第7話 溢れる想い
『今年も、多摩川の花火大会行く?』
晃から高校時代の仲間に向けてのメッセージだ。
『もち。行く~!』
『今年も浴衣で行くよ~!』
こんなメッセージが次々届く。そんな画面を眺めながら、晴美はふと浴衣姿の自分を翔平の隣に想像する。そんな晴美の頭の中を覗いていたかの様な邦恵のメッセージだ。
『今回は梅ちゃん、来られるでしょうね?』
「だよね~・・・」
晴美はそう独り言を呟きながら、OKのスタンプを送る。
次の日、晴美のバイトが終わる頃、晃がそのファミレスに姿を見せる。ドリンクバーのコーヒーを脇に 夏休みの課題をする晃のテーブルに、バイトを終えた晴美が近付く。
「あっきー、まだやってく? 私、帰るけど」
「待ってよ~。ちょっと梅ちゃんに相談したい事があって来たのに」
「相談?! 何なに~?」
「今度花火大会皆で行くじゃん? そん時、時生の誕生日、何かサプライズでやりたいんだけど、どう?」
「へぇ~、いいじゃん! 何やる?」
「例えばね」
晃がノートの空いている所に、書いて説明を始めた。
帰り道、サプライズ計画の骨子が決まった晃は、今から嬉しそうだ。
「楽しみだなぁ~」
晃がそう言って晴美を見る。
「上手くいくといいね。うん、きっと上手くいく。喜んでくれるよ」
普段より笑顔の度数が高い晴美を、隣を歩く晃がじっと見た。その視線に気付いた晴美は、きゃははははと笑って晃の腕をペシッと叩いた。
「何よ~」
「何か、良い事あった?」
「・・・なんで?」
「・・・嬉しそうだから」
晴美はハッとして笑顔を引っ込めた。
「そう? 別に」
大きな道路に沿った 割合明るい駅までの歩道を、晃は隣の晴美をじっと見ながら歩いた。
「・・・翔平と、何かあった?」
「なんでよ~!」
その声が妙に浮いていて、晴美が俯くと、少しして 晃がはははと笑った。
「分かりやすいな~、梅ちゃんは相変わらず」
「・・・・・・」
「水くさいよ、隠し事なんて」
「別に、隠してる訳じゃ・・・」
「今まで通り変わらずに・・・って言ったでしょ? 俺ら友達なんだから」
それでも口の重たい晴美に、晃がもう一段元気な声を出した。
「翔平と付き合う事になった、とか?」
「違う違う違う違う!」
首がもげるかと思う程、晴美は首を左右に振った。
「全然全然、そんなんじゃない! ただ・・・」
勢いで語尾に『ただ・・・』とくっ付けてしまったから、晴美はその続きを言う羽目になる。
「小学校の時の同級生に似てるって話、前にしたでしょ? やっぱりね、あれ翔平君だったらしいの。それが、この間話してて分かって・・・」
「へぇ~。でも苗字違ったんじゃないの?」
「親の離婚とか・・・色々あったみたい」
「なるほどね」
下を向いて黙々と歩く晴美を、晃は眺めながら言った。
「梅ちゃんが初恋の人に再会した喜びか」
「小学生の頃の話で盛り上がってね。私が覚えてる事、向こうは覚えてなくて、向こうが覚えてる事、私は覚えてなかったりしてね。面白いよね~。小学校卒業後引っ越しちゃってからは音信不通だったし、まさか大学で再会するなんて思ってもなかったから。ただ・・・それだけ」
その言い方が、晃のアンテナに引っ掛かる。
「翔平にとっても、初恋の相手との再会だったわけだ」
隣で晴美は、緩む頬を必死で抑えているのが分かる。
「ただ、クラス会で懐かしい人に会った感じ。それが偶然だったから、驚いたってだけだよ」
駅前に着いて、笑顔で別れた後、一人になった晃は重たい溜め息を吐き出して改札への階段を昇って行った。
映画研究部のグループチャットにメッセージが来る。
『今週の土曜日、午後から編集作業をしようと思います。来られる人はお手伝いお願いしま~す』
今週の土曜とは、花火大会の日だ。次々と、
『ごめんなさい。その日パスで』
とか、
『暇人なんで行けま~す』
とか返信が集まる。その中に晃からも返事が入る。
『すみません。その日は行かれません。また別の機会にお手伝いします!』
そして少し経って、翔平からのメッセージだ。
『その日バイトが2時までなんで、それ終わってから行きます』
それを読んだ晴美の心が揺れる。すると、まるでそれを見ていたかの様なタイミングで、邦恵からのメッセージだ。
『時生の誕プレ、梅ちゃんもう買った?』
『まだ。今迷い中』
『花火大会の日、少し早く待ち合わせして、一緒に買いに行かない?』
晴美は、
「そうだよね・・・。そういう事だよね・・・」
と独り言を呟いて、返信メッセージを打ち込んだ。
『いいよ。そうしよう』
次の日になっても、部のグループチャットに優子からの返信はない。きっと行くなら、返事を返す筈だ。そう読んだ晴美は、密かにほっと胸を撫で下ろしていた。そして、今度は翔平にメッセージを送ってみる。
『サークルの編集作業の日、翔平君行くんだね?』
『うん。晴美ちゃんは?』
今日はすぐに返ってくる。バイト中ではなかった様だ。最近晴美と翔平は良くこうして連絡を取る。あの日以来、二人の距離は確実に縮まっていた。
『ごめん。私、その日行けないんだ』
『残念』
サークルで会えない事を『残念』と言ってくれる翔平に、自然と晴美の心が浮足立つ。向こうは軽い気持ちだと自分に言い聞かせながらも、ウキウキしているのが分かる程だ。
『編集、楽しそう』
晴美は、会話が終わらない様に話題を繋ぐ。
『だよね。どんな風に作業するのか見てみたくて』
『行けないの、残念』
『一回じゃ終わらないんじゃない? またきっと次の機会があるよ』
『だといいんだけど』
また終わりそうになる会話を、必死で繋ぎとめる晴美だ。
『東京花火大祭って、知ってる?』
『知らない。隅田川のはテレビでやってるの見た事あるけど』
『有名だもんね、隅田川の』
『なんで? 行ったの?』
言葉を選ぶ晴美の内心は、ハラハラドキドキが止まらない。
『ううん。お台場海浜公園から見るんだって。どんなかな?と思って』
『人、凄そう』
晴美は小さい溜め息をつくが、気を取り直してメッセージを返す。
『翔平君、人ごみ 苦手?』
『別に、そういう訳じゃないよ』
晴美は大きく息を吸い込んで、自分に勢いをつける。
『今年は8月25日だって。翔平君、もし予定なかったら、行ってみない?』
お台場での花火大会なんて、完全にデート色の強いイベントに自分から誘ったら、翔平は一体どう思うんだろう。そんな不安を抱えながら、返事を待つ晴美だ。でも、この間から最近までの様子からすると、そんなに引く事はないだろうと、ほんの短い時間でも祈る晴美だった。
そして翔平から、待ちに待った返事が来る。
『ごめん。その日、ダメだ』
『そうなんだ。全然平気。気にしないで。思いつきで聞いただけだから』
まるで晴美の中で砕けた心の音を隠す様に、ベラベラ喋りまくるみたいなメッセージを送る。
一見チャラチャラしていて、女の子からの誘いは誰からでも どんなんでも乗っかってしまいそうな翔平だが、意外にそうではない。優子からのジブリ美術館の誘いも、晴美に義理立てして断った事実がある。案外、勘違いさせる様な言動は控えたりするタイプで、軽い様で芯がしっかりブレないのが翔平という人間なのかもしれない。そんな事を考えると、晴美の中に当然疑問が生まれてくる。
『ごめん。その日、ダメだ』
本当にその“日”が駄目なのか、それともカップルがする様なデートは誤解を生むから断ったのか・・・? 晴美は、血迷ってお台場の花火大会なんかに誘った自分を、深く後悔するのだった。
多摩川の花火大会当日。浴衣姿の女子三人組が揃う。
「邦恵の帯、去年と違う~」
「可愛いでしょ? バイト代で買った!」
「麻美の帯の結び方、可愛くない?」
「でしょ?でしょ? ネットで調べて、可愛かったからお母さんにやってもらった」
「いいな~。私も来年やってみよ~」
会ったその瞬間から、高校時代に戻った様な空気感が広がる。
誕生日プレゼントを買った女子三人組が、時生と晃に合流する。
「梅ちゃん、久し振り~。ボーリングん時に居なかったから、卒業式以来やな~」
「元気にしてた?」
「見たまんまや! それより梅ちゃんはどうよ? ボーリングん時にデートした男とは」
他の三人の視線が晴美に集まる。
「いやいやいやいや。待って待って。全然そんなんじゃないから」
言い終わる前に、晴美の視線は晃へと向けられる。
「あっきー、変な事言った?」
「俺? 言ってない、言ってない!」
慌てて否定する晃は、すっとんきょうに目を見開いている。その様子を見て晴美が、今度は視線を女子二人に移した。が、二人共ぶんぶん頭を左右に振っている。
「知らない、知らない」
「ってか梅ちゃん、ボーリングの日、やっぱ男とデートだったの?」
邦恵が食いついてきて確認するその目は、すっぽんの様に鋭い。それに耐えかねた晴美は、知っている限りの言い訳を頭の中に準備する。
「やめてよ~。そんなんじゃ本当ないんだってばぁ! 同じ学部の友達で・・・ただ先に予定入れちゃってたから、断るのも悪くって。あっ、そうそう。その人、小学校の時の同級生で。だから、ただの友達。全然変な気とか無いから」
晴美は言いながら、皆のリアクションを確認する。しかし一人だけ、晃の顔だけは見られずにいるのだった。晴美が必死になって喋れば喋る程、皆のニヤニヤ度が増していくのを感じて、一旦口を閉じた。そこを救ったのが晃だ。
「行こうよ。混んじゃって進めなくなるよ」
その一言を合図に屋台の方へ歩き出した五人だったが、晴美の隣を歩く邦恵がコソコソッと耳元で聞いてくる。
「今日は良かったの? その幼馴染みと一緒に花火大会来なくて」
「別に。それに、向こうはサークルの用事があるし」
言ってから、慌てて付け足す晴美。
「っていうか、それ以前に、別に花火大会とか一緒に行く様な仲でもないし」
「へぇ~・・・」
「やめてよ~、皆で変な風に言うの」
屋台でたこ焼きや唐揚げ、焼きそば、フランクフルトと皆で両手いっぱいの食べ物を抱えて、いつもの場所に向かう。段々に陽も落ちて 暗くなり始めると、いよいよ花火大会の始まりを予感して、皆の期待値が上がってくる。
いつもの土手に腰を下ろして、一発目の打ち上げを待つ間、麻美が言った。
「いつまでこうして五人で花火大会来られるのかなぁ」
「ずっと。一生来られる」
時生が空を仰ぎ見ながら、大きな声でそう言った。
「彼氏彼女が出来ても、一緒に皆で来ようよ。どんどん人数増えたりして、それも楽しいんじゃね?」
「結婚して旦那さんや奥さんとか子供とか、皆一緒に。ね?」
麻美も賛同する。
「就職して転勤とかしても、一年に一回、この日だけは帰ってくる」
時生を先頭に話す皆の将来の姿が、暗くなり始めた空に、ぼんやりと思い描かれる。晴美は考えるのだった。もし翔平と付き合う様な事があったとしたら、この花火大会の日に、晃もいるこの輪の中に翔平を連れてくる事が出来るのだろうか?
その時だった。一発目の花火が、夜空いっぱいに大きく花開く。
「おお~」
いよいよ打ち上がった一発目に対して、内輪で拍手が沸き起こる。
例年通り 飲んだり食べたりしながら、一時間近く夜空を彩る花火を満喫した後、五人はパラパラと立ち上がる。
「さ! 名残惜しいけど、帰るか」
そう時生が言うと、晃が駅と反対側を指差した。
「あっちのさ、昔皆で良く行った場所、久し振りに行ってみない?」
「あ~、懐かしいね」
晃の目配せに、女子三人もアイコンタクトを交わす。
「じゃ、ちょっと行ってみっか」
予想通りの時生の返事に、皆がサプライズに向けてドキドキ胸を高鳴らせる。駅に向かう人の流れに逆流する様に、五人がその場所に向かう。
「今年は雨降んないで良かったよね~」
そんな呑気な会話で時生を予定の場所にいざなう四人。そしていよいよ、晃が計画を実行する一言を発した。
「かき氷食べたかったなぁ」
「私はりんご飴!」
「あ! 私も!」
「じゃあさ、男子はかき氷。女子はりんご飴。手分けして買いに行こう。向こうで待ち合わせね」
晴美が先頭を切ると、その目の前には、まさか翔平の姿があった。ぞろぞろと人混みの中でも分かる。確実に隣にいるのは浴衣姿の艶やかな優子だった。
「あ・・・」
そう呟いて、晴美の足が止まる。
「どうした? 梅ちゃん。早よ、行こうや!」
地面に吸い付いた晴美の足が完全に躊躇しているのを感じて、追い越した邦恵と麻美も立ち止まった。
「あれ~、梅ちゃんも来てたの?」
優子のキラキラした笑顔が眩しい。
「はい。高校の時の友達と」
「綺麗だったよね~。どこで観てたの?」
晴美は来た方を振り返って、さっき居た土手を指差した。
「あっちの土手で・・・」
すると、その指差す方を見た優子が晃を見つけて、また黄色い声を発した。
「あっきーも?! あっ! そっか。梅ちゃんとあっきー、同じ高校だったんだもんね」
晴美の後ろを歩いていた筈の晃達も、すっかり立ち止まっている。
「こんばんは」
晃がそう挨拶をすると、優子が少しテンション高めの声で話し始めた。
「こんな所で偶然会うなんて、なんか嬉しい~。こんだけの人混みで、よく会えたよね~」
「ほんとですね」
晴美の代わりに、晃が優子の相手をする。
「ねぇ、逆流してない? どっかまだ行くの?」
「あ・・・ちょっと」
晃が口ごもるから、晴美がそこを割って入る。
「まだ食べたい物あって。かき氷とか買いに行こうかって」
「あ! それなら、ちょっと戻る事になっちゃうけど、紫の暖簾のかかったこっち側のお店が、ふわふわの氷で美味しかった。ね?」
そう言って、優子は翔平に同意を求める。思いがけなく好都合の立地の屋台を紹介され、晃が対応する。だから晴美は、居心地の悪いその場を一刻も早く離れたくて早口になる。
「分かりました。ありがとうございました。じゃ、あっきー、よろしくね」
「ごめんね、引き止めて」
「いえ。じゃ」
晴美が足早に歩き出そうとしたところで、優子が待ったをかけた。
「この辺、お薦めのお散歩コースなんかある?」
「・・・・・・」
晴美の喉が詰まる。すると時生が会話に割って入った。
「デートするにはあっち側の土手がいいっす。結構景色も綺麗に見えるし。橋渡ってかなくちゃいけないですけど」
「ありがと」
優子は初対面のその時生に にっこり微笑んだ。
「橋って・・・このまま行けば渡れる?」
続いての優子からの質問に時生が答えようとすると、晃がそれを遮った。
「翔平、多分知ってますよ。この辺知らない土地じゃないから」
さっきからずっと両手をポケットにつっこんで、俯き加減でその場をやり過ごしている翔平の腕を、優子が掴んだ。
「そうなの? じゃ、安心だ。ねぇねぇ。帰るにはまだ早いし、せっかくだから、もう少し散歩してみない?」
再び翔平の返事を聞く前に、晴美は足早に歩き出す。そして隣の二人に明るい声で言った。
「ごめんごめん。遅くなっちゃって。サークルの先輩。今の内に、先に行っとこ」
邦恵が晴美の様子をじっと見つめる。晴美はベラベラと喋り続けた。
「時生がりんご飴食べたいって言わなくて良かったよね~。もし『俺もりんご飴食べたい』なんて言われたら、計画狂っちゃうもんね~。それにしてもさぁ、あっきーの氷、イチゴ味って笑えない?」
「私も思ったぁ~」
麻美がそれに乗っかる。
「でしょ、でしょ?『あっきー、イチゴって!』って内心ツッコんでた」
いつもより不必要にテンションの高い晴美に、邦恵が質問する。
「ねえ、梅ちゃん。今の先輩の事、嫌いでしょ?」
「え?! 別に~。綺麗で優しい先輩だよ」
「本当?!」
まだ疑わしい顔つきで、晴美を見ている。
「ほんと、ほんと。全然嫌いじゃない。むしろ・・・憧れちゃう。ま、無理だけどね。全然タイプ違うし」
「ねぇ、その隣に居たのって・・・誰? あれもサークルの先輩?」
「あれは、先輩じゃない。私とかあっきーと同級生」
「・・・あの人の彼氏?」
「・・・付き合っては・・・いないと思う」
邦恵と麻美から、何の相槌もないから、晴美がまた代わりに喋る。
「お互いに・・・好きなのかもしれないけどね」
それを聞いた邦恵が、晴美の肩に手を回した。
「もしかして・・・さっきの同級生って・・・梅ちゃんの幼馴染み?」
「え?!」
そのリアクション一つで納得した邦恵は、回した手で晴美の肩をポンポンと叩いた。
「ドンマイ!」
「え~? 何~? どういう事~?」
麻美が話について行けず、声を上げてねだる。
「梅ちゃん、慰めてあげよ、うちらで」
左手は晴美、右手は麻美とぎゅっと腕を組んでくる邦恵を、晴美は押しのけた。
「心配ご無用ですぅ!」
すっかり人混みから離れた予定の場所に辿り着き、等間隔でそれぞれに用意したプレゼントを足元の草むらに置く。そして、その背後になる辺りの川岸に打ち上げ花火をセットする。
「で、最後のプレゼントまで辿り着いた所で、梅ちゃんが花火に着火ね」
準備が整った頃、かき氷を食べながらのんびりと晃と時生が到着する。
「りんご飴食べられた?」
「見つけられなかった」
「俺、見たよ。買ってきてあげれば良かったね。代わりに、一口氷食う?」
そんな会話を交わしながら、時生が辺りを見回した。
「懐かしいなぁ、ここ。毎年花火大会の後は恒例でここ来て、バカ騒ぎしてたよなぁ」
そんな時生を囲んで、四人が突然ハッピーバースデーを歌い出す。驚いている時生だが、歌が終わるのを待って、お礼の一発芸を披露する。高校時代の様な馬鹿笑いが起こった後、プレゼントに誘導する。一人ずつのプレゼントを開けては、一回一回新鮮なリアクションをしてみせる時生は、そのパフォーマンス力の高さで、皆を飽きさせない。これも昔からだ。晴美のプレゼントを開けて、次の麻美のプレゼントへ進んだ頃、向こう岸では薄暗い中に小さな人影が動く。それに気が付いているのは晴美だけだったが、嫌な胸騒ぎがして目を凝らすと、その人影は、さっき偶然会った翔平と優子の二人だった。ゆっくり歩いているだけの二人なのに、晴美はその行方から目が離せない。立ち止まっても、翔平はさっきと同様にポケットに手を入れているが、優子が時々腕に触れている様子まで見えてしまう晴美は、自分の視力の良さを恨むのだった。時々遠くであははははと笑う優子の楽しそうで軽やかな声がこだまの様に聞こえてきて、そのうち二人は芝生に腰を下ろした。もしかしたら手なんか繋いでしまっているかもしれない・・・とか、ムードとか勢いでキスしてしまうんじゃないかと思う程、どっからどう見ても普通のカップルの影に、晴美は夏の合宿での撮影を思い出す。二人の仲睦まじい様子は見慣れている筈だ。あの三日間で嫌という程免疫が出来た筈と自分に言い聞かせる晴美だ。この間晴美が誘った お台場の花火大会を翔平が断った理由は、今目の前に見えるあの光景が全ての答えだと納得した頃、晴美を後ろから誰かが突く。
「梅ちゃん!」
慌てて我に返って振り返ると、そこには邦恵が立っていて、花火の方を指差している。時生も最後のプレゼントを開け終わって、その場の空気が間延びしかかっていた。慌てて走って着火すると、ヒュルヒュルヒュルヒュル~と打ち上げ花火が夜空に高く昇って、小さくパーンと花開いた。四人の拍手が沸き起こる中で、時生がさっきとは違う一発芸で応える。
「皆、マジありがと」
「ほんとはね、もっといいタイミングで花火が上がる予定だったんだけどね」
冗談ぽく笑いながら暴露する邦恵の言葉を聞いて、晴美がオーバーリアクションで懺悔をした。
「ほんとマジごめん!」
「感動して段取り忘れちゃったってぇ」
邦恵が笑いに変える。
五人は高校時代の様に、何する訳でもないけれど、その場で戯れ いくら時間があっても退屈はしない。
「やっぱこの五人でいると、楽しいわ~」
邦恵のその一言がきっかけとなり、五人それぞれが“そろそろ帰る時間”だと自覚する。駅の方へ歩き出した後も、晴美は向こう岸の二人を時々振り返る。遠ざかって小さくなった影が、暗闇の中でもう見つけられなくなると、ようやく晴美は振り返るのをやめた。すると邦恵がポンと肩に手を乗せて言った。
「失恋しましたかぁ・・・梅さん」
「冗談やめてよ~」
「いいって、いいって。無理しなくても。そんな梅ちゃんも可愛いよ」
頭をポンポンする邦恵を、晴美はギロッと睨んだ。
「完全にからかってるでしょ?」
「あら~、よくご存じで~」
ケタケタ笑い転げている二人を見て、時生が寄ってくる。
「随分楽しそうだね。どうしたの?」
「あのね~、梅ちゃんの初恋が、今宵夜空に散った花火の様に儚く砕けたのであります」
晃がちらっとこちらを見た。晴美は邦恵の腕を引っ張った。
「皆 勘違いする様な事言わないでよ~。相変わらず声でかいし」
「何? 失恋?・・・の割に楽しそうだね」
時生も軽いノリで会話に参加する。すると、今度は麻美だ。
「待って待って。失恋って・・・そもそも梅ちゃん好きな人いたの? 全然聞いてないんだけどぉ~!」
麻美がキョロキョロする。
「もしかして、知らなかったの私だけ?・・・あっきー、知ってた?」
晃は黙って首を傾げた。
「水臭くな~い? 梅ちゃん。同じ大学に通ってるあっきーにも言ってないなんてぇ」
「だからぁ・・・」
呆れて 一から訂正するのが面倒になった晴美は、それだけ言って大きな溜め息をはぁ~っと一回、思いっきり吐き出した。すると、邦恵が手を挙げて発言宣言をする。
「ごめん! つい梅ちゃんいじりたくなっちゃって・・・」
「邦恵の悪い癖だよ」
そう言ったのは晃だ。
そんな風にわいのわいの帰る道々楽しく歩いていると、嘘の様な偶然が再び訪れる。さっきまで向こう岸に居た筈の優子と翔平が、目の前から歩いてくるではないか。先頭を歩いていた晃の微かな『あっ・・・』という声に気付いた邦恵が、二人に気付くなり、とっさに晴美の腕をガシッと掴んだ。
「何?」
邦恵がぎこちない笑顔で微笑んだ。
「大丈夫だから、梅ちゃん」
「・・・はぁ?」
晴美が邦恵に気を取られている間に、先頭の男子二人が立ち止まって何か会話が聞こえてくる。
「又会っちゃったぁ~! 何このタイミング。凄くない?!」
あははははと笑う聞き覚えのある声の主を確認する為、晴美は長身の晃と時生の隙間から視線を覗かせた。
「・・・・・・」
相変わらずポケットに手を突っ込んでいる翔平だったが、その腕に軽く手を触れている優子。その光景を見つけてしまった晴美の動物的勘が、全身を硬直させた。
あの花火大会の日以来、晴美は翔平に連絡を取っていない。小学校の時の初恋の相手だと分かって、勝手に盛り上がって 勝手に失恋した感じになっている滑稽な自分に、気が付くと溜め息をついている。ふと気付くと、翔平からも連絡はない。晴美は今までの翔平とのやり取りを読み返してみる。最初の頃は、翔平からの誘いもあったが、ここ最近は、晴美からばかりだ。文章を読んでも浮かれているのが分かる。翔平も『勘違いしてんじゃね~よ』なんて思っているかもしれない・・・等と思うと、当分夏休みの期間に救われた思いになる晴美だった。
9月に入って、サークルの連絡が入る。
『第2回、編集作業したいと思います。集まれる人、お願いしま~す』
次々と返信が集まる中、翔平の返信はない。優子の返事もまだだ。すると晃が個人的に晴美に連絡を入れてよこす。
『編集、行く?』
『あっきーは? 行くの?』
『行ってみたいなぁと思って』
晴美の気持ちも揺れる。
『一緒に行ってみない?』
晃に誘われるままに身を委ねる事にして、二人は参加の返信を返した。
当日、晃と晴美が部室に顔を出すと、そこにはもう先に優子が来ていた。
「あ~、この間はどうも~」
「何? この間って」
川口が当然の質問をする。
「この間偶然花火大会でばったり会って」
「いいね~、一、二年生は青春を謳歌してるな~」
「先輩、もう就活も終わって、単位もバッチリで、あとは卒業待つのみですか?サークルに時間割けるなんて、余裕ですよね」
他に集まっていた仲間が、自然と会話に参加する。
「あとは、卒論だね。でもこの映画の作業が良い気分転換になってるから」
同じ映像を何回も見ながら、晴美は夏の朝霧高原での合宿を思い出していた。自分が書いた台本なのに、翔平と優子が仲睦まじく過ごしている様は、未だに胸が締め付けられる様だ。
意外と緻密な編集作業が進む中、もう外は暗くなり始めていた。その時だ。ドアがガチャッと開いて、買い物袋を下げた翔平が慌ただしく入ってきた。
「お疲れ様です! 間に合いました?」
「あと一息だから、やっちゃおうって。時間大丈夫な人が残ってくれてる」
先輩にそう説明を受けた翔平がテーブルの上に買い物袋を乗せたのを、川口がチラッと見た。
「おお、差し入れ買って来てくれた? サンキュー!」
おにぎりやパン、飲み物にお菓子等広がったテーブルの上に、皆思い思いに手を伸ばす。その時、優子が翔平に話し掛けた。
「バイト、終わるの遅かったの? もう少し早く来るかと思ってた」
まるで本当の恋人同士みたいな自然すぎる会話を聞いて、晴美は再び肩を落とす。編集している画面を覗き込む翔平の隣に、花の蜜を求めて自然と蝶が吸い寄せられていく様に、優子が近付いた。
「あ! おかえり、だね」
二人だけの会話みたいな声の大きさで話すから、思わず晴美の耳だけが向きを変える。
「え? あ・・・ですね」
「おめでとう」
「あ・・・ありがとうございます」
コソコソした声だから、二人がより一層親密に見える。しかし、翔平の語尾が敬語なのも引っ掛かるところだ。二人が付き合っていないという証拠なのか、それとも皆の手前・・・というヤツだろうか。晴美の頭の中は忙しい。
すると突然思い出した様に翔平が、リュックからお土産らしき箱を取り出した。
「これ、ちょっとですけど、皆さんでどうぞ」
「どっか行ってきたの?」
「合宿免許、取り行ってきました」
「おう! おめでとう。じゃ、来年の夏の合宿は、翔平運転手、決まりね」
「それまでに練習しとかなくちゃ」
すると川口が一旦手を止めて、背もたれに寄り掛かった。
「あ~、その頃俺、もういないんだぁ!」
「だから、先輩、OBとして参加して下さいって」
「そうそう。先輩んちの車、デカくて重宝だったし」
「何だよ~、俺呼ばれんの、そういう理由?」
「いやいや、違いますよ~」
和気あいあいとしたムードが立ち込める中、翔平が急に、いつもより一段高い声を上げた。
「あ! 俺、車ないっすよ」
「大丈夫、大丈夫。レンタカーって年もあるから」
編集作業が最後まで終わった時には、夜の9時近くなっていた。
「トイレ行ってくるから、外出たとこで待ってて」
晃が晴美に言う。皆口々に『お疲れ様でした~』と元気な声を交差させながら、晴美を追い越していく。そんな時、翔平の傍には決まって優子がいる。
「翔平、一緒に帰ろう。あ、ご飯食べてく?」
すると翔平は足を止めた。
「あっきーにちょっと課題の事聞きたくて。だから、すみません。先帰ってて下さい」
「あ・・・おっけ。じゃ、またね」
笑顔で手を振って去って行く優子の後ろ姿には、哀愁が漂っている。しかしそんな事気にも留めていない様子の翔平が、くるっと晴美の方に向きを変えた。
「一緒に帰ってもいい?」
「・・・あ・・・あっきーと?!」
「晴美ちゃんと」
名前の後の一文字が『と』だったのか『も』だったのか、晴美には良く聞き取れなかった。この二文字の差は、音の差以上に大きい。
「あっきーが今来るけど・・・」
晴美の心臓が不必要にドクンドクンと大きな脈を打つ。お台場の花火大会を断られて以来の二人の会話だ。そして久し振りの生の翔平に、晴美のドキドキが止まらない。殆どパニック同様の頭をフル回転させ、何とか話題を見つけ出す。
「免許、取りに行ってたんだね」
「そう。その為にバイトしてた」
「あっ、そうだったんだぁ」
「ごめんね、せっかくお台場の花火大会誘ってくれたのに、合宿の予定が入ってたから」
晴美の頬が雪解け水の様に、緩やかにほぐれていく。それは、ここ最近1ヶ月以上塞がっていた胸の重たい蓋が、急に風で吹き飛ばされた様に、笑顔が弾ける。
「運転練習して上手くなったらさ、その時はどっかドライブ行こうよ」
晴美が即答しようとした時、後ろから晃の声がする。
「ごめん。お待たせ」
晴美が振り返ると、珍しくちょっと不機嫌そうな顔をしている。
「翔平君がね・・・」
ボソボソっと晴美が言い掛けたところで、翔平がいつもの元気な調子で晃に言った。
「一緒に帰ってもいい?」
「・・・ああ」
三人で駅まで歩く時間は、何とも言えない空気が漂っていて、その雰囲気に呑み込まれてしまいそうになる自分に、必死でブレーキを掛ける晴美だ。
「夏休みの課題、進んでる?」
とか、
「高校と違って、まだこの時期に入っても夏休みが続く感じ、得した気分になるよね」
とか、晴美なりに会話を生み出してみるが、長続きはしない。すると当然出来た隙間に、翔平が晴美だけに話し掛けてくるから、気まずさはピークを迎える。
「翔平さ・・・」
突然、晃が切り出した。
「優子先輩と付き合ってんの?」
「いや」
「でもさ、優子先輩、かなりお前の事・・・」
「そうかな?・・・ま・・・そうかもね」
晴美を挟んで両側から飛び交う会話が、肌をピリピリと刺激する様に痛い。
「お前も、好きなの? 優子先輩の事」
晴美の心臓が一瞬止まりそうになる。しかし一方の翔平は、ヘラヘラしている。
「何、急に? いきなり恋バナ?」
「ちげ~よ! 好きでもないなら、思わせぶりな態度取んなよ」
晃はイライラを露わにする。しかし、翔平はまた笑った。
「何? 今度は説教っすか?」
いたたまれなくなった晴美は、何とか最後の爆弾に火が付かない様に、思いついた言葉で割って入る。
「ねぇねぇ。あの・・・」
その後に続く話題を考えている隙に、それを完全に無視する様に晃が声を荒げた。
「そうだよ。見てると不愉快だよ。優子先輩の気持ち分かってんのに、その気がないならはっきり断るべきだし、もし少しでも優子先輩と付き合おうとか思ってんなら・・・梅ちゃんの事とか軽々しく誘ったりすんなよ!」
思わず口がぽか~んと開けっ放しになる晴美をよそに、翔平も応戦してくる。
「へぇ~、随分上から目線の忠告ありがと。俺が誰と話そうが、遊ぼうが関係ねぇだろ?」
「ああ、関係ねぇよ。でも・・・お前のその中途半端な態度で傷付いてる人もいるって事だよ」
翔平は晃の顔をじ~っと見つめてから、薄ら笑った。
「結局は、俺の晴美にちょっかい出すな!ってか?」
挑発する様な翔平の言い方に、真ん中に挟まれている晴美は気が気ではない。めったに怒らない晃から、湯気が立ち昇っているのを感じ、晴美が腕を引っ張って止めようとしたところで、翔平が続けた。
「俺、すぐ『べき』とか使う奴大っ嫌いなんだよね~。どんだけ偉いんだっつうの! 世の中、お前の常識が全てじゃねぇんだぞって」
更にあおる翔平に、晴美が見かねて声を挟む。
「翔平君・・・ちょっと言い過ぎじゃ・・・」
すると、晴美と一瞬目を合わせた翔平の瞳は、とても悲し気な色を放った。
「やっぱこういう時は、長年の友情が物を言う訳だ・・・」
「違う。どっちの味方とかじゃなくて・・・仲良くやろうよ・・・」
晴美が何とか絞り出した声でそう訴えると、翔平は口を閉ざした。
暫く険悪なムードのまま三人が駅までの道を黙々と歩く。聞こえてくるのは、三人三様の足音だけだ。その沈黙を破ったのは、翔平だった。
「晴美ちゃん、さっきのドライブの話、忘れて。ごめん、一緒に帰るなんて言って。俺、先行くわ」
一方的にそう言い放つ翔平に、晴美の口が金魚みたいにパクパクするだけで、喉の奥から声が出て来ない。早足で去って行く翔平は、あっという間に人の波に紛れて見えなくなった。ふと悲しみでいっぱいになった晴美に、晃が声を掛けた。
「梅ちゃん・・・」
何かを言い掛けた晃に、晴美はリュックの肩ひもを両手でぎゅっと握りしめて叫んだ。
「あっきー、なんであんな事言ったのよ!」
「・・・え・・・」
「私別に、翔平君が優子先輩好きだっていい。二人で話したり遊びに行ったりできるだけでいいのに・・・。何であんな事言ったのよ・・・」
溢れる涙を隠す様に、晴美は下を向いて駅の方に向かって走って行った。