第4話 好きとやきもちの交差点
月曜の朝、いつもの様に電車で合流する晃と晴美。
「おっす」
「おは」
しかし今日は、二人の間に妙な間がある。あくびをする晴美を晃がみつけた。
「昨日、バイト何時までだったの?」
「11時。日曜だったから混んでて疲れた」
バイトの感想を聞いていたのかいないのか、晃は相槌もなく次の質問を投げてよこした。
「翔平とは・・・楽しかった?」
「あ・・・まぁ・・・」
その後の会話は続かない。昨日翔平に言われた『あっきーとベッタリ過ぎない方がいいよ』という言葉が、晴美の頭の中に思い出される。
「今日さ、あっきー二限無いよね?」
「うん」
「私、二限取ってる友達とお昼一緒に食べる約束してるから、待っててくれなくていいよ」
「・・・分かった」
一限が終わって晴美が席を立つ。
「じゃあね。また後でね」
「三限、席取っとくね」
晃のその答えに、晴美が躊躇する。
「あ・・・うん。ありがと」
二限目の授業を終えた晴美が、最近仲良くなった隣の栞に声を掛けた。
「ねぇ、お昼一緒に食べない?」
「いいよ」
にっこり微笑む栞に、ほっとする晴美だ。
「福島から出てきたんだぁ~」
学食のテーブルで、おかずパンを頬張りながら、晴美と栞が会話をする。
「じゃ、一人暮らししてるの?」
「ううん。お姉ちゃんと二人で住んでる」
「いいなぁ、お姉さんいるんだ?」
「晴美ちゃんは? 兄妹いる?」
「弟一人ね。でもさ、ラグビーやってて がたいがいいからさ、な~んか弟って感じしないよね。小さい頃は『お姉ちゃんお姉ちゃん』なんて寄って来て、可愛かったのにさぁ」
「今高校生?」
「そ。高校2年。私と話すのも面倒臭そうにされると、カチン!ときちゃう」
晴美があははははと笑うと、栞も一緒に笑った。
「その点、お姉さんはいいよねぇ。女同士一緒にショッピングしたりさ、恋バナとかも出来るでしょ?」
「そうだね」
栞の笑顔は柔らかい。一緒にいる晴美の心をふんわり包む。
「でも、娘が二人共家出ちゃったら、ご両親は寂しいだろうね?」
栞は首を傾げた。
「どうかな? うち4人兄弟で、下にまだ二人いるから」
「え~っ?! そうなの?」
「弟二人」
「今いくつ?」
「小学生と中学生」
「あ~、まだ可愛いでしょ? 今を楽しんでね。もう、すぐ声変わりして、髭なんか剃る様になっちゃって、『ああ』とか『うん』とか単語しか喋らなくなっちゃうから」
話していく内に、栞は高校で、晴美は中学で吹奏楽部だったという共通点も見つかる。
「楽器は?」
「クラリネット。栞ちゃんは?」
「私はトロンボーン」
「管楽器繋がり~」
二人はハイタッチをしてケラケラと笑顔を転がせた。
楽しいお喋りと共に昼食を済ませると、時計を見て晴美がゴミをくしゃっと丸めた。
「私、三限あるんだ。もうそろそろ行かなきゃ」
「楽しかった。ありがとう」
「私も。また一緒にお昼食べようね」
軽い足取りで晴美が教室に向かう途中、後ろから誰かが声を掛ける。
「晴美ちゃん!」
振り向くとそこには翔平の姿があった。
「これから?」
そう言って翔平は教室の方向を指差した。
「あれ? 翔平君も同じだっけ?」
同じ教室に向かう途中、翔平が昨日の話題を出す。
「昨日、ちゃんとバイト間に合った?」
「うん。バッチリ」
「ファミレスだっけ?」
「うん。立ちっ放しでしょ? ボートとフリスビーではしゃぎ過ぎたつけが、最後の方で足にきた」
翔平があははははと笑い飛ばすその声と共に、教室に入る。晃の視線が晴美と合う。
「どの辺に座る? 後ろの方にする?」
席を探す翔平に、晴美が晃の方をチラッと見ながら言った。
「あ・・・あっきーが席取っといてくれてるから・・・」
「あ・・・そうなんだ」
二人で晃の席に近付くと、翔平が先に挨拶をした。
「おっす」
「・・・おっす」
晃も調子を合わせる。晴美は隙間が出来ない様に続けた。
「席・・・ある?」
晃の隣に晴美用に取っていた席は一つあるが、その周りには他の学生の荷物が置かれてある。
「三人は、座れないか・・・」
晴美が言うと、翔平が教室を見回した。
「後ろなら、全然空いてるよ。後ろ行く?」
「あ・・・どう・・・する?」
晴美が晃の顔を窺う。
「俺はもういいや、ここで。後ろ行くなら、二人でどうぞ」
目を合わせないが寂しそうな晃に、晴美も返事を渋る。しかし翔平は譲らなかった。
「じゃ、後ろ行こ」
「・・・・・・」
翔平の言葉を聞くなり、晃が晴美の為に取っていた席から荷物を避けた。
「ねぇ、あっきーも一緒に後ろ行こうよ」
「いいよ。全然気にしないで」
動く様子のない晃に、晴美は翔平の方を向いた。
「ごめんね。あっきーに席取っといてって頼んでたから・・・私、今日ここ座るね」
「おっけ。わかった」
潔く後ろに行く翔平を、待ってましたとばかりに女子達が声を掛ける。
「翔平! こっち空いてるよ~」
「おう! サンキュ」
そんなやり取りを背後で聞きながら、晴美は椅子に腰を下ろして、教科書を取り出した。すると晃が晴美に聞いた。
「昼一緒に約束してたのって、翔平だったんだ?」
晴美はむやみに慌てて返事を返した。
「ううん。今偶然そこで会って・・・」
「・・・良かったの? 一緒に座んないで」
「あ・・・うん、別に」
妙な空気に、晴美は小さく溜め息をついた。
授業が終わると、無言で荷物をリュックにしまう晴美と晃。そこに翔平が現れた。
「今日はお二人さんは部に顔出す?」
「俺、バイトだから」
「晴美ちゃんは?」
その呼び方に、晃が一瞬翔平を見た。
「私もバイトだけど・・・少しだけなら時間ある。今日、もう授業ないし」
「俺も。じゃ、ちょっとだけ図書館行かない?」
「図書館?」
晃がちらっと晴美を見るその視線を感じて、高揚する気持ちを抑える晴美だ。
「DVDいっぱいあるって言ってたでしょ? 昨日うちで観たやつのシリーズ、あるかなぁと思って」
晃の視線が晴美から翔平に移る。
「あればさ、借りて又一緒に観ようよ」
その会話を気にしている晃に、翔平が言った。
「その時、あっきーも一緒に来る? 部屋狭いから 大勢は呼べないけど、三人ぐらいなら大丈夫。ね?」
「あ・・・うん。そうかな」
晴美が気まずそうに返事をする。すると翔平が晃に言った。
「最近スピーカー買ったの。それで映画観るとめっちゃいいよって言ったらさ、晴美ちゃんが馬鹿にするから、じゃ確かめに来てよって。そういう流れで昨日家に来て 映画観たって話」
「別に、いいよ。説明しなくたって」
晃が言うと、翔平がすぐさま返し打ちをする。
「だってあっきー、『俺の女に手を出すな』って顔してたし」
「そんなんじゃないよ」
晃は思わず顔を上げ、さっきよりも大きな声で そう言い返した。すると、翔平はにこっと笑って、晴美を見た。
「良かった。じゃ、遠慮なく誘えるわ」
その後、晃はリュックを背負って教室を出て行った。
大学生活も段々にペースを掴めてきて、晴美も同じ学部に数人新しい友達も出来る。晃も同様に男友達が出来、自然とお互い 授業の席や昼食も別々になる事が増えていった。同じ教室内で、知らない人達とゲラゲラ楽しそうに笑う晃を見ると、晴美は少し寂しい様な気持ちにもなるが、これで良かったと思う気持ちも片隅に湧いているのだった。
そんな五月のある日、映画研究部の部室で晴美が涼子と脚本の打ち合わせをしていると、そこへ翔平と優子の会話が耳に飛び込んでくる。
「翔平君って三鷹に住んでるんだっけ? ジブリ美術館、もう行った?」
「まだっす。行きたいなぁと思ってて」
「え~、今度一緒に行こうよ!」
「優子先輩、行った事ないんすか?」
「あるよ、何回も。でもさ、何回行っても良いんだよね~。私、案内してあげる」
映画の照明の本を読んでいた晃も、晴美と翔平を交互に見た。
「優子先輩、ジブリの作品で、何が一番好きっすか?」
先日井の頭公園でした晃との同じ会話を思い出して、優子の答えが気になる晴美だ。その時だ。涼子が、晴美に顔を近付けた。
「結末どうする? ハッピーエンド? それとも・・・」
そう言って、涼子は仲良く話す翔平と優子を遠巻きにじっと見つめた。晴美も同じ様にじっと眺めた後、答えを出した。
「お似合いだから、ハッピーエンドでいいんじゃないですか?」
すると涼子は、腕組みをして首をひねる。
「美男美女が上手くいったら、面白くないよね~。私、ひねくれてんのかな?いやいや、お客さんの気持ちになって考えてんのよ。ひがみじゃないからね」
そう言って、わはははと笑った。
活動時間を終えて晃も晴美もリュックを背負う。
「帰る?」
「うん」
そう言って、廊下に出た所でだ。部室から慌てて出てきた翔平が晴美に話し掛けた。
「今度の日曜、この前言ってたジブリの券取ろうかと思うんだけど、平気?」
「日曜?・・・うん、大丈夫」
「夜、バイト?」
「その日は何にもない」
「じゃ、またDVD一緒に観ようよ」
晃が気まずそうに下を向いた。
「俺・・・先行ってるわ」
「あ・・・」
名残り惜しそうな晴美に翔平が気付く。
「ごめん、ごめん。それだけだから。あっきー、悪かったな、引き止めて」
「いや、別に俺は」
妙な空気に晴美が切り込む。
「優子先輩といいよ、行ってきて。ほら、せっかくデートに誘えるチャンスだったんだし」
「平気平気。晴美ちゃんと先に約束してたんだから」
もし先に口約束をしてなかったら、どうだったんだろうと考えてしまう晴美だ。
「優子先輩、詳しいみたいだから、一緒に行ったら色々教えてもらえて楽しいと思うよ」
「あ、じゃあ優子先輩と行った後に、俺が晴美ちゃん 案内してあげよっか?」
晴美は両手を振って、全身でそれを断った。
「いい、いい。気にしないで、全然」
「じゃあ・・・まぁ、とにかく日曜は空けといてよ」
翔平は右手を挙げた。
「じゃあね」
帰り道、晃が無言だ。足取りも気持ち早めに感じる晴美だ。
「翔平と付き合う事にしたの?」
晴美が慌てて首を横に振る。
「へぇ~」
そして二人の間には、再び変な無言の間が訪れる。そして少しして、晃が再び晴美に聞いた。
「翔平に告られた?」
晴美が一瞬躊躇してから、大袈裟すぎる程のゼスチャーで全否定する。すると少しして、晃がイライラに任せて言葉を吐き捨てた。
「なんだよ、あいつ。他の子と行った場所に、すぐ別の子誘うなんて、デリカシー無さすぎだわ」
「・・・・・・」
「梅ちゃんも気を付けた方がいいよ。一人暮らしの男の家に二回も付いてったら、OKって思われても仕方ないからね」
「だって、映画観にだよ?」
「どんな理由だって、関係ないの。相手は下心持ってるんだから」
「だって、あっきーん家にだって何回も映画観に行ってたじゃん。それと同じだよ」
「俺は一人暮らしじゃないし、それにデートとかじゃなかったし・・・」
「・・・・・・」
「それに、あいつの映画好きだって、本当かどうか怪しいし」
「そこまで疑う事なくない?」
「女を口説く為の道具にする奴だっているよ」
晴美は溜め息を吐く。晃の口は止まらない。
「それに、わざと俺の前で梅ちゃんの事、デートに誘ってんだよ」
晃のイライラが、どんどんエスカレートしていく。
「わざとの訳ないじゃん。たまたまでしょ?」
「はぁ~、すっかり騙されちゃってんだ? あいつに試されてんだよ、梅ちゃん」
「私を? 試すって何をよ?」
「だからぁ、俺の前で誘ったらどんな顔するかなぁ~って」
「は?」
「全然あっきーの事なんか、何ともないですって言いたくなる心理をついてるんだよ」
晴美は大きな溜め息と共に胸の内を吐き出した。
「悪く言いすぎでしょ、翔平君の事。なんか嫌だな・・・学部も部活も同じ仲間の事 そんな風に言うあっきー、見たくない」
「仲間か・・・仲間ね・・・。いいよ。そうやって俺の事悪く思っとけばいいじゃん。今に分かる時が来るよ」
晃の吐き捨てる様な台詞に、晴美が大きな溜め息をつく。それをキャッチした晃が、再び牙を剥いた。
「そもそも梅ちゃんが、俺の想い知っときながら はっきり返事しないのが悪いんだよ」
「・・・・・・」
「ちょっとずつ避けたり、一緒の時間減らしたりさ。ずるいよ。俺、真剣に考えてって言ったよね?」
「・・・だから真剣に考えてるよ。真剣に考えてるから、簡単に答え出せないんじゃん!」
晴美は胸いっぱいに息を吸い込んで、一人で大股に歩いて帰っていった。
その晩だ。高校時代の仲良し五人のグループトークに、時生がメッセージを発信する。
『バイトの先輩にボーリングの2ゲーム無料券いっぱい貰った。今度の日曜行ける人~』
すると、次々と返信が入る。
『昼間空いてる~』
『私も』
返事をしないのは晃と晴美だけだ。12時を回る頃になって、ようやく晃が参加する。
『俺も行ける』
『あと、梅ちゃんだけか』
『梅ちゃ~ん!!!』
既読の数は人数分付いているのに返信が来ないから、四人は少しじりじりしたムードになる。そこで晃が代わりに返事を入れる。
『大学の人と出掛ける約束してたから、多分行けねぇんじゃね?』
『え~、残念』
『惜しい! 皆で集まれるかもって期待しちゃった』
『何、何? 梅ちゃん、デート?』
そんな会話が飛び交う。もちろんそれに答える人はいない。相変わらず 晴美の返事もなければ、晃もそれには回答しない。
そんな面白半分の詮索メッセージが熱を失った頃、晴美がようやく返事を返した。
『みんな、ごめ~ん! その日友達と予定入れちゃってて。ほんと、ごめん! また、誘って』
深夜に入ったメッセージにも拘らず、それにすぐ返事を返してきたのは邦恵だ。
『私達の友情より、そっち取るんだ~? そのお出掛けの相手は彼氏とか言わないでしょうねぇ?』
『友達だから』
『男だったら、ぶっ飛ばすよ』
その後にプンプン怒ったキャラのスタンプが送られてくる。そして邦恵はこう締めくくった。
『詳しくは日曜、あっきーに聞いとくから』
次の日、教室で晃と晴美は別々の席に座る。すると、晴美の横の席に翔平が座った。
「どうしたの? 今日はあっきーと別々? 珍しいね」
「・・・喧嘩した」
「喧嘩? 昨日の帰りまでは仲良しだったのに」
「・・・・・・」
「昨日の帰りに、何かあったんだ?・・・あれ? もしかして、俺が原因?」
晴美は慌ててそれを否定した。すると、遠くに晃を見ながら翔平が言った。
「昨日の帰り、あっきーちょっと不機嫌そうだったもんね」
「いいの、いいの。勝手に怒ってんだから、放っておけば」
すると、晴美の左側に座る栞が呑気な笑顔で割って入った。
「いっつも一緒にいたかと思えば、急に喧嘩したりして。まるで恋人みたいだね」
授業を終えると、隣から栞が晴美に言った。
「お昼、一緒に食べない?」
「うん」
そんな会話が交わされる中、翔平の近くに女子達四人組が集まってくる。
「翔平。一緒にランチしない?」
「おお~、いいよ」
「この前言ってたサンドイッチ、今朝まだ売ってたの~」
「え~、俺の分も買ってくれた?」
「もち」
「サンキュー!」
女子達四人組に囲まれて席を立つ翔平は、もうランチの事で頭がいっぱいだ。歩き出しながら、女子が盛んに翔平に話し掛ける。
「今度翔平ん家、遊びに行きたい」
「いいよ。来てよ、来てよ」
翔平の背中を見つめながら、晴美は先日の会話を思い出す。
『この部屋に女の子来たの、晴美ちゃんが初めてだから』
晃の言う様に、あれも口説き文句の一つだったんだろうかとぼんやり考えている晴美の耳元に、栞が声を掛けた。
「梅ちゃんって、翔平君の事 好きなの?」
驚きと慌てたのが合わさって 晴美がのけぞると、栞が笑った。
「違うって。翔平君って・・・女の子にモテるだろうなぁと思って」
「彼、社交的だもんね」
「ああいうタイプと付き合ったら、大変そうだなと思って」
「そうねぇ・・・。いっつも浮気してないか気にしてたら、疲れちゃいそう・・・」
栞の言葉にゆっくり頷きながら、晴美は質問した。
「栞ちゃんって、今彼氏いる?」
栞は首を横に振った。
「高校入った時から ずっと好きだった先輩がいてね」
自分のモヤモヤした胸の中を一掃してくれる様な爽やかな話題に、晴美は飛びついた。
「へ~。想いは伝えたの?」
「受験終わって、区切りを付ける為に告白したんだけど・・・フラれちゃった」
「・・・そうだったんだ」
「吹部の先輩だったの。好きな音楽も同じで。途中までは彼女がいたらしいんだけど、その後別れたって噂聞いて、一回だけコンサートに誘って 一緒に行った事あるけど・・・緊張して上手く喋れなかった」
「そうだよね~。恋ってそういう感じだよね~」
「梅ちゃんは? 好きな人、いないの?」
晴美は首を傾げ、急に口が重たくなる。
「好き・・・っていうか、気になってる人はいたけど、それも良く分かんないや。その人の色んな面見て、あ~やっぱ違うかな?とか」
栞は急に目をまん丸く見開いて、人差し指を立ててみせた。
「分かった! 梅ちゃんの気になってる人って、晃君でしょ?」
「違う違う~」
晴美はこれ以上ない位両手を振って、精一杯の否定をする。
「な~んだ。でもさ、そういうの、あるよね。知れば知る程悩んじゃう事って」
「うんうん」
「でも、意外だったな。梅ちゃんって結構慎重なタイプなんだね。明るいから、もっと・・・何ていうのかな。直感で動く人かと思ってた」
照れくさそうに笑う晴美が、それをごまかす為に栞に聞いた。
「栞ちゃんは、今はまだ好きな人いないの?」
ふふふと意味深に笑う栞に、首を傾げる晴美だ。
「気になってる人は・・・いる。その話は・・・また今度ね」
「え~、何、何~? 気になる~」
日曜日。晴美は家で準備をしながら思う。ジブリ美術館は、結局優子先輩と行く事にしたんだろうか。翔平の家に映画を観に行くって言ってたけど、やはり晃が言う様に、そう何回も一人で行くのは軽率に思える。だからと言って、上手くその場で断れる自信もない。一回目よりも今日のデートに不安があるのは、少し自分の気持ちが期待してしまっているからかもしれないと、晴美はネックレスを付ける鏡に映った自分を見て思うのだった。
日曜の電車は若者や家族連れで賑わう。平日の車内とは雰囲気ががらりと違う。ドア脇のスペースに身を落ち着けた晴美は、手すりに寄り掛かって窓の外を眺める。
「二子玉川~、二子玉川です」
車掌さんのアナウンスが聞こえ、ぼんやりしていた晴美の目の前のドアが開き、そこからは晃が乗り込んできた。
「あ・・・」
お互いにそう声を発してしまい、気まずさが充満する。
「・・・ボーリング?」
「ああ」
「皆によろしくね」
「ああ」
襟元のネックレスに晃の視線を感じて、晴美は慌てて話題を探す。
「渋谷のボーリング場・・・だったっけ?」
「うん」
会話が途切れると、今度は晃がぶっきらぼうなまま口を開いた。
「これ・・・どこまで乗るの?」
「下北だから・・・渋谷で乗り換えようかなって」
「ふ~ん・・・」
間が持たないから、いつしか二人は携帯にその逃げ場を持って行った。こんな事なら別々の方がよほど気が楽なのに・・・とため息が漏れそうになる一歩手前で、晴美は思いついた様に顔を上げた。
「三茶からバスが出てるみたいだから、私、次下りるね」
「・・・あ・・・うん」
そんな晃の顔を見ながら、晴美はそーっと話を出した。
「この前の・・・ちゃんとあっきーと話さなきゃと思ってて・・・」
「うん」
「あ・・・喧嘩した事じゃなくて・・・あっきーの・・・何ていうか・・・その返事っていうか・・・」
晴美が頭を掻きながら、言葉を選ぶ。
「うん」
「だから、今度、時間作って」
「うん」
ドアが開きかけたところで、晴美は晃に付け足した。
「そんなに急がないから・・・全然いつでもいいんだけど・・・」
「わかった」
最後晃がどんな顔をしていたか、晴美は覚えてはいない。電車を降りて、ホームで振り返る事なく、晴美は改札に向かって行った。
下北沢でバスを下りた途端、急に晴美の緊張が増す。深呼吸をしながら、待ち合わせ場所である駅の改札へ足をゆっくりと進めると、後ろから肩をポンと元気よく叩かれる。翔平だ。
「おはよ」
「あっ! びっくりしたぁ~」
「バスで来たの?」
「うん。三茶からバスがあるの見付けて」
翔平が晴美の顔を覗き込んだ。
「・・・何?」
「さっきバスから降りて歩いてる時、ちょっと怖い顔してた。でも良かった。いつもみたいに笑ってくれたから」
「いつから見てたのよ~」
「人聞きの悪い事言わないでよ~。偶然見付けたんだってば」
そして間髪入れず翔平は、晴美の腕をすくい上げる様に抱えて 早歩きを始める。
「どこ行くの?って思ってるでしょ?」
「・・・うん」
「今日はね・・・」
「あの・・・腕・・・」
「あぁ、ごめん、ごめん」
翔平は腕を解いて、財布からチケットを二枚取り出した。
「今日は・・・お笑いのライブ、見に行こうと思って」
「お笑いライブ?」
「そう。行った事ある?」
「ない、ない」
「面白いらしいよ。俺も初めてなんだけど」
翔平のどこか幼い笑顔に懐かしさを覚え、晴美の緊張もいつしかほぐれていった。
お笑いライブでは ゲラゲラお腹を抱えて笑い、その後下北の街を食べ歩きしながら散策し、ふらっと入った古着屋では色々な帽子を被ってはケラケラと笑い声を上げた。その後下北で有名というスープカレーのお店で一息ついて、腹ごしらえをした。そして夜の8時頃、駅で二人は別れた。
「じゃあね。また学校でね」
そういつもと変わらずに挨拶を交わして。
晃が心配していた様に、翔平が晴美を自宅に誘う事もなかった。やはり前回は、二人の居た場所から翔平の自宅が近かったから、純粋にスピーカーの良さを共感してもらいたくて誘ったんだと、晴美は納得が出来た。その上 次回のデートの約束をしてくる訳でも、晃に聞かれたみたいに、もちろん翔平から告白される訳でもなかった。晴美は帰りの電車に揺られながら、ほんの少しだけ、寂しさが胸の隅にある事を自覚する。色んな女の子と順番にデートして、一次審査、二次審査通過・・・みたいに、自分にぴったりフィーリングが合う子を品定めしているんだとしたら、一体自分の今日の結果はどっちだったのだろう・・・等と考える晴美だ。そして今日 最後まで『ジブリ美術館は優子先輩と行く事にしたの?』という質問を、口から出せずじまいの晴美だった。
家に戻って、晴美がネックレスを外した時、携帯がメッセージを受信する。
『今日のボーリングの様子~』
その後に、四人が笑顔を弾けさせる写真が送られてくる。まるで高校時代と何も変わらない四人の様子に、どこか安心感を覚え、知らず知らずの内に肩に入っていた力を抜く晴美だった。
月曜、授業が始まる前、晃が晴美の座っている席に近付いてくる。
「昨日言ってた話、今日の学校の後、時間あるけど・・・」
「今日は、涼子先輩と脚本の最終打ち合わせする約束してて・・・」
「そ。じゃ・・・また」
「ごめん・・・」
晃が立ち去っていった後、バタバタっと教室に入ってくる翔平を後ろの方の席の女子達が元気に迎える声が晴美の耳に届く。
「翔平、土曜日ありがとう」
「凄かったでしょ?」
「あのスピーカーも凄いけど、翔平の部屋さぁ・・・」
わいわい話す女子達を思わず振り返ってしまう晴美だ。
「カエルの枕なの~。めっちゃ笑えない? ほらほら」
そう話す女子が、その証拠写真を皆に見せている様子だ。
「かわいいじゃん!」
「かわいいけど、翔平っぽくなくない?」
「なんだよ、俺っぽいって」
土曜に翔平が家に招いたあの子とは、次のデートの約束をしたんだろうか・・・そんな事が気になる晴美だ。きっといつもの様に、空いている私の隣の席にドサッとリュックを置いて座るに違いない。そんな事を心の隅で期待していた晴美だったが、翔平の声は依然として後方から聞こえてくるまま、近くもならない内に、授業が始まった。
授業が終われば きっと晴美の席に近付いてきて、『昨日は楽しかったね』と声を掛けてくれる事を期待していたが、それも見事に裏切られた形となった。彼女達の笑い声と共に翔平の楽しそうな声が教室から消えていくのを遠くで聞きながら、晴美は大きな溜め息をついた。
昨日のデートで完全に“二回戦敗退”となった事を確信した晴美だ。一日あんなに一緒に笑って 楽しく過ごしたのに、一体何が敗因だったんだろうと思い返す晴美は、部室でもつい ぼんやりしてしまう。涼子が、そんな晴美の鼻の頭をシャーペンでツンツンと突く。
「今日はやけにぼんやりしてる。何かあった?」
「いやぁ~。どうしたら、好きな人の心を射止める事 出来るんですかねぇ。・・・あっ!違いますよ。今の私の事じゃなくて、脚本の事ですよ」
少々疑いとからかいたそうな涼子の口を、晴美の次の言葉が封じた。
「どうやってハッピーエンドにしたらいいのかなぁって・・・」
その時、ガチャッと部室のドアが開く。翔平だ。
「あっ! 丁度良かったぁ」
涼子がそう叫ぶ。
「翔平はさ、どんな風にされたら好きになっちゃう?」
「え・・・何すか?急に・・・」
「私達が聞くんだから 脚本の事に決まってんでしょう? あっ! もしかして私がマジで聞いたと思ったぁ?」
「いや、そんな俺、自意識過剰じゃないっす」
あははははと笑う涼子の向かい側に、翔平はリュックを下ろして座った。
「大変なんすね、脚本作んのも」
「そうよぉ! ね?」
涼子が同意を求めるまで、またぼんやりと翔平に気を取られていた晴美だ。
「今ね、どうやって翔平と優子ちゃんをハッピーエンドで結ぼうか頭ひねってるとこ」
「ハッピーエンドなんだ?」
翔平が語尾の辺りで晴美を見る。そして翔平が涼子の方へ身を乗り出して、小声になる。
「キスシーンとか、ある?」
涼子が間髪入れずに、手に持っていたシャーペンで翔平の頭を小突いた。
「痛っ!」
「校内外問わず、優子ファンは多いからね。そんなシーン撮ったら、あんた一発で狙われちゃうよ」
「え~?! そうなんですか?」
翔平よりも先に驚きの声を上げたのは晴美だ。
「そうよぉ」
「ま、確かに綺麗ですもんね・・・」
「でも、翔平ファンも多そうだからなぁ。優子ちゃんの身の為にも、そういうシーンは無しで」
「アイドル並みのガードの固め方っすね・・・」
涼子の隣でタブレットに盛んに打ち込む晴美の手元を、翔平が覗き込む。
「おっ! 良いシーン、浮かんじゃった?」
「手、繋ぐくらいは平気ですよね?」
「そうねぇ。一応ラブストーリーだしね」
「優子先輩にキス出来なくて残念そうだったんで、翔平君」
「お情けで、手は繋がせてあげるってさ」
あははははと天を仰ぐように笑う涼子の向かい側で、翔平もへへへと首をすくめて見せる。
「ねぇ。翔平はさ、女の子のどんな所にグッとくる?」
思わず晴美の手が止まる。だが慌てて手を動かすも、耳だけはダンボだ。
「そうだなぁ・・・。全然俺の事なんか興味ないのかなぁと思ってたら、急に気のある素振りされたら・・・やばいかもしんないっす」
晴美の心臓が急に早く脈打ち出した事に内心戸惑っていると、そんな事も知らずに涼子はパチンと指を鳴らした。
「それ! 使えそうじゃない?」
「あ・・・はい。頑張って書いてみます・・・」
晴美がタブレットを見たままそう答えると、涼子がまた声を上げた。
「いや、待って待って! 優子ちゃんにそんな演技させたら、翔平マジで惚れちゃうかもしれないよね? や~めた、やめた!」
「なんでっすか?!」
「そりゃそうでしょ? な~んで私達が苦労して、美男美女のキューピッドしなくちゃなんないのよ? キューピッド役が必要なのは、もっと奥手で平凡な子。優子ちゃん堕としたかったら、自力でやんなさい」
「ほ~い」
その時、再びガチャッとドアが開いて、今度は優子が姿を現した。
「あれ~、翔平君も・・・皆居たんだぁ?」
すると早速に涼子が先手を打つ。
「そうそう。今ね、翔平に言ってたとこだったの。自力で優子ちゃんを堕としなさいって」
「え?!」
「私達脚本の力を利用するなって、ね?」
晴美の相槌など聞く前に、涼子が優子に質問する。
「優子ちゃんは、もう元彼の事、引きずってないの?」
「そう・・・ですね。学校でしょっちゅう会うし、気まずくもなれないっていうか・・・。普通に話してる内に、意外と早く吹っ切れました」
それを聞いて、涼子が翔平に目配せをしてみせた。
「ほれ! GOサイン出てるよ」
「え?! 今っすか?」
そんな翔平に、優子がパンと両手を叩いて言った。
「そうそう。ジブリ一緒に行こうって言ってたんだよね? 近い内に行こうよ」
「あぁ、これが年上女のリード。わかるかなぁ? この・・・」
涼子が言い終わらない内に、晴美が携帯を持ってガタンと立ち上がった。
「ごめんなさい。電話掛かってきちゃって・・・」
バタンとドアが閉まった後に、晴美の居なくなった空の椅子を見つめる翔平に、優子が再び言った。
「土日って、翔平君バイト?」
四人で部室を出て 学校を後にする頃には、辺りは真っ暗になっていた。
「ご飯食べてく人~」
涼子が呼び掛ける。
「あっ! 私行きたいお店、この近くにあるんですけど・・・」
「何、何? 何のお店?」
「チーズダッカルビの美味しいお店」
「いいね~。そこ行こ! お二人さんも行ける?」
そこで晴美が先に口を開いた。
「ごめんなさい。明日までにやらなきゃならない課題があるんで・・・今日は、帰ります。すみません」
「残念。まあ、またね。翔平は? 行ける?」
「俺も・・・今日は帰ります。近所の店で買いたい物あって。店閉まっちゃうんで」
涼子と優子が韓国料理の店へと別れていった後、駅までの道を会話少なに歩く翔平と晴美だ。昨日は馬鹿みたいにベラベラと喋れたのに、今日は嘘の様に話題が浮かばない晴美。しかし同様に、何故か翔平もいつもよりお喋りでない。
「優子先輩の事、まだ誘ってなかったんだ?」
晴美が思い切る。
「ジブリ?」
「うん」
「・・・そうだね。まだ・・・」
「で? 出来た? 約束」
「・・・今日はあのまま別の話になっちゃって・・・」
「なんか・・・ごめんね」
「・・・何が?」
「『私も行ってみたかった』とか言っちゃったから、気にしてくれてるんじゃないかなぁ~と思って。ほんと、平気だから、全然」
はははと笑い声を足して、晴美は暗い足元を見つめる。
「脚本書く時ってさ・・・」
今度は翔平だ。
「頭の中で、俺とか優子先輩を動かしながら考えるの?」
「・・・うん。そうだね」
「って事は・・・、俺と優子先輩の関係は、晴美ちゃんの手中にあるって事だ?」
「私だけじゃないけど・・・」
「させたくない事は書かなければいいんだし、逆に言えば、二人をどうしたいかが脚本に書かれてあるって事だよね?」
「そんな私的な感情では書いてないよ」
「へぇ~、凄いね。俺なら絶対私的感情だけで書いちゃうな。だって、それが特権だもんね、脚本の。皆、そこに書いてある通りに動く」
晴美は一度、大きく息を吸い込んだ。
「翔平君の持つイメージと優子先輩の持つイメージから登場人物のキャラを決めて・・・その登場人物を動かすから、頭の中で動いてる人物は、翔平君や優子先輩そのものではないかも・・・」
「・・・そういうもんなんだぁ・・・」
会話が一旦途切れたから、晴美が別の話題を持ち出した。
「優子先輩がね、さっき元彼の事『普通に話してる内に、意外と早く吹っ切れた』って言うの聞いて、凄いなぁって。私あっきーと喧嘩してから、まだ仲直り出来てなくて・・・。ちょっとは喋ったけど・・・普通になんか全然出来なくて」
「相手にもよるんじゃない? 優子先輩の元彼とあっきーが同じタイプとは限らないし」
「そうなんだけど・・・」
翔平がちらっと晴美の事を見て言った。
「あっきーとの喧嘩、結構こたえてんだね」
「そうなのかな・・・?」
晴美は首を傾げた。
「私も、どう接したらいいか、正直分かんないよ・・・」
翔平がじっと晴美を見る。そして言った。
「あっきーに『好き』って言われたんでしょ?」
晴美がポカンと口を開けて翔平の方を向くと、視線が合って慌てて首を横に振った。しかし、晴美が喋るより先に、翔平がその続きを喋った。
「返事・・・したの?」
晴美はさっきよりもはっきりと首を横に振った。
「でも、今度ちゃんと話さなきゃって・・・」
「喧嘩が原因で気まずいんじゃなくて、友達だと思ってた男から告られて戸惑ってるってだけでしょ?」
「いや、本当に喧嘩もしたし、あの時私もちょっとムキになり過ぎたかな?とは思うけど、向こうだって酷い事言ってたし・・・」
「何て返事するか・・・もう決まってるの?」
晴美は隣を歩く翔平の顔を見てから、答えた。
「7・・・8割は決まってる」
「2、3割は迷ってんだ?」
「・・・・・・」
「晴美ちゃんはさ、今気になってる人とかいないの?」
晴美は驚いて、ゆっくりと翔平の方へ顔を向けた。すると翔平も一旦視線を合わせてから言った。
「じゃあ、その2、3割は、好きな奴の事? それとも、あっきーとのこれからに対する不安とか?」
「・・・・・・」
「何があったら、今の7、8割が10になるんだろうね」
のんびり歩く翔平の歩調に合わせる様に、晴美の心もゆっくりと立ち上がる。
「翔平君は、もう誰って決まってるの?」
「俺?!」
急にすっとんきょうな声を上げる。だから晴美もつられて元気な声になる。
「そう。私の話ばっかだったから。今度は翔平君の番」
暫く無言で歩いている間に、北風がスーッとシャツの隙間を抜けていく。一瞬寒く感じた晴美が肩をすぼめると、翔平が言った。
「俺は最初っから、一人に決まってるから」
意外なその言葉に、晴美は言葉を失った。サークルで行ったバーベキューでの翔平と優子の映像が思い出されたからだ。
「へぇ~、なんだか、意外」
辛うじて絞り出した笑顔と声だ。
「でしょ? よく言われる」
はははと翔平が笑うから、取り繕う様に晴美もはははと笑った。
「本当に好きな子には、意外に照れて奥手になるよね」
「あ~、そういう・・・ものかもね」
そう相槌を打つ晴美の頭の中では、さっきまだ優子とジブリに行く約束が出来ていないと言った翔平の声がこだましている。
するとその時、駅前の人混みの中から呼び掛ける声がする。
「翔平!」
その声の在りかを二人が探すと、そこには同じ学部の数名の男子がいる。そしてその中に晃もいた。
「今帰り?」
その中の一人がそう聞く。
「ああ。部活終わりで」
「あれ? あっきーも同じ部じゃなかったっけ?」
そこで翔平が説明を加えた。
「今日は個人的に用事があって」
晃が晴美を見ているのが分かる。
「そっちは?」
「カラオケ行って、飯食って、今帰るとこ」
そこから、誰がどっち方面だとかごちゃごちゃ入り乱れて、晴美が気が付いた時にはもう改札口で手を振っていて、いつもの様に晃と二人ホームに立っていた。向かいのホームから聞こえる少し賑やかな話し声を聞きながら、晃と晴美は無言で電車が来るのを待った。ようやく到着した電車にホッとして乗り込むと、窓から反対のホームの仲間達に手を振る晃だ。テンション高く手を振る数人の脇で、翔平が少し心配そうな顔を晴美の方に向けていた。ホームが見えなくなると、再び二人の間に静寂の間が訪れる。すると晃がぽっと口を開いた。
「翔平も一緒だったんだ?」
「・・・うん」
晴美は、それ以上晃が聞いてくる前に自分から話し始めた。
「偶然ね。涼子先輩と部室で作業してたら、急に来て。・・・優子先輩と約束してたみたい」
「・・・大丈夫?」
急に晃がそんな声を掛けるから、晴美は驚いて声を上げた。
「え? 何が?」
「だから・・・大丈夫?」
「・・・・・・」
晴美は黙ってこくりと何度も頷いて見せた。そして、一度作った笑顔のまま、晴美は晃の顔を見上げた。
「カラオケ、楽しかった?」
「うん」
「また、エヴァンゲリオンの歌、歌ったんでしょ」
「もち!」
あははははと二人が笑う。
「今日は91点だった」
「あれ? 最高何点だったっけ? 93? 94?」
「93.8」
「記録更新ならず、だね」
「悔しい」
また二人ははははと笑った。
「塩野がさぁ、・・・あ、さっき赤いパーカー着てた、あいつがめっちゃ歌上手くて。まじビビった」
「へぇ~。そんなに上手いなら、テレビの歌うま何とかっていうオーディションに出ればいいのにぃ」
「俺もそう言ったの。そしたらあいつ、極度のあがり症だから向いてないんだって、そういうの」
「え~、もったいな~い!」
気付くと、今まで通り会話を交わしている二人だ。
「この前・・・言い過ぎて・・・ごめんね」
晴美が先に謝る。すると当然晃もボソボソっとバツが悪そうに話す。
「俺も・・・子供っぽい事言っちゃって。梅ちゃんの言う通りだって分かってんだけど・・・翔平の事、悪く言ったりしてごめん」
「ううん」
二子玉川でドアが開くと、翔平が手を小さく上げた。
「じゃあね。また明日」
じっと晃の顔を見つめていた晴美も、晃の後に続いて電車を下りた。
「この前言ってた話・・・しなきゃ」
「・・・いいよ、もう」
「ダメだって」
「・・・梅ちゃんの気持ち・・・分かってるから、もう大丈夫」
「ううん。あっきーだって真剣に言ってくれたんだから、私だってちゃんとしなきゃ・・・」
改札を出て、晃はキョロキョロする。
「フラれても目立たない場所・・・今考えてる」
そう言ってはははと笑った。
「そうなると、いつもの場所かな・・・」
高校時代から良く来た多摩川の土手の芝生を歩きながら、晴美は静かに大きく息を吸った。
「ありがとね、あっきー。この前はびっくりして変な事ばっか言っちゃったけど、高校一年の時からずっと一緒に居て・・・私の事そんな風に思っててくれて・・・驚いたけど、やっぱり正直嬉しかった。あっきーといるといつも安心で、気遣わないで何でも言えるし、出来るし・・・。ただ急に彼氏とか彼女とかっていう風には頭が混乱するっていうか・・・」
「うん」
晃が邪魔にならない程度に相槌を入れる。
「だから・・・すぐ付き合うとか、そういうのは・・・まだ気持ちの準備が出来てないっていうか・・・。だから・・・」
「うん」
「だから・・・今まで通り友達として・・・一緒に出掛けたり話したりして・・・」
「うん。今まで通りね」
「だけど・・・私、あっきーとの事、前向きに考えていきたいと思ってる」
晃の足が止まる。当然、じっと何か言いたげな顔で晴美の顔を見つめた。
「・・・翔平の事は・・・いいの?」
「多分、翔平君と付き合う事はないと思う」
晃の顔が更に何か言いたげな表情に変わる。晴美がにこっと笑ってごまかそうとすると、晃がそれに待ったを掛けた。
「翔平に、好きって言ったの?」
「まさか~!」
「じゃ、なんで? 翔平に何か言われたとか?」
晴美は首を左右に振った。
「元々はね、小学生の時の初恋の子に翔平君が似てたってだけ。だけど苗字も違うし、性格も全然違うし。それにね、ああいう女友達にいっぱい囲まれてる様な人と付き合ったら、多分私やきもち焼いて疲れちゃうだろうなって」
「・・・・・・」
「その点あっきーはさ、そういう心配なさそうだし」
はははと冗談ぽく晴美が笑うと、晃が元気な声に戻る。
「ちょっと待って! それって俺がモテないって言いたいの?」
「じゃあ、モテる~?」
「・・・モテ・・・はしないけど・・・」
「ほ~らね!」
「そういう理由で俺を候補に入れるの・・・何か引っ掛かるんだけど」
「それだって、あっきーの良さでしょ?」
言って晴美はきゃはははと笑い転げた。その隣で未だに晃は首を傾げている。
「さっ! 課題やんなきゃなんないから、か~えろ!」
「課題?!・・・課題かぁ! やっべえ、忘れてた! 明日・・・だっけ? 期限」
「明後日」
「じゃあさ、明日一緒に図書館でやんない?」
「おっけー。あっきー、私の丸写ししないでよ~」
「そんなせこい事しないわ!」
二人が再び駅に戻って来ると、明朝一緒に行く約束をして別れた。