横に振った。

「・・・翔平君は・・・モテたんだろうなぁ・・・」

翔平は黙って顔を上げて、晴美の顔を見つめた。だから晴美は、また思ったままの想像を口にする。

「バレンタインデーのチョコとか、凄そう。ねぇ、最高いくつ貰った?」

翔平はまたボソボソっと喋る。

「そんな全然だよ」

「またまたぁ。あっ! 卒業してこっち来る時、『行かないで!』って泣かれたりとか・・・?」

「そんなの無いよ」

「本当?」

疑りの眼で、晴美は翔平を上目遣いに見つめた。

「怖いなぁ・・・」

空気を変える様に、晴美は翔平に貰ったプレゼントの包みを開けた。中からは、“HARUMI”と印字されたペンケースが出てきた。

「可愛い色!」

「その色、イメージに合ってると思って」

「すっごい嬉しい! ありがとう。大事に使うね」

翔平が小さく頷いた後で、晴美の顔をじっと見つめている。包みを綺麗に畳み終えた晴美が、その視線に気が付く。

「どうしたの?」

「・・・今みたいに、あっきーにも言ったのかなって・・・」

「・・・今・・・みたい?」

「『すっごく嬉しい! 大事に使うね』って、このバッグ・・・」

翔平が指さした白いトートバッグを見つめながら、晴美は暫く黙った。すると翔平がおちゃらけて笑った。

「うそ、うそ。冗談! ごめん。さ、行こ!」

翔平が立ち上がって、ズボンのお尻をパンパンとはたいている傍らで晴美は、さっき晃から貰ったトートバッグを紙袋に戻した。その間、目の前の道路を車が一台二台と通過する。晴美は自分のバッグを肩に掛けて立ち上がり、翔平ににっこり笑顔を向けた。


 行き先のないまま ただ歩いている翔平に、晴美が言った。

「翔平君が昔住んでた所、行ってみる?」

翔平の返事も聞かないまま、晴美は先頭切って歩き出す。歩きながら、晴美が言った。

「翔平君って・・・やきもち焼くんだね」

「・・・・・・」

何か言いたそうに俯く翔平の横顔を見て、晴美は明るい声で付け足した。

「でも・・・嬉しかった」

照れ隠しに、はははと晴美が笑った。

「なんか、付き合ってるって感じ」

「何それ」

クールに突っ込む翔平だったが、二人は目を合わせると、はははははと口を開けて笑った。


「俺さ・・・」

車の通りの少ない道に入って、翔平が話し始めた。

「中学で不登校になって 仙台に転校して、そこでもなかなか馴染むのに時間が掛かったんだ。それでも卒業する時には、凄く仲の良い友達二人出来て、自分の自信も少し取り戻せた。高校で、心機一転今までの自分を捨てて頑張ろっかな・・・とか思ったんだけど、近所の公立高校だったから、同じ中学から行った奴らも何人かいて。結局高校も中学同様引っ込み思案の自分を引きずって卒業した。で、大学こっち出てくる事決まって、同じ地元の奴もいないし・・・だったら今までの自分から脱皮して、もっと積極的で社交的な自分になってみようかなと思って」

「そうだったんだ・・・」

「まぁ、言ってしまえば、大学デビュー? 格好悪いけど」

晴美は黙って首を何回も横に振った。

「大学入って晴美ちゃん見つけて、すぐに小学校の時の子だって分かったんだけど、昔の自分知ってる子には 何だか後ろめたくて・・・。でもさ、勝手なもんだよね。自分を変えようとしたのに、夏のサークルの合宿で晴美ちゃんに思い切って昔の話したら、それが案外心地良くて・・・ホッとするっていうか・・・。やっぱ本当の俺って、こっちなんだなって・・・」

話の切れ目で、晴美はそっと手を伸ばした。一瞬触れた翔平の手に 思い切ってもう一度指を伸ばしてみると、今度は翔平の手がそれを待っていて、晴美の手をぎゅっと握りしめた。

「話してくれて、ありがとね」

「・・・うん」

「私・・・明るくてムードメーカーの翔平君も魅力あると思うけど、やっぱり小学生の時の・・・ちょっと控えめで照れ屋で口下手で、でもすっごく優しい翔平君が好き。一緒に居て・・・ほっとする」

「二重人格とか、思わない?」

あはははと晴美の明るい笑顔が弾ける。

「どっちも翔平君だし、むしろ・・・」

次の言葉をじっと待つ翔平。

「皆は知らない翔平君を知ってるって・・・嬉しい」

翔平は、それに応える様に手にぎゅっと力を込めた。照れ隠しに、晴美が空を仰ぎ見ると、さっきまでの車の音とは打って変わって、鈴虫の声が聞こえてくる。その自然の空気感に包まれ、晴美の心の鎧が剥がされていく。

「好きな人とこうやって手繋いで歩くのって・・・幸せだね」

「うん・・・」

翔平はその後に小さい声で付け加えた。

「俺も」

晴美が嬉しそうに翔平の顔を見て微笑むから、翔平も目を合わせないままフフッと笑った。


 七年前まで翔平が住んでいた団地の前まで来て、二人は当時の翔平の家の窓を見上げた。

「懐かしいなぁ」

「変な感じ。昔の自分家が、他の人の家になってるって」

「そうだね。私はもう、見慣れたけど」

窓を見上げながら、晴美が言った。

「本当に越しちゃったのかな? もう、本当にあの家には居ないのかなって、何回も見に来た」

敷地内の遊具のある小さな公園のベンチに二人は腰を落ち着けた。

「引っ越した後、同じここに住んでた絵里ちゃんに翔平君、暑中お見舞いの葉書送ったの、覚えてる?」

「・・・あぁ・・・川端? 確か・・・そう、暑中見舞いくれて」

「富士山の絵が書いてあったって言ってた」

「そうだったっけ? 全然覚えてね~や」

「だろうね」

はははと晴美が笑う。

「何書いていいか分かんなくて、隙間埋める為に絵描いたんじゃないかな?」

「そうなの~? こんな富士山見えてるよ~って意味かと思ってた」

「まぁ・・・それもあったかもしんないけど」

秋の深夜の時間帯、団地の真ん中の公園に物音は殆どしない。頭をポリポリと掻いて、どことなくソワソワしている隣に違和感を感じた晴美が翔平の方を向いた瞬間、その口を翔平の唇が塞いだ。鼻がぶつかって、唇が触れた事が分からない位の一瞬の事故の様な出来事に、晴美の心がようやく現実に追いついた頃、翔平が照れ笑いをした。

「失敗した・・・」

「・・・失敗?」

「だって、今の・・・思ってたのと違うでしょ?」

「・・・失敗って・・・」

悲しい表情を見せる晴美に、翔平が少し慌てた。

「あ、ごめん。そういう意味じゃない。ただ・・・俺の問題」

「間違えたみたいに、言わないでよ・・・」

「そんな風に思ってないよ! 間違えたなんて・・・全然だよ。俺、勝手に気持ちが先走っちゃって・・・」

言い訳を必死でする翔平が、急に黙ったかと思うと、今度は晴美をゆっくりと抱きしめた。

「ごめん。ダサくて」

翔平の温かな腕の中で、晴美は首を横に振った。暫くそのままでいると、晴美の頭の上で翔平の声が優しく響く。

「世間じゃ、壁ドンとか顎くいとか・・・よくあんなキザな事出来るよな・・・」

晴美がふふふっと笑う。

「でも女の子は、やっぱああいうの、憧れるの?」

顔が見えていないから、心臓の鼓動が少し穏やかでいられる晴美は、腕の中で小さく首を傾げた。

「分かった。じゃ・・・映画で見たやつ・・・」

そう言って翔平が腕を解くと、晴美の首を両手で包んだ。そしておでこを付けて、じっと晴美の目を見つめた。

「待って、待って。ヤバい、心臓が・・・」

そう言って視線を必死に逸らす晴美の顎を少し両手で上に向けて、ゆっくりと唇を重ねた。



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