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友達以上恋人未満=親友?  作者: 長谷川るり
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第8話 二人の隙間

 夏休みが明けて、日焼けした学生達が再び校舎に戻って来る。あの夏の日の帰り道以来、晃と晴美は連絡を取っていない。高校時代仲良くなってから、こんなに長い間喧嘩した事も音信不通になった事もなかった。滅多に怒ったりしない晃と、平和主義者の晴美が、一ヶ月以上険悪な関係になる事など、当時の仲間には想像もつかない事態だ。同じ授業を取っていても、晃も晴美も別の仲間と席に座る。そして翔平も、いつも後ろの方の席に座る学生達と、今日も楽しそうにきゃははははと笑い声を立てている。

「翔平、車買わないの?」

「そうだよ。買って、皆で遊びに行こうよ~」

「免許取りに行くので、貯金全部無くなったわ。車どこじゃねぇって。俺は、そこら辺の良いご身分のボンボンとは違うからなぁ」

冗談でも話す様な口調の翔平の話を聞きながら、晴美は以前大学の入学金を離婚した父親に借りなかった話を思い出す。今楽しそうに話している仲間には見せない顔がある。それを自分には見せてくれたという喜びが、晴美の中でじんわりと生まれる。彼らは知らない、翔平の本当の顔がある事を知っている優越感が、晴美を背中から励ます。

「あっ! でもさ、自転車買い替えようと思ってんだよね~」

“自転車”と聞こえて、晴美が内心ドキッとする。

「高校ん時から使ってたママチャリ、こっちに来る時に持って来たんだけど、そろそろ買い替えようかなと思ってて。誰かいらない? まだ、一応乗れるけど」

晴美の胸がぎゅっと締め付けられる。あの自転車に、晴美と違って翔平は、思い出など乗せてはいないのだ。ただの交通手段でしかなかったのだ。後ろに乗って、勝手にドキドキして、勝手にキュンキュンして、勝手に忘れられない思い出なんかに登録しちゃっていた自分が悲しくて、晴美はイヤホンを耳にはめた。


今日は映画研究部の活動日だ。学祭の準備として、映画のポスターやビラを作る。しかし今日は珍しく優子の姿がない。晃も翔平も晴美も、狭い部室の中で、妙な距離感を保っている。そこへドアがガチャッと開いて、優子が顔を出した。

「すみません、遅くなって」

「優子ちゃんいないの、珍しいね~って皆で言ってたとこ」

「すみません、ちょっと教授に色々教えてもらってて」

いつもなら、自然と翔平の傍に寄って行って、ずっと前から居ました的な佇まいで翔平との会話を楽しむのに、今日は違っていた。どこか寂し気な雰囲気を全身にまとって、作業に取り掛かるのだった。皆が黙々と手を動かす為、川口がふと笑いながら言った。

「何だか、今日は皆大人しいね。夏バテか?」

無意識に作業に熱中していた者達は、ふっと口がほぐれて、思い出した様に いつものお喋りを始めた。しかし、優子も翔平も、晃も晴美も、今日は口が開かない。優子から翔平に話し掛ける事もしなければ、翔平からもない。しかし、周りのお喋りのお陰で気にはならない。それが取り立てて話題にされる事のないまま時間が過ぎると、優子がふと席を立った。

「今日はここまでで・・・すみません。この後予定あって・・・」

「おう! 忙しいのにサンキュ! 又よろしく~」

川口の気持ちの良い挨拶に救われる様に笑顔を返して、優子は部室を後にした。


 作業を終えて、皆が部室からバラバラと出ていく。使い終わった備品の片付けをしながら最後に残った晴美が部屋を見回すと、今までなら待っていた晃の姿は今日はなく、その代わりにコンセントから抜いたコードをまとめている翔平が残っていた。

「この間は・・・ごめんね」

すぐそこにあるドアの向こうにいる仲間達には聞こえない様に、小さな声で晴美が翔平にそう声を掛けた。すると翔平も、ボソッと返事を返した。

「俺も・・・ごめんね。あっきーと喧嘩してんの・・・俺のせいだよね?」

「それは・・・全然・・・」

晴美が想像していたよりも自然と翔平との会話が成り立った事に安堵していると、ドアがガチャッと開いて、川口が部屋の中を見回した。

「おっけー? 電気消すよ~」

誰とでも壁を作らずに自然と人を引き寄せる磁石みたいな川口について行く様に、駅までの道を歩く翔平と晴美だ。学校からのまっすぐな道に、晃の姿は数百メートル先までも見えないから、とっくに帰った事が分かる。

「先輩、内定貰った会社って、何系ですか?」

翔平が質問する。

「広告代理店」

「就活、大変でした?」

「そりゃ、何社も受けたよ。第一志望は、やっぱ映画の製作会社だったけど、いっぱい落ちた」

そう言って笑った後、川口は二人を見た。

「二人は? 将来の目標とか、決まってんの?」

そう聞かれ、まず口を開いたのは翔平の方だ。

「まだ、絞れてはいないっす。色んなバイトして、色んな世界見てみて決めようかなって思ってます」

「あ~、それもいいよね。就職したら、他の世界見る事なんて そう無くなるだろうし。梅ちゃんは?」

「私は・・・全然まだ先の事なんて、見えてないです。でも・・・来年の夏休みにホームステイに行こうと思って、今バイト代貯めて頑張ってます」

「偉いじゃ~ん」

「全然です。実はこれも、翔平君に影響されて頑張ろうかなって思って」

隣で目を向いている翔平だ。

「俺?!」

すると、川口が妙に頷いている。

「そうなんだよ。翔平ってチャラい様で、結構しっかりしてんだよな」

「やめて下さいよ。単純でアホなだけっす」

「またまた~。照れて謙遜するところも、可愛いんだけどね」

川口が言い終えた頃、ぽつっと雨の気配を感じる三人だ。

「あれ?」

川口が空を仰ぎ見る。

「雨・・・ですかね?」

翔平も辺りを見回す。

「降るなんて天気予報、出てましたっけ?」

晴美が聞くと、二人は首を傾げた。

「傘持って来なかったな・・・」

「うん、俺も。酷くならなきゃいいけど」

川口がリュックを肩から下ろしながら立ち止まった。

「俺、こっからバスだから」

そう言って、鞄の中から折り畳み傘を取り出すと、二人の前にそれを差し出した。

「これ一本しかないけど、酷くなったら使って」

翔平も晴美も手を出せずにいると、川口が言った。

「俺んち、バス停からすぐだから。バス乗ったら、傘必要ないし。どっちでもいいから、使ってよ」

「じゃ・・・晴美ちゃん借りたら?」

「今の時期の雨は、結構ザーッとくるから」

「ありがとうございます。お借りします」


 バス停で別れた川口の乗るバスは、その後すぐに 駅に向かって歩く二人の脇を通った。その位からポツポツ降り出していた雨の粒が次第に大きくなり、そして間隔が狭くなる。

「傘・・・差そうか」

そう言って晴美が、借りたばかりの傘を広げて、翔平の頭の上にかざした。

「あっ、いいよ、俺は。晴美ちゃん濡れちゃうから」

そう言って傘を晴美の方に傾けた。

「お互い、少しずつ入って、少しずつ濡れようよ」

晴美がそう言うと、翔平がふっと笑った。

「・・・変わってないね、そういうとこ。小学生の時のまんま」

翔平が好きになってくれた頃の自分と変わってないと言われたみたいに感じて嬉しくなった晴美は、照れ臭くてはははと笑いながら俯いた。すると、ふっと手に持った傘が軽くなる。

「俺、持つよ」

晴美の手のすぐ上を握る翔平にドキンとして、傘を早急に預ける。

「少しは俺のが背デカいから」

「そうだね。私が差すと傘低くなっちゃって、翔平君歩きづらいもんね」

「違うよ~。晴美ちゃんが差すと、俺の方ばっか傾けて、自分の肩びしょびしょになっちゃうから」

そう言って、晴美の反対側の肩にそっと触れる翔平だ。

「ほらね」

急に肩に手が触れたり、相合傘で距離が近付いたりして、晴美の心臓がドギマギしている。

「平気平気、こんなの」

早口にそう言って、晴美は慌ててタオルで肩を拭いた。

雨足は確実に激しくなっていて、翔平が少し歩くスピードを上げた。

「少し急ごっか? 結構降ってきそうだから」

晴美にとっては嬉しい筈のせっかくの時間が早くに終わりそうな気配を感じても、雨足に逆らう事は出来ない。晴美が少し寂しい気持ちに心が傾いた その時、ポケットの中の携帯がメッセージ受信を知らせる。

『傘、持ってる?』

先に帰った晃からだ。晴美の戸惑いが歩く速度を鈍らせる。

『川口先輩から借りた。ありがとう』

そう返信すると、その後もう晃から音沙汰は無くなった。

ポケットにしまって、思い出した様に再び足を速めると、それまで黙っていた翔平が口を開いた。

「雨宿りも兼ねて、どっかで飯食ってかない?」


 駅まで辿り着く前に、すぐ傍にあったファミレスに二人は入る。テーブルでメニューを広げた頃、外では雷が轟いた。

「すぐ入って良かったね」

「うん」

「何にしよっかなぁ~」

メニューを広げながら、翔平はちらっと晴美を見た。

「お腹、空いてた?」

「うん」

「だよね。俺今日昼飯早かったからなぁ。今ならいくらでも食えそう」

晴美がはははと笑うと、翔平もその顔を見て、安心した様に笑った。

翔平が頼んだ メガ盛りプレートという三種類の肉料理が山盛りのメニューとライスの大盛りのセットが目の前に現れ、湯気を上げている。

「先、どうぞ。私グラタンだから、多分時間掛かる」

なかなかフォークに手を伸ばさない翔平に、晴美がドリンクバーで入れてきたアイスティーを一口飲んで見せた。

「私、これあるから。ね? 冷めないうちに食べてて。お腹空いてたんでしょ?」

すると、翔平はあははははと笑って言った。

「それ、分かって言ってる?」

「へ?!」

「だから、今の。『これあるから、冷めないうちに食べて』っていうの」

晴美のきょとんとしている顔を見て、翔平が言った。

「それ、俺が小学生の時言った言葉」

「・・・えぇ?!」

晴美が目を見開く。

「そう。例の給食の時。牛乳来るまで待ってる晴美ちゃんと俺の会話、今そのまんまだった」

「嘘~?!」

「ほんと。わざとかと思った」

「やだ~、全然知らなかったぁ」

あははははと笑う声が二重に重なった時、窓の外の雷も威勢を増していた。ピカッと稲妻の光った後、バリバリとかゴロゴロという轟きの後にバーンという大きな破裂音にも似た音が晴美の耳をつんざいていった。

「凄いね・・・」

翔平が窓の外を眺めながら そう言った。その時ふと晴美はポケットの中から携帯を取り出した。誰からも着信はない。すると、目の前の翔平が言った。

「あっきーの事、気になる?」

「え?!」

晴美は慌てて携帯をしまった。

「ごめん。さっきの連絡・・・あっきーからでしょ? チラッと見えちゃって・・・」

「あ、うん。でも全然」

晴美は笑ってみせた。その何とも言えない空気が漂った瞬間、それを破る様に晴美のグラタンが運ばれてくる。

「あ、来た来た。お待たせ。ごめんね。食べよ、食べよ」

暫く、晴美がグラタンをフーフーする音と、翔平が空腹に任せて頬張る音だけが 二人の間の時を埋めた。会話の無い時間が辛くなった頃、晴美が顔を上げて笑顔を翔平に向けた。

「美味しい?」

「あぁ」

「良かったね」

「うん」

それでも会話が途切れてしまって、再びその空間を埋めたのは、夜空に轟く稲妻の存在だ。

晴美がグラタンを食べ終わる頃には、威勢の良かった雷も姿を消しつつあった。翔平は窓の外を眺めながら、晴美に声を掛けた。

「あっきー、雨酷くなる前に駅に着いたかな」

心の中の驚きを隠して、晴美が返事をした。

「傘、持ってたみたいだから」

「あ・・・そうなんだ」

「うん」

会話が再び途切れると同時に、グラスの中のアイスティーも底をついた。

「ドリンクバー、行ってくる?」

「あ、うん。そうだね」

翔平は窓の外を見た。

「雨がもう少し弱くなるまで・・・」

その言葉に、晴美の心は又ふわっと明るくなる。

「うん、そうだね」

二人ともドリンクを新しくして再び腰を落ち着けたところで、翔平が聞いた。

「マグカップ、使ってる?」

ジブリ美術館に行った時に買った、色違いのマグカップの事だ。

「うん。翔平君は?」

「うん。毎日」

視線を合わせはしないが、にこやかに俯く晴美に、翔平はアイスコーヒーを一口飲んでから口を開いた。

「ごめんね、意地悪して」

ストローに口を付けようとしていた晴美が、慌てて顔を上げる。

「意地悪?」

翔平は、ストローでグラスの中の氷をカランと動かした。

「雨降ってきて・・・本当はあっきーの事気になってんのに、飯食ってこうなんてさ・・・」

「あ、全然、全然」

晴美なりに精一杯否定したつもりだが、それが届いていないのが、翔平の表情で分かる。だから、晴美はもう一言付け足してみる。

「こんな雨になっちゃったし、ご飯誘ってもらって良かったよ」

「ま・・・ずぶ濡れにはならずに済んだけど・・・」

伝えたい喜びが真っ直ぐに伝わっていないジレンマに、晴美の背中がムズムズする。しかしお台場の花火大会を誘った時の様な勇気は、今はもう出ない。そんな葛藤の中、晴美の口から飛び出した言葉だ。

「翔平君って、今・・・付き合ってる人、いる?」

「・・・いないよ」

「今は、そういう人・・・あえて作らないのかな?」

「いや・・・。好きな人はいるよ」

その一言に、晴美は頭をハンマーで殴られた様な衝撃を受ける。だから必死にその本音を隠す為に笑う晴美だ。

「そうなんだぁ。ま、そうだよねぇ。好きな人くらい、いるよね」

とっさにストローをくわえて吸い上げた事まで覚えてはいるが、その味までは分からない位テンパっている晴美に、翔平は真っ直ぐな視線を投げた。

「晴美ちゃんは?」

「へ?」

「あっきーの事・・・好きなの?」

「全然、全然。ほんと、そういうんじゃない」

首がもげるかと思う位横に振っている晴美だが、何故か顔がみるみる熱くなる。すると翔平がボソッと言った。

「晴美ちゃん、分かりやすいね・・・」

晴美は、更に大きく首を横に振った。

「だから違うって。ほんと、誤解だって」


 結局誤解が解けたかは定かでないまま、雨が弱まった店の外に 二人は出た。駅まで数分という距離に寂しさを感じながら、晴美が少しの勇気を出してみる。

「翔平君、自転車・・・新しくするの?」

「あ、そうそう。なんで?」

「この間たまたま聞こえちゃって」

「あれさ、中学ん時から乗ってるチャリでさ。そろそろ買い替えよっかなって思ってて。今度はギア付きのマウンテンバイクか折り畳み系か、今迷ってる」

「そうなんだ・・・」

「本当はこっち出て来る時に置いてこようと思ったんだけど、春は何かと金が掛かるから、落ち着いてバイト代貯めて買おうって思ってたから」

「まだ乗れるのに・・・勿体ないね」

「いる? 晴美ちゃん。全然あげるよ」

晴美の心にスーッと夏の終わりを告げる様な乾いた風が吹き抜けていく。と同時に、何かそれに一緒に奪われていく様な物悲しさも覚える晴美だった。

「そうなったら、自転車・・・もう一緒には乗れないね」

はははと気張ってみるが、空笑いにしか過ぎない。目の前には駅の明かりが近付いてくる。晴美の足取りが心なしか遅くなる。しかし、晴美の無駄な抵抗虚しく 駅に着いた翔平は、二人の頭上に差していた傘を閉じて雫を払った。

「先輩に傘借りて、助かったね」

翔平がにこっと晴美に笑顔を向けた。

「うん」

あと数十メートルも歩いたら改札に着いて、翔平ともバイバイだ。そうよぎった晴美は、笑顔もぎこちない。すると、翔平が晴美の片方の袖に手を伸ばした。

「やっぱ、濡れちゃったね」

「あ、平気、平気。全然、こんなの」

言いながらタオルで袖を拭くと、今度は翔平が晴美の前髪にハラッと触れた。ドキッとして思わず目を瞑る晴美に、翔平が言った。

「雫が落ちそうになってた」

「あ・・・ありがと」

再び歩き出した翔平の背中に、晴美は勇気を出した。

「翔平君さぁ。もし今、好きな子とは違う人にデートに誘われたら・・・行く?」

「今は、もう行かないかな。その子の事・・・結構好きだから」

晴美はリュックの肩ひもをぎゅっと握った。

「晴美ちゃんは?」

「・・・え?」

「映画・・・あっきーと行ってる?」

「・・・あんま、最近は行ってないかな」

「観たいの・・・今ある?」

晴美の胸がまたふわぁっと明るくなる。

「今週の土曜から始まるって今盛んに宣伝してるヤツ、分かる?」

「え~、どっち? キングスナイパー? それとも・・・」

晴美はケタケタケタと笑った。

「そっちじゃない方」

「分かる、分かる。何だっけ・・・タイトル。雨・・・雨・・・」

「『雨上がりの空を茜色に染めた季節』」

「そう、それ!」

晴美は更に軽やかに笑った。改札口の前で、翔平は晴美の方を向いて立ち止まった。

「じゃ、それ観に行こうよ」

「え~? いいの? 翔平君、キングスナイパー派でしょ?」

「いいよ。その・・・雨上がり何とかっていうのも、観てみたかったし」

「雨上がり何とか、ね」

晴美が笑うと、翔平が悔しそうな顔で笑った。

「長いんだよ~、タイトルが」

ケラケラ笑い合った後、翔平が言った。

「今週の土曜、どう? 予定空いてる?」


 金曜。今日は学祭用に撮った映画の試写会だ。殆どの学生が集まっているが、その中に優子の姿はない。見終わると同時に、拍手が沸き起こる。ここ何カ月か共に作ってきたという達成感がピークになる瞬間だ。

「ヒロインの優子ちゃんが今日居ないのが残念だったなぁ」

一人が言うと、すぐに数名がそれに便乗する。その会話を傍らに聞きながら晴美が翔平をチラッと見るが、その表情からは何も伺い知る事は出来なかった。

 帰り際、川口に先日借りた折り畳み傘を手に、晴美が近付いて頭を下げると、そこに後から翔平も加わった。

「ありがとうございました」

「あの後凄い雷と雨になっちゃったから、こんな傘一本位じゃ、どうにもならなかったでしょ?」

「いえいえ。凄く助かりました」

そんなやり取りの後ろを晃が通りかかったのを川口が見つける。

「あっきー。そこの足元のコンセントも抜いてくれる?」

そう言ってから、再び川口が翔平と晴美に顔を向けた。

「これ一本であの雨ん中、相合傘で帰ったの?」

二人は顔を見合わせて、はっきりとしない応答をする。

「あ・・・まぁ、はい。でも、大丈夫でした」

それを聞き終えたか否か、語尾に被さる位に ふと思い出した様に、川口が言った。

「そうだ! 翔平からも、優子ちゃんに声掛けてやってよ。最近元気ないから」

「あ・・・はい」

そして翔平と晴美の背後でコンセントを抜いてコードを束ね終えた晃に、川口は声を掛けた。

「あっきーと晴美ちゃん、家近いんだよね? 一緒に帰るんでしょ? じゃ、出よ、出よ」

それを聞いて、翔平は川口に挨拶をした。

「じゃ、俺お先です。お疲れっしたぁ」


学校を後にした川口がバス停で別れていった後、残った晴美と晃の間には、未だにギクシャクとしたムードが大いに漂っていた。パンパンに膨れた風船に針を刺す様に、晴美は第一声を思い切る。

「この間は、傘・・・心配してくれてありがとう。あの後凄くなったけど・・・あっきー、大丈夫だった?」

「電車がちょっと遅れたりしたけど・・・うちの駅着いた時には大分小降りになってたから」

「そうなんだ。良かった」

「梅ちゃん乗る頃、電車遅れてなかった?」

晴美は遠慮がちに首を傾げた。

「もう・・・遅れてなかったと思う」

「そう・・・。じゃ、すぐ戻ったんだね」

「・・・かもね」

一瞬会話が途切れると、晃が小さく咳払いをした。

「川口先輩から傘借りた時・・・翔平も一緒だったんだ?」

「あ、そう。丁度一緒で・・・三人で帰ってたの」

晴美は足元を見つめながら会話をする。

「今日みたいな感じか・・・」

“今日みたいな感じ”とは“今みたいにすぐ二人きりになった”を意味している様な気がして、晴美は返事を濁した。

 また妙な空気になる前に、晃が明るい声で空気を切り替えた。

「明日から公開の映画でさ、『雨上がりの空を茜色に染めた季節』、梅ちゃん絶対観たいやつでしょ?」

「・・・どうして?」

晃はリュックから封筒を取り出した。

「ジャーン! 前売り買いました~。絶対梅ちゃん観たいと思って」

「・・・・・・」

「あれ? 梅ちゃん、興味なかった?」

「ううん。観てみたかった・・・けど・・・前売り買ったの?」

「そう。明日の昼間、行かない? 梅ちゃん、土曜はいつもバイト夕方からでしょ?」

「・・・・・・」

「あれ? もしかして予定あった? あ! バイト昼からとか?」

「あ・・・うん・・・バイトは夕方からだけど・・・」

口をまごつかせる晴美を見て、晃は手に持っていたチケットを下におろした。

「ごめん! 予定も聞かないで勝手に買っちゃって。交換とか出来るかもしれないからさ・・・」

無理に明るい声を張る晃。だから晴美は、その言葉を遮った。

「あっきー、ごめん! その映画・・・もう約束しちゃってるの。ほんと、ごめん!」

手に持ったチケットの行き場に迷いながら、晃は無理矢理笑ってみせた。

「あぁ、そうだったんだぁ。ごめん、ごめん。そうだよなぁ、確認すれば良かったんだよなぁ。・・・あっ! そうだ。これ、良かったら使ってよ。明日だけど・・・もしその人と都合が合うならさ」

晃もあえて“その人”と曖昧なままにする。晴美は晃の方を向いて、改めて頭を下げた。

「あっきー、ごめん! 気持ちは凄く嬉しかった。けど・・・チケットは・・・大丈夫」

「・・・その人と・・・いつ観に行くの?」

「・・・明日だけど・・・」

すると晃は、思い切ってチケットを再び晴美の前に差し出した。

「ほら。じゃあ、使ってよ、遠慮しないで」

晴美が手を出さずにいると、晃がまた半笑いしながら言った。

「あ! もしかして・・・向こうも前売り買ってるかもしれないもんね」

「・・・そういう訳じゃないけど・・・これは、使えない。ごめんね。私・・・自分の分お金払うから」

すると晃は瞬時にチケットを引っ込めた。

「梅ちゃんと一緒に とは思ったけど、まだあげてはいないんだから、梅ちゃんの分じゃないから気にしないで。俺、誰か別の友達誘うから」

「・・・ごめんなさい」

再び腰を90度曲げて謝る晴美に、晃が笑って言った。

「観たらさ、また今までみたいに感想、言い合おうよ」

晴美は黙って、もう一度頭を下げた。



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